2019年10月9日水曜日

原点に還れない「惧れ」


 「コミュニティの消失」と呼んだのは、「コミュニティ性」がそこに暮らす人々の意識から消えたということであって、無用になったということではありません。実際には、市場原理とかナショナリティ(国民性)とかネーション(国)などの社会的作用に代替されて、そこにいる「わたしたち」がその関係性を「自然(じねん)」と受け止めているのです。

 そう考えてみると、私たちの「関係の原基」がどこにあるかへ思いが及びます。「関係の原基」というのは、「わたしたちの暮らしの根底に具えている形」です。一昨日(10/6)のこのブログで「まさにコミュニティ性の消失――全過程の総結果」と表題をつけたのは、「関係の原基」の上に次々と制度や作法や儀礼を積み重ねてつくりあげた社会システムが「わたしたち」の暮らしのかたちを作り替え、「わたしたち」はその仕組みに適応してわが身を変容させ、現在のような感性や感覚、観念をもつに至ったことを示したかったからです。


 歩くことから考えてみましょう。私はいま山歩きをしていますから、歩くことには抵抗を感じません。仕事をしているときは、通勤に電車や車や自転車をつかっていました。退職してからは、できるだけ歩くようにしています。エスカレータを使わず階段を上り下るというだけでなく、4kmくらいの距離なら歩こうとつねに考えています。自転車すらほとんど使わず、歩きに歩く。そうして気づいたのですが、わたしたちの足腰は乗り物を利用することにすっかり慣れて、だんだん歩くことに適応しなくなっている。その障壁になっているのが、「歩くことへの抵抗感覚・感性・観念」、つまり「心の習慣」です。電車やバスに乗ることが日常になると、駅までの1kmも歩くのが億劫になります。いつだったか田舎に帰っていたとき、私が歩くのを常としているのを見た人から、「都会の人は歩くんやなあ。わたしら田舎じゃ車じゃわ」と笑われたことがあります。暮らしの「関係の原基」のひとつは「歩く」です。でも今は「乗り物」が日常になり、身体はそれに適応しています。歩けなくなっているのです。

 たとえば人口減少社会における「限界集落」の議論は、車などの交通機関、それに見合う道路などを不可欠としてやりとりしています。だが明治のはじまりのときは、人口3千万人だったこと、歩きが基本であったことを考えると、「関係の原基」に立ち戻れば、「限界集落モンダイ」はもっと広い幅で考えることができます。もちろんそうなると、昨日の、小説から引き出した教訓ではありませんが、「基底に立つ」こと、つまりわたしたちの暮らしの原基になっていることを、わが身に思い起こさせねばなりません。わたしたちが忘れて「じねん」と思っていることの大半は、ほかの人たちの仕事によってつくりあげられたものです。いやなにも、火打石から火を熾せといっているのではありません。マッチやライターを使う、切れ味のいい包丁や鎌、鋸を用いる、あるいは、発電機を使って電動用具を駆使するというのも、限界集落暮らしには欠かせません。それらを使う暮らし方を、わが身に思い出させねばなるまいと思います。そのうえで、つまり行政サービスに依存している暮らしを今一度「関係の原基」に立ちかえって、できるだけシンプルにそぎ落として、社会インフラとして整えること。それができれば、今のような贅沢な暮らし方はできないにしても、人の暮らしとして遜色のない人生を送ることはできるのではありませんか。ひょっとすると、「インスタ映え」などにうつつを抜かしてスマホを抱えて右往左往するよりは、心裡の安定して充実した日々を送ることができると、思っています。

 山で迷ったときは(迷いはじめの)元に戻れといいます。つまり「原点に還れ」ということですが、わたしたちの暮らしにおける場合も、同じように言えるのではないでしょうか。わたしたち人類は、あまりにも遠くへ来てしまったと思います。そしていま、またAIなどを駆使して、さらに遠くへ旅立とうとしています。それにつれて私たち自身も、どんどん変容していっているのが、ちょっと怖いように感じます。一個の個人としてではなく、人類として、動物としての結界を踏み越えて、異世界に突入していく端境に差し掛かっているような感触です。

 人類自身が、成り行き任せでここまで来てしまったのは確かです。いまさら、人類の基本に立ち還れと言っても、70億を超える人類が文明や文化、階級や階層の分岐・分裂、格差をごたまぜにして「異世界」へ跳躍しようとするのは、原点から浮かび上がった領域をご破算にしてしまう惧れを感じます。今一度立ち止まって、地上の生き物としての人類が、どのような暮らし方を良しとするのか、考えてみたいと思うのですが……。

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