2019年10月5日土曜日
記憶を甦らせる歩き
先日水曜日に、鹿沼岩山に登った。わずか3時間の山なのに、意外と身に堪えたと木曜日に記した。そして昨日金曜日、来週の天気予報を見ていたら「女心と秋の空」らしく、雨がつづく。8日から予定していた八ヶ岳も見合わせることになった。となると日帰りでもいいから好天を狙おうと「予報」をみる。今日土曜日がいい、と思っていた。山へ行きたくてうずうずしているのだ。
ところが、リンパ健康体操をしていたら、大胸筋の端っこ、腕の脇のところにしこりが残っている。強くつかむと痛むほどだ。ゆっくり左右をほぐして、リンパの流れをよくする。これって、猿岩を下るときに鎖をしっかりつかんで身体をたてたときの名残の筋肉痛にちがいない。ふだん使わない筋肉を使ったものだから、筋肉痛にさえ気づかない。歳をとるって、こういうことなのか。そう思った。土曜日の山歩きは、したがって、中止にした。休むときは休まなくちゃならない。
ところが、昨夜の夢に、岩場が登場した。かなりの崖を下っている。足の踏み場を探すのに、岩を両手でつかんで身を乗り出し、後ろを向いて出っ張りがないか、みている。えいっ、ままよと左足裏全面を岩に押し付けて右足を置くところを探る。まいったなあ、次がないぞと思っていると、左足がずるりと滑って、身体全体が落ちる。腕で全部支えるほどの腕力は、もうない。そう思った瞬間、ああ、これは夢だと、どこかで「終了」ランプが点灯して、半醒半睡状態になっていったと感じる。
後で思い返してみると、昔岩登りをやっていたころの感触が甦っている。それも、はらはらひやひやしながら取り付き、おっかなびっくりで上り下りしている記憶だ。若いころはしかし、先達とザイルで結ばれていて、落ちる恐れは感じていない。ただ自力で身を確保することの困難だけが、記憶に刻まれたのであろう。
久々の岩山の、クサリ場や懸垂下降がからだの刻まれた記憶を甦らせ、夢に登場したのだろうが、ひょっとするとこれって、心の奥深くからの「警告」のサインかもしれない。もう、岩登りはできませんよ。身のほどを考えなさい、と。
心裡の声にしたがって、今日は、こうしてブログを書いている。
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