2019年10月18日金曜日
「能ある鷹」恐るべし――遊びの新境地
昨日(10/17)は「ささらほうさら」の月例会。今日の講師はnkjさん。演題は、「文字で聴く中島みゆきの世界Ⅱ」。 昨年12月に「文字で聴く中島みゆきの世界」を披露し、「中島みゆき」は私に鮮烈な印象を残した。2018年12月14日のこの欄で「世の中とアレルギー」と題して、そのことを綴った。長いが、再掲する。
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昨日(12/13)は「ささらほうさら」の月例会。講師はnkjさん。お題は「文字で聴く中島みゆきの世界」。彼自身が長年のファンである中島みゆきの「歌詞」を読み解いていこうというもの。そう言えば、メロディとリズムとが伴わない中島みゆきというのを、私は考えたこともなかった。彼女は、シンガーソングライターであった。歌詞もまた、それ自体として読み取れるものを持っているとhkjさんはみたわけだ。
「活字になった歌のことばは、ある意味ではぬけがらにすぎない……」という谷川俊太郎の引用をしてからはじめるものだから、話しがどこへ漂着するのか興味が湧く。谷川俊太郎はつづけてこういう。
「歌はメロディとリズムに支えられた生身の歌い手の声がことばの意味と感情を新しくよみがえらせてくれる」
これはエクリチュール(書きとどめられたことば)とパロール(口を突いて出てくる言葉)の違いを抜き出しているのであろうか。それともさらに踏み込んで、話し言葉と歌う言葉の違いを取り上げているのであろうか。
nkjさんは(中島みゆきが柏原芳恵に提供した)「春なのに」を取り上げ、柏原芳恵が歌ったものと中島みゆき自身が歌ったものとを聴き比べ、柏原の方の歌い方では「(卒業の記念にもらった)ボタン」を後生大事にとっておいて、寄せる思いが胸中に残り続けるとおもい、中島みゆきの歌い方では「ボタン」を寄せた思いとともに捨てて、次へと踏み出す姿を想いうかべたという。面白い。この対比だけでも、ふたりの歌手の歌い方とそれを聞くnkjさんの共鳴の仕方が重層的に重なり合って、彼の人生をかたどって来たのではないかと思わせる。
中島みゆきの「詞を書かせるもの」の引用が、今の私の感性にぴったりとそぐう。長いが再引用する。
「これらの詩は、すでに私のものではない。/なぜならばその一語一語は、読まれた途端にその持つ意味がすでに読み手の解釈する、解釈できる、解釈したいetc…意味へと取って代われるのだから」
まず、そう思う。反転して中島みゆきは、こうつづける。
「したがって、これらの詞は、ついに私一人のものでしかない……と。/したがって、これらの詞は、私のものでさえもない……と。/言葉は、危険な玩具であり、あてにならない暗号だ。/その信憑性のなさへの疑心が私に詞を書かせ、/その信憑性のなさへの信心が私に詞を書かせ、/そうこうするうちに詞はやがて私を、己自身に対する信憑性の淵へと誘いこんでゆく。」
いいねえ、こういう意味の反転と跳躍は。中島みゆきという歌手は、ことばの尖端で己自身と格闘している。この文章を引用して書き留めているだけで、私もまたともに格闘しているような気になってくるのが、不思議だ。この引用の文章だけで私は、中島みゆきを「読みたい」と思ってしまう。「ぬけがら」がこんなにわが胸中で跳び跳ねるのならば、メロディとリズムがつくとどう「新しく(何に)よみがえる」のか、音も聴いて見たくなる。
nkjさんは中島みゆきの詞に使われるアイテムを一つひとつとりあげて、そこに底流する「こころ」を拾い出す。それは、同士討ちをするキツネ狩りの男たちであったり、世の流れに取り残された「頑固者」であったり、「オオカミ」になれない若者や女たちであったりする。そのひとつが、私の現在をどきりと射抜く。
「世の中はとても 臆病な猫だから/他愛のない嘘を いつも ついている/包帯のような 嘘を 見破ることで/学者は 世間を 見たような気になる」
真実と対比させる嘘なんて、もはや中島みゆきの関心にはない。世の中もまた、包帯のような、それを解きほぐす程度の解析を良しとして、流れ流れていくという透徹した感性が宿る。「トーキョー迷子」になり、「鷗でも独り 見習えばいいのに/木の葉でも独り独りずつなのに」とわが身を見て取り、「涙の代わりに負けん気なジョークを言う」「サッポロSNOWY」に身を浸す。人の世って、そういうものよ、と。
nkjさんは「あぶな坂」の喩えを辿って、抜け出ることができないこの世に馴染んでいくわが身を重ねて、嘆くでもなく、ただその様子を歌い上げるばかりの中島みゆきに目を凝らす。そして、「夜会」の詞を書きつける。
「人よ信じるな けして信じるな/みえないものを/人よ欲しがるな けして欲しがるな」
「嘘をつきなさい ものを盗りなさい/悪人になり/傷をつけなさい 春を売りなさい/悪人になり/救いなどを待つよりも 罪は軽い」
昨日このブログに書いた「HOTEL SALVATION」と「解脱の家」との違いが思い浮かぶ。
この世の佇まいを生き抜くには、「夜会」の詞のような内心のエネルギーが源に据えられなければならない。それは、「世の中とアレルギーを起こしている」とnkjさんが指摘するありようを、身に備えることではないかと震えるような心持で、思っている。
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ところが「文字で聴く中島みゆきの世界Ⅱ」は、趣をがらりと変えて展開した。
まず昨年紹介した「詞を書かせるもの」から始める。書かれたことばは読み手に誤配され、独り歩きするという中島みゆきの「達観」を、さらに彼女の「言葉と孤独」を紹介しながらこう展開する。
《しかしそれでも、ときには自分の些細な思い入れと、通りがかりの誰かの解釈とが偶然少し似ている瞬間でもあるならば、やはり理屈抜きで嬉しいのだから、これでなかなか孤独というのも愚かなヤツである》
と率直な、「達観」の裡面も披露することを忘れない。中島みゆきの、この一筋縄ではいかない胸中にこそ、歌や詞で謳いあげるエネルギーが湛えられていると思わせる。nkjさんはそれを、以下のようにわがものにする。
《いずれにしても、詞や文章は表に出た途端、原作者から離れて独り歩きするのであろう。読み手は己の生きてきた過程でそれを解釈するしかない》
この「枕」が、どんな展開に結びつくかわからぬまま、一年半ほど前のnkjさんの入院とリハビリの日々の経過を語り、それにつづけて、なぜか宮部みゆきの「三島屋変調百物語四之続」の序文を引用して、語らないではいられない心中、書かないではいられない心裡を打ち明ける。
《人は語りたがる。己の話を。……多くの耳に触れ回りたくはない。しかし一度は口に出して吐き出してしまわねば……辛い。その何かが……墓の下までもっていく……墓石の下に収まらないかもしれぬという不安が胸を塞ぐ……》
nkjさんは(これを)《さらに物語にすることで、読み手の生き方の一端に組み入れる試みをしようとするのかもしれない》とわが身に引き入れて、あっと驚くような「本題」に突入していったのであった。
その仔細は、まさにその場に居合わせたものしか味わえない感懐をもたらした。簡略にいうと、こうだ。まず中島みゆきのひとつの歌「傾斜」の詞を紹介する。
「傾斜10度の坂道を/腰の曲がった塔婆が 少しずつのぼってゆく」
それにつづけて、《老婦人が坂道を登っている。杖を突きながらゆっくりとした足取りでのぼっている。名前は「さと」という。父親が「自分の生まれた土地をいつまでも忘れないように」とつけた名である。……》と展開する。はじめこれは、中島みゆきの書いた「歌詞の制作秘話」なのかと思っていた。ちがった。まったくnkjさんの創作であった。中島みゆきの詞の「老婆」に「さと」という名を与え、その命名由来からはじめて、その女性が死を迎える地点にたどり着くまでの「物語り」を、おおよそ400字詰め原稿用紙7枚ほどに記している。あとで気づいたのだが、nkjさんの名前は「さと(る)」であった。
つまり、nkjさんは、中島みゆきの詞を手掛かりに勝手に胸中に思い浮かぶ物語を設えて、読み手(聴き手)のせかいにしてしまったのであった。その「物語り」は、TVドラマにでもすれば1時間半モノになるような顛末をもつ。中島みゆきの歌に込められた哀歓が、じんわりと胸の奥に染みわたっていくように流れてゆく。しかもその中に、地方議会議員に立候補した男が「お妾さん」を囲い込んでいたために落選し、のちに「お妾さん」を切り捨てたことによって当選するという、脇道の話を織り込んで、遊んでいる。
何より驚きであったのは、nkjさんがこのような爪を隠し持っていたことであった。半世紀ほど前から40年近くにわたって半月刊誌を出していた私たちのグループで、「わたしには原稿は書けませんので」と事務局を一手に引き受けて、発行送付作業を務めてきたnkjさんが、このような「遊び」をするほどに達者であったとは、思いもよらなかった。ちょうど、固定電話も普及していない中国を何度か旅したとき、いつのまにか彼らが(日本でもまだ普及していなかった)携帯電話でやりとりしているのを見て驚いたのと同じような思いであった。なんと、なんと。
nkjさんが宮部みゆきの愛読者であることは知っていたが、まるで宮部が憑依したような「物語り」の遊びは、「百物語」に匹敵するほどの上等で高尚なことば遊びであった。
《言葉と文字は難解な話》とnkjさんの語るのが、また再び「爪を隠そうとする」所業のように思えた。「能ある鷹」恐るべし。
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