2019年10月15日火曜日
コミュニティ性は広く薄まり、人々は不安になって殻をつくる
コミュニティが消えたと言ってきたが、人びとの意識から消えたのであった。人びとの側からみると、市場とか商取引とかグローバリズムとかヒト・モノ・カネの自在な交通にともない、「せかい」のどこにおいても「わたし個人」として振る舞えるようになった。むろん、その「せかい」に必要なカネやコトバやコネクションが、それなりにあることが条件になる。その人たちは、文字通り世界のどこにおいても、できないことはなく、不都合もない。
コネクションを用い、コトバを交わして、カネを用いて自在に振る舞える。つまり彼の人にとっては、世界がコミュニティそのものなのである。厳密にいうと、彼の持っているネットワークがコミュニティなのであるが、「交換」という社会システムによって、サービスを提供してもらっているにすぎないから、人とのかかわりとは思わないのだ。
カネとコトバとコネクションを十分に用意できない人たちは、その用意できている範囲の「せかい」で、自在である。いや、社会システムが上記のようになっているのは、どなたに対してもであるから、カネやコトバやコネクションの用意があるかどうかは、関係がないと言えば言える。だが用意がなければ、当然その人の振舞いは、制約を受け、制限される。自在というわけにはいかない。つまり、社会システムが上記のようであることによって、すべての人が「わたし個人」としてシステムに向き合わねばならず、「わたし個人」として自己責任を背負って振る舞うことを要請される。ことばを変えて謂うと、その社会システムに適応しないでは、生きていけなくなるのである。
制約や制限を受ける人たちは、カネにおいてもコトバにおいてもコネクションにおいても、社会システムのあちらこちらで、不都合にぶつかる。制約され、ぶつかるとき人は、システムから排除されていると感じる。自分が(社会から)受け入れられていないと感じて、攻撃的になり、自らを保護する「殻」を確かめないではいられない。自分と違う、より劣位と思われる存在を槍玉に挙げて、ヘイトスピーチを行う。より下層と思われる存在を「無用のもの」というレッテルを張り、排撃する。そうした振る舞いは、じつは、自分の(存在感の)不安を他者を排除排撃することによって解消しようとする心的補償作用である。
人の心裡でそうした補償作用が働いているだけなら、社会的には問題となってこない。だが、当人からすると、自分が社会に受け容れられない憤懣を、社会システムは「公平に」働いているとしたら、誰にぶつけていいかわからない。「誰でもいいから殺したかった」と無差別に刃物を突き立てるのも、「この人たちは生きていても意味がない」と殺害に及ぶというのも、グローバル化した市場社会の「わたし個人」に掛けられる「実在感の不安」が、引き起こしたものといえないだろうか。自分に同調しない人たちを謗って排除するのも、隣国人にヘイトスピーチを浴びせるのも、人と人とのかかわりが感じられなくなった社会の中で、懸命に「じぶん」の定位する立場を確かめたいからなのだ。
もっとも、カネ、コトバ、コネクションとなると、いろいろな人のありようが考えられる。カネは経済格差として歴然としているから、世代的な差異も含めて、公に問題になる。コトバは、コミュニケーションでもあるが、自己表現をどのように行えるかは、他者とのかかわりの貧弱さや豊かさにも通じる。また、(地方的というよりは業界的な、そしていま世代的な)「方言」や「選好」による文化の違いもかかわって、言葉が通じ方が一様ではなくなっていることも、社会的な齟齬をもたらしている。
当然、自分たちだけに通じる「方言」でグループをつくって、そのなかで自己(の存在感を)確認するということは、いろいろな集団の中でやっている。スポーツ団体のボスたちが独断専横ぶりを非難されても、何を言われているかわからないという姿は、いくつかの記者会見で目にしてきた。あるいは、「ハングレ」と呼ばれる非公認不法集団の若者たちは、彼らの中で通じるコトバを用いて、この社会に適応しようと小集団を結成して、暴力団に対抗しているとみえる。あるいは、私たちがそうだが、「山の会」をつくって自分たちなりの山歩きを媒介に社会適応をしているコミュニティである。そうしたことからさえも、零れ落ちた人たちが(好んだり好まなかったりして)孤立し、鬱屈を溜めていることも、ときどきの暴発によって私たちは目にしている。
そう考えると、振る舞いが反社会的であったり、非社会的であったりしても、ただ単に、そうした人たちにヘイトスピーチをやめなさいとか、排除するのも良くないとお説教しても、収まるものではない。人と人がかかわるコミュニティ性を浮き彫りにして関わる社会関係を、どこかで再構築しなくてはならないのではないか。そんなことも考えて見たくなるのである。
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