2019年10月30日水曜日

親の歩みを記す自伝


 今日(10/29)雨のなか、神保町まで出かけてアニメ映画を見てきた。ちょっとした自己の精神の成育史を辿るような気分であった。このアニメ映画『エセルとアーネスト――ふたりの物語』は、レイモンド・ブリックスの原作。絵本「スノーマン」の作者が、自分の両親の半生を絵にして物語った。


 「ふつうを懸命に生きた」とチラシに書き込む。第二次大戦前のイギリスで結婚した労働者階級の青年アーネストと上流階級のメイドをしていた育ちの良い娘エセルが家庭をもち、子をなし、ドイツとの戦争を潜り抜け、戦後を迎えたが暮らしは楽にならず、子は育って上級学校へ進学するものの(母親の期待を裏切って)絵描きとなり、大学の美術教師となっていく。この夫婦の階級意識の違いが(社会関係の中で)浮き彫りになり、子どもへの期待でも差異が露わになり、あるいは息子の結婚に際して規範感覚のずれが表面化するというふうに、ごく普通の庶民の、ごく日常の暮らしにおける振る舞いと言葉遣いの中に、イギリス社会が直面しているモンダイが描き出されていく。両親の生涯を振り返ってみることによって、原作者・レイモンド・ブリックスの生育った時代が浮かび上がる。

 思うに、私より7,8歳年上のレイモンドの両親アーネストとエセルは、明治生まれの私の両親とほぼ同じ時代を生きていたのであろう。5年前、私の母親が亡くなったことを機に、書き残した遺品(書き付け)を整理しながら、父や母の生きてきた航跡を、時代の流れとともに振り返り、兄弟とその配偶者らとともに語り合って、一周忌に祈念誌を出した。その編集の折に私の内奥に湧き起っていた感懐は、これは親の物語というだけでなく、私たち子どもに引き継がれた文化的航跡の話であり(それを私たちが意識的に編集したことは)、まさに私たち自身の自伝だということであった。

 時代の出来事というと政治や国際関係や社会的に大きな事件などを指すように、ふだんは思っている。だが、レイモンドの描き出す両親の物語に陰影をつけているのは、文字通り日々の暮らしにみることのできる何気ない振る舞いであり、ことばのやりとりであり、そこに生まれた感触である。そこにこそ、レイモンドが両親から受け継いだ文化的な遺産があり、それがじつは、人類史的な営みのもっとも核心的な「生活」だということである。そう受けとめることによって私は、わがコトとしてこの映画を味わうことができた。

 もし政治や国際関係にかかわる人がこの映画を見るのであれば、ぜひとも忘れないでほしいことがある。それは、ここに描かれたエセルとアーネストの「暮らし」を護ることこそ、「公共の福祉」と呼ばれるものだということである。レイモンド・ブリックスのその願いが、イギリスばかりでなく、いまや世界中の人類にもたらされることを祈りたい。

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