2019年10月21日月曜日

賑わいと静謐の里山


 先日(10/16)に「台風の傷跡に意気が挫かれる」と書いたら、山の会の方から「吾妻山は大丈夫でしょうか」とメールが来た。鳴神山から吾妻山への縦走を、山の会の月例山行として来週に予定している。そう言われてみて、下見しなくちゃなるまいと思った。鳴神山と吾妻山は、関東平野の最北端、桐生の街の北側にある。鳴神山はカッコソウの自生地があり、それを見るために何度か足を運んだが、いずれも自生地が近い大滝からのルートであったように思う。来週の縦走は、駒形登山口から沢を詰めるように鳴神山に登って、そこから南の吾妻山までの稜線を縦走する。吾妻山の麓には吾妻公園があり、ほんの2kmほどで桐生の駅に行ける。


 とりあえず、両方の山の山頂部までのルートだけでも確かめておこうと、車で行ってきた。わが家から1時間半ほどだ。吾妻公園に車を止めて、吾妻山の山頂まで往復する。そのあと、車を駒形登山口に回して、そこの駐車場におき、鳴神山まで往復するという下見だ。

 吾妻公園は住宅街の奥まったところにあって、50台ほど止まれる駐車場とトイレもある。止まっている車は2台しかなかった。「吾妻山→」の標識にしたがって歩きはじめる。公園には「哲学の道」なども整備され、ゲーテや論語などの言葉を標語ふうに抜きだして表示しているが、こんなのを見ながら散策するのは気分のいいものではない。私はそう思うが、公園事務所の管理人たちは、何かいいことをしたように思っているのかもしれない。標語は千慮の一失だが、緑の葉に覆われた木々は曇り空を受けてしっとりとしていて、道は悪くない。

 すぐに岩場が出てきて、男坂・女坂に分かれ、岩角をつかんで登る。一組のペアが先行する。何も荷物を持っていないところをみると、朝の散歩のようだ。上から降りてくるアラカンの女性がいる。「今日は早いね」と背中の方で声がする。いますれ違った女性と、私の後から登ってきたオジサンとが言葉を交わしている。皆さん、この山の常連のようだ。上り1時間、下り40分というコースタイムは、毎日の山歩に手ごろなのだろう。

 標高差は330mほど。岩をつかんで登るところが二カ所あるが、難渋するほどではない。私が上ったのは9時台だから、降りてくる人が多かった。山頂付近で、朝私の前を歩いて行ったペアが降りてくるのとすれ違った。「毎日上ってるんですか?」と訊くと、「いえ、毎日ではないです」とご亭主、「週に何度かですね」とおかみさんが応える。山頂では、60年配の母親と30歳代の息子の二人連れがベンチで桐生の街を眺めておしゃべりをしている。そこへアラフォーのアスリート風の格好をした単独行の女性が登ってくる。ザックを背負っている。アラカンの母親が「何分かかった?」と訊ねている。「う~ん、駐車場から39分」と応じ、母親は「そりゃ速いわ。わたしらは50分かかったよ」とやり取りしている。地元の方のようだが、アスリート風は、鳴神山への縦走をするようだ。

 その間にも何人かやってきて、降りてゆく。ルートはしっかりしている。台風の影響はまったくと言っていいほど感じなかった。朝の散歩に仕えるほどの里山なのだ。賑わっていて、交わす挨拶の声が絶えない。素敵な里山だ。

 駒形の登山口へ車を回す。naviに(地理院地図で調べた)住所をいれるが、これがどうも見当違いのところへ連れていくようだった。住宅が建て込む地区の広っぱのようなところで「目的地です。案内を終了します」とやられた。スマホを出して地図を見ると、昔の住居表示と今の表示とが違っている。配達作業中の人や買い物帰りとみられるご婦人に「駒形」と訊ねても、知らない。「県道338号線」を詰めるとみていたから、「駒形―大間々線」という県道を走る。途中で犬の散歩をさせていたお年寄りに「駒形」を訊ねると、「この道をずうっと奥まで行くのよ」と教えてくれた。

 駒形の行き止まりには、すでに3台の車が止まっている。ひとつだけの空きスペースに車を入れ、登る準備をする。ずうっと沢沿いを詰める。下山してくる若者に出会う。彼は初心者らしく、「こんな岩の山とは思わなかった。台風の影響は、ないと思う。道の整備をしている人がいた」と、達成感を込めて話をする。やがて道は岩を踏むようになり、しかし、岩登りという風情ではない。すぐ脇を水量の多い沢が流れる。前の方で何かをしている人がいる。道を整備しているようだ。「ご苦労様」と声をかける。振り向いた顔をみると、50歳代だろうか、まだ若い。台風のことを訊ねると、たいへんであったと話す。一週間かけて、今日まで整えてきた、と。流木を切り、脇へ寄せ、ルートに転んだ石を脇へ寄せた、と。あわせて、近ごろの間伐のやり方も批判していた。

 上部へすすむにつれて、沢沿いというのが、渓谷へ踏み入る感じになる。50分歩いて「水場」に着いた。その少し前に「山頂への半ば」と記した標識が掛けてある。滔々と伏流水を掬い取った樋から、水があふれる。脇の木立に柄杓が掛けてある。飲んでみる。こだわりのないさっぱりした水だ。切り株の腰掛が四つ置いてある。ちょうど12時になったので、コーヒーを淹れて、餡パンを食べる。

 そこからの上部が、急登になる。岩を踏み、急斜面の緑を縫って上るのは、心地よい。上に空の青いのが見える。稜線に出る。肩の原だ。「鳴神山」の表示がない。よく見ると、脇の木に掛けてある図表には、仁田山と桐生岳の双耳峰とあり、その傍らに、鳴神山と書いてある。それを見落として、「吾妻山→」の方へ踏み出す。と、朝方吾妻山で見かけたアスリート女子がやってくる。彼女は、なんでこの人がここにいるの? という顔をしている。鳴神山の山頂を聞くと、私の後ろを指さす。引き返して、一緒に山頂へ向かう。ここも、岩峰らしい。それも二つある。桐生岳の方へのぼると、一組のご夫婦が食事をしていた。ベンチがいくつもある。中央に、地蔵さんと祠が四つ並べて置いてある。周りは雲が垂れこめ、遠くまで見通せない。だが、奥日光の山々から赤城山、筑波山まで見えるらしい。そういう標識も立っている。しばらくアスリート女子と話し、彼女が食事にかかったので、私は先に降りる。どちらへというので、駒形に車を置いた、もしそちらへ下りるなら、吾妻公園まで乗せてもいいと話す。彼女は吾妻公園まで車で来ていて、そちらへ戻ろうか思案しているようだった。

 返事を聞かず、降りてくれば乗せるからと言いおいて、私は、先行する。ストックを使って、快適に下る。上り1時間20分のところを45分で下った。駐車場に着くと、登る途中で出逢った若者が、まだいた。何をしていたのだろう。どこかへ行ってみたのだろうか。彼の車が出てしまうと、もう私の車しかない。あのアスリート女子は降りてくるだろうか。コースタイムまで待ってみた。上で見かけた別の若い男性が降りてくる。アスリート女子のことを訊くと、彼女は吾妻山への道をたどったという。で、あなたは? と訊くと、少し下に車を置いてあるというので、挨拶をして、私は車を出した。

 思えば、吾妻山は賑わいのある里山であった。それに引き換え鳴神山は、静謐ともいえる佇まいのいい山であった。ルートは変化があり、しかも、しっかりしている。1時間20分で上り、45分で下る。これも山歩にいい山だ。桐生の人たちは、いい山を持っている。

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