2019年10月31日木曜日
五里霧中、街中で迷子になる快適な鳴神山
昨日(10/30)の濃霧はすさまじかった。100m先がぼんやりと見えるだけ。車の速度も控えめである。今日の山の会一行の半数は、浦和駅で落ち合って車で向かい、登山口で落ち合うアクセス行程。ところが出発してすぐに、車のnaviは何度も「左へ曲がります」と声をあげて、あらぬ方向を指し示す。「おいおい、東北道はそっちじゃないよ」と嗤いながら、勝手知ったる浦和ICへ踏み込む。
ところが、東北道に入ってすぐ、車線全部が車で埋まって止まっている。なんと、濃霧で久喜インターと佐野インターのあいだが閉鎖されていると「交通情報」。でもこうなってしまっては、仕方がない。ゆるゆるとすすむのにしたがう。別ルートの関越道をとった車はどうなったろうと、同乗のメンバーが電話を入れる。今、嵐山だと言い、やがて寄居だ、あと10キロで目的地だよという。そちらは? ええっと、こっちは浦和インターを入ってすぐの所、とこちらの状況を知らせる。岩槻に近づくと、岩槻インターから向こうは通行止めであると表示が出ている。インターの出口に押し掛けた車も、その先の北へ向かう一般道が渋滞していて、動いていないことがわかる。naviはとっくにこの情報を承知して関越道の方へ行けと示していたのだ。「おいおい、そっちじゃないよ」と言われていたのは、私の方なんだね。
車の動きがいいのは大宮へ戻る路線。そちらから圏央道へ向かおうと、渋滞を背に一般道へ出る。白岡久喜ICへは、やはり渋滞している。桶川のインターが加納と北本と二つあるが、naviに出ない。上尾方面へ向かおうととりあえず川越方面に車をすすめる。五里霧中で街中で迷子になっているみたいであった。ここで同乗者が上尾に住んでいたことが幸いした。「あっ、その先、左、そうそう」とnaviの役、上尾市内を走る。ここまでで、出発してから2時間。もう笑うしかない。と、別動隊から「いま登山口に着いた」と電話が入る。そこで「吾妻山に登って、登山口まで下りてきてください。その頃には私たちも、そこへ着けると思います」と返事。縦走は省略することを決めた。
北本桶川インターから圏央道を経て関越道を走り、北関東道で太田薮塚ICで降りて、桐生市の吾妻公園へ着いたのは、10時15分。kwmさんとkwrさんが山頂から降りて来たのはその10分後。山頂はたくさんの地元の人たちでにぎわい、皆さん散歩をするように、この山に登っているみたいという。じっさい、下山してきた二人連れが「気を付けて」と私たちに挨拶して帰途につく。あるいは、車でやってきた高齢者が「お先に」と言って、登山道へ踏み込んでいく。「いや、面白かったよ。岩場があってね。男坂が2つもあったよ」とkwrさんがmrさんに話をしている。「桐生の街が眼下に見えてね、いい山だった」と、これもkwrさん。
2台の車で鳴神山の駒形登山口に向かう。11時5分、登り始める。kwrさんは疲れをみせず、ゆっくりした歩度で先頭を務める。台風に押し流された流木、崩れた崖が大きく道を塞ぎ、その一部を片付けて傍らに歩けるように踏み跡がつけられている。登山道に斜面に沿うようにちょっとした大きさの石が斜めに並んでいる。大水がつくった造形のように見える。沢の水は多いが、もう濁っていない。
あまり手入れのされていないスギ林を左に、右に沢音を聞きながらのぼる。大きな岩が現れ、ごろた石を踏みながら沢床を歩いているようになる。と、また、スギの林が現れ、緩やかに標高をあげていく。上から降りてきた人を見ると、一週間前下見に来たとき、台風で傷んだこの道の整備をしていた方だ。向こうさんも私を憶えていたようで、「ああ、今日皆さんをご案内ですか」と挨拶を交わす。そうか、今日も上まで上って登山道を見ている。まるで山守のようだ。少し後で降りてきたペアが先を歩いている人たちに「女性は山を歩くと若返るから」と言葉を交わしている。私の顔を見ると「山頂の山小屋があるの、知ってます? ぜひ覗いてください」という。この人たちも、鳴神山の愛好者らしい。
kwrさんは本当に時計で計ったようにコースタイムで歩く。50分歩いた「水場」に切り株の椅子があり、そこでお昼をとる。11時55分。汗もかかない。空気が乾きすぎてもいない。風もない。日が当たっていないが、心地よい。自分の輪郭を意識することなく、いまあるここに溶け込むようにほぐれてしまっているのが、好ましいのか。そんなことを考えている。
水場から先が急登になる。と言っても、道はジグザグに切ってあったり、階段状にしつらえてあるから、難儀は感じない。やはり大きな岩場を回り込むと、上空が明るくなり落葉広葉樹のあいだから青空が見える。そろそろ肩の稜線に出るようだ。先頭を歩いていたkwrさんが「上からみると、紅葉しているのがよく見えるね」と声を上げる。黄色に変わっていた木の葉に加えて、茶色の木の葉が日差しに照らされて緑の木々の間に輝く。ところどころに緑のネットで囲んだ区域がある。レンゲショウマやカッコソウなどを保護しているとある。シカの食害に悩まされているようだ。山頂部には「アカヤシオを護るために」、何本もの木の幹にナイロンテープを巻いて、食べられないように手を入れていた。
これもコースタイムで、稜線の方に着く。「山小屋」が目に飛び込む。3坪くらいの掘っ立て小屋。戸を開けて中を除くと、「祝 なるかみ小舎完成 2017年7月 雷神山を愛する会」と記した横断幕が壁に張られてあり、中央のテーブルには「桐生タイムス」という新聞が置かれている。その記事の一面には、「シカの食害深刻化/鳴神山のカッコソウ/愛する会が保護地にネット」とある。山小屋とは言うが、この保護のために登ってくる人たちの拠点なんだ。登ってくるときに出会った人たちは、この会の人たちなのだ。台風で荒れた道を整備するのは、いわば「おまけ」。ご苦労様です。
鳴神山が雷神山と同じだとわかる。雷=神・鳴=鳴神=山なのだ。そう言えば、双耳峰のそれぞれにある山頂の鳥居には「雷神神社」とあった。地元の人たちは雷神を祀っているようだ。ふと思ったが、今日は風神の出番ではなかったのかもしれない。風神が出ていれば、濃霧の街中で迷子になることもなかった。
鳴神山の主峰・桐生岳の山頂には木のベンチが6脚ほどあり、中央に、鳥居と3つの祠と(まだ緑が新しい感じの)榊様の葉が供えてある。12時55分。これも見事にコースタイム。kwrさんの歩度に感心する。気づけば、空にはうろこ雲とすじ雲の中間のような、薄く刷いたような高い雲が広がっていた。ベンチに座り日向ぼっこ。北の山々がよく見渡せる。赤城山が間近だ。遠方に、男体山、日光白根山、皇海山、袈裟丸山。その脇にあるのは武尊山だろう。西の方は、陽ざしに照り映えて見えないが、山頂の標識によれば、浅間山も富士山も見えるらしい。あの、ずうっと向こうのはなんだろう」とkwrさん。会津駒ケ岳か燧ケ岳か。そうやって山を見ながら、そこを歩いたことを思い出しながらボーっとしているのは、なんと心地よいのだろう。
「そろそろ行きますか」というkwrさんの声に促されて気づくと、もう30分もぼんやりしていた。下山を開始する。下りにかかると、傾斜が急であったことに気づく。下りが苦手というmrさんも順調に下っている。ごろた石の岩場のところで、先頭のkwrさんがふと立ち止まる。「こんなところ上ったっけ」と、道を間違えたのではないかと思案している。うしろから「間違いないよ、登ったよ」と声をかける。吾妻山を往復したkwrさんが、くたびれてきているのだろう。濃霧組は、この山の往復だけだから、まだまだ元気が残っている。14時30分。これまたちょうどコースタイムで下っている。
ここでお別れして、2台の車に分乗して帰途につく。北関東道へ出るまでが、ちょっとややこしかったが、5時前に浦和駅に無事帰着。いつもそう思うが、山から無事に帰り着くごとに、今日もラッキーだったと感じる。風神にこそ出会わなかったが、街中で迷子になりながら、なんとか雷神にお目にかかることもできた。何と幸いなこと、と。
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