2019年10月24日木曜日

鍛えられたのか鈍くなったのか


 今日の昼間の最高気温は20℃。最低気温は16℃ほど。涼しくなったが、まだ半袖で通せる。
「寒くないの?」と聞かれ、そう言えば、以前は20℃以下だと長袖を来たかなと思う。
「寒くないね。強くなったのかな」と応じたら、
「鈍くなったんじゃない?」と返されて、そうかもしれないと思っている私がいた。


 床屋に行く。私が毎週のように山歩きしていることを知っている。
「どうやって疲れをとるんです?」
「それがね、疲れが出なくなっちゃったんですよ」
「そりゃあ、すごい!」
「いえいえ、そうじゃなくて、疲れを感じられなくなっちゃったんですね」
「どういうこと?」
「若いころは、歩いている途中で筋肉痛が出るほど、回復も早かったのね。還暦を過ぎると、三日遅れの疲れになって、喜寿の今じゃあ、外へ出て来なくなったのよ」
「ってことは、強くなってんじゃない? いいじゃないですか」
「いやいや、そううまくはいかなくて、身体がどんよりと重くなって、いろんなことが面倒になる。弱いところへ祟るようになる」
「ん?」
「歯が痛んだり、胃腸が不調になったり、腰が不安定になったり、ね。いろんなことの、根気がつづかない」
「何日くらい?」
「三日くらいかな、いまのところ」
「そっか。それで次の週には歩けるってわけね」
「そうそう。業みたいなものよ」

 めんどくさくなって根気がつづかないのが、このところ如実に現れている。ふと気づいていたことを、つづけて調べてみようという気力がつづかない。そのときに思いついて図書館に、同じ系統の本を何冊か予約する。本がどっと届く。以前なら、それらの目次を見て大体の見当をつけ、1,2冊丁寧に読んでメモを取り、後はパラパラと読み流して、特徴的なことをメモに加えるというふうに、短時日で集中して読んだ。

 今回は「社会政策」という分野が、どのように企画され立案され、どう推進されているかが気になって、6冊ほどを予約した。ところが、届いてみたものの、目次を見るだけで意欲を失くしてしまった。以前なら、どうして意欲を失くしてしまったのかを、「目次」のせいにして、わが身の裡をのぞき込みながらひとつ二つ、コメントを書いたものだ。それができない。やる気がわいてこない。とうとう2週間手元に置いておいただけで、全部返却してしまった。「社会政策」に目を付けた動機も、どうでもよくなってしまっている。

 一つ思い出した。李御寧『「縮み」志向の日本人』(学生社、1982年)という本の中で、著者が、芭蕉とテニスンと韓国の詩人・尹善道を対比させて、日本とイギリスと韓国の自然との向き合い方を論じている。
 芭蕉は、「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」と対象をじっと見る(「縮み」の)視線を謳いこんでいる。
 それに対してテニスンは、「壁の割れ目に花咲けり/割目より汝を引き抜きて/われはここに、汝のすべてを/わが手のうちにぞ持つ……」と謳い、花を引き抜いて手中にする西欧的な感覚であるとする。
 その上で、尹善道の「入り江の霧が霽(は)れ、背後の山に日が映える。/夜の潮は引き、昼の潮が見つる。/江村の花はすべて、遠目にさらによし」をとりあげて、《この詩人はじっと見ないで、ぼんやりと遠くから眺める。そのとき花は最も美しい姿をあらわす。人間の観点をできるだけ排除するとき、自然はそのありのままの姿をあらわします》と評し、《これこそ、西欧人の視線とは異なる東洋の観照的な態度なのです》と断じる。
 著者・李御寧は1934年、日本の植民地の韓国に生まれ、子ども時代に日本語の教育を受け、ソウル大学の教師などを務めた方と「経歴」にある。日本の文典に通暁しているが、この本は日本の国や文化にたいする奥深い恨みを行間に秘めながら、日本文化を出汁にして「東洋には(日本以前に)韓国あり」と謳わんとしているものであった。

 どうしてそれを思い出したのか。芭蕉のそれは「分節化」した断片を象徴的に取り上げている。尹善道のそれは(自然の)全体をとらえて、讃えている。東洋の特性は、断片を見るのではなく全体をまるごと観照するところにあると、得意然としているのが、いかにも、読まずに返却したわが身の現在に似ていると思えたのだ。つまり、元気がいいときの私は、ものごとを分節化して見て行こうと意欲満々であるが、どうでもよくなっている(現在の)私は、すべてをまるごとのまゝにとらえようとしている、と。

 ま、ことほどさように、鈍くなっているというわけです。

0 件のコメント:

コメントを投稿