2019年10月14日月曜日
消える踏み跡を踏んだ気配
つい先ごろ喜寿を迎えたわたしの中学高校の同期生たちが「36会」というのをつくっている。卒業年次の昭和36年から取り、「さぼろー会」と命名して、ちょっと時代的な姿勢に反旗を翻す気分を込めている。いつごろできたか。おおむね17年程前。還暦のころだが、子細は忘れた。
じつは今日、パソコンのデータを整理しようとした。これまで年次ごとにファイルをつくっていたのだが、そのうちから、ふだん考えるともなく思っていることを抜き出して、持続的にとりだせるようにしてはどうかと、思いついた。それにはたとえば「論題」というファイルをつくって独立させ、思いつく「よしなしごと」を放り込んでおけば、時節をこえて論及して行けるのではないかと、思ったわけだ。そうして、「論題」ファイル2004をつくって、年次ごとのファイルから拾っていたら、「36会ブログ閉鎖の前に」という保存ファイルが見つかった。なんだこれは?
開いてみて、ああ、こんなものがあったのかと思い当たった。2016年の7月に、それまで使っていた36会の「掲示板」というホームページのサービスが閉鎖すると通知を受けて、その掲載記事を保存していたのだ。全部ではない。テキストだけだから、写真などは保存できていない。はじまりは2004年6月。いまから15年以上前になる。
冒頭に「書き込無上の注意」をしている。キーワードで算入できる閉鎖的な「掲示板」とはいえ、世間的に公開されているわけだから、アドレスや名前など個人を特定できる表記には注意を払うように記している。当時すでに還暦とは言え、みなITにかんしては素人だった。
書き込まれた記事を見て感心したのは、今よりもはるかに活気があった。延べでいうと十人を超える人が書き込みをしたり、写真をアップし、一人の書き込みにほかの一人が疑問を呈しそれに回答するという、文字通り「やりとり」が盛んにおこなわれている。まさしく「掲示板」としての役割が動的に果たされている。いまは、こうしたブログを見ることも適わないほど目が悪くなった者がいる。長文も多い。いまはこうした長文の意見も、読み切るほどの根気がつづかないかもしれない。
閉鎖されて後、別のサイトでブログを起ち上げた。しかし、その後そこへの書き込みは、ほんの数名になり、いまはほぼ私のブログのようになっている。もっとも、2012年からは隔月刊でSeminarを催するように展開し、そこで「やりとり」はずいぶん頻繁に行われているから、「掲示板」の用は果たしたともいえる。
年を取るということは、こうした変化をも感受することだ。踏み跡が消えても、17年間そこを踏んだ者たちの航跡はSeminarのかたちで現在に残されている。今回見つけたファイルには、そのときどきの気配が刻まれていたということであろう。面白いことであった。
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