2019年10月3日木曜日
忽然と現れた魁偉
10月になったというのに真夏日を記録した昨日(10/2)、ちょっとひと山と考えて、3時間ほどの山歩きに出かけた。東武線新鹿沼駅からあるいて30分ほどのところにある岩の山。その名も、鹿沼・岩山328m。東武日光線は、佐野を過ぎたあたりから、前日光とか阿蘇山塊と呼ばれる関東平野北辺の山並みに寄り添うように走っていく。その新鹿沼駅周辺の平野部に突然立ち現れて南北に2キロ足らず、標高300メートルほどの岩山が姿を見せる。
ガイドブックには「一般向き3時間10分」と紹介されている。ただ、登り口の日吉神社からC峰展望台に登ると、三番岩、二番岩、最高峰の一番岩へと辿り、どこから引き返すルートが紹介されている。そしてルートガイドの末尾に次のように付け加えられている。
「一番岩から東に行くと猿岩と呼ばれる岩壁があり、垂直に近い鎖場を下降すると入山峠に出られるが、岩登り経験がない人は往路を引き返そう」
岩登りのゲレンデとしても使われるらしい。でも、鎖が張ってあるということは、登山路として使われていたということか。ならば、まさかの時の自己確保用具と、「垂直壁」を下るときの20メートルほどのザイルをもっていけば何とかなると思って、ザックに用意した。
車で行けば1時間半ほど。すぐそばに中学校があるというから、出来れば背の登校時間が終わったころに到着するのが良かろう。7時半に家を出るという、おおよそ山歩きに似つかわしくない出かけ方をした。ところが、naviに「鹿沼市○立中学校」が入っていない。「日吉神社」はどうかというと、宮城県から大分県までの何カ所も「候補」表示が出るが、栃木県のがない。仕方なくおおまかな「住所」でいれて出発したら、道路の途中で「案内終了」となった。しばらく走り、これはきっと来過ぎていると思い交番に立ち寄ったが、鍵がかかっていて誰もいない。少し引き返して民家の人に「日吉神社は?」と訊くと、3キロほど戻って左側と丁寧に教えてくれた。
周辺は住宅地、介護施設や保育園もあって、田畑が広がっている。その行き止まりに階段があり、その上に鳥居が山を背負って建っているのが見えた。少し道路を逸れたところに車を止め、歩きはじめる。登山道入口のところに「日吉町子供会育成会」のつくった絵看板があり、「岩山をきれいにしましょう」と大書している。そうか地元の子どもたちの山ゲレンデなのか。とすると、それほど岩登りが厳しいわけではないなと思う。ジオグラフィカの地図に今日のルートをマークしておいたので、GPSの現在地を確認しながら登る。背の高いササが視界を遮る。20メートルほど先を1人若い人が上っている。荷をほとんど持っていないところをみると、散歩がてらの岩山歩きかもしれない。この人が引き返してきたら、猿岩の様子も聞けるだろう。もし引き返してこなければ、猿岩から先へ下ったことになるから、ザイルなしでもいけるかもしれないと算段する。
なるほどすぐに岩登りになる。大きな岩ばかり。岩の隙間に溜まった土が樹々を育み、背の低い広葉樹を密生させている。成り立ちからすると、逆かもしれない。海底が隆起し、長年かけて土が削り落とされ、硬い岩が露出するようになったと考えたほうが、理に適う。鹿沼地方特有の凝灰岩といわれるが、マグマが噴出して重なり堆積したように、表面はまるで軽石のように穴ぼこだらけ。手掛かりになるところがいっぱいある。踏み跡も白っぽく階段状についていて、ルートに迷うことはない。C峰展望台からは、周辺の見晴らしがいい。南の三毳山らしきところから岩船山、大平山などの山々が平野から起きだすように隆起しているのが見える。平野部には民家の屋根が陽ざしを受けてキラキラと照り輝く。鹿沼は都会地なのだ。
「二のタル」から東に下って林道に出るルートが地図には記されているが、けもの道らしきものはないわけではないが、これという踏み跡が見当たらない。でも、ここからの下山路をガイドブックは、紹介していた。標高差で150mほどを下るだけ、猿岩へ抜けないならばここを下ってもいいと記憶にとどめる。二番岩から三番岩へのルートが「迷いやすい」とガイドブックに記してあった。立ちはだかる大岩を上ってみたら、左の方にトラバースする踏み跡が見える。つまり、迂回路に気を付けていけば「迷う」ことはないよと書いていたわけだ。
二番岩に来ると、さすがに平野部は見えない。明るい緑が山を覆い、それなりの深さを感じさせる。そこを過ぎて通過する「一のタル(ミ)」にも、東への「下山道」の表示がある。ガイドブックの地図には「一のタル」とあるが、ここの木につる「案内図」には「一のタルミ」と省略されない名称が記載されている。ここは明らかに踏み跡と分かるルートが木々の間についている。このルートが「すべりやすい」と注意書きがつけられていた。
岩山の山頂「一番岩」のすぐ下に「←二番岩0・5km・0・1kmクサリ場→」の分岐表示がある。とりあえず山頂に登ってお昼にする。11時15分。ちょうど1時間半。コースタイムで、ここまで来た。「栃木百名山・岩山」の表示が岩に打ち付けてある。ポコポコと平野部に頭を出した山々が田畑を囲い込むように点在している。民家はほとんど見えない。東の方の山並みが陽ざしにまぶしくぼやける。国土地理院の標石が立つ。
20分ほどお昼に使い、自己確保の装備を付けて、猿岩の方へ踏み出す。ここから先は地図に記されたルートはない。先行した若い人が戻ってきた気配はないから、彼はあの軽装で、鎖を下ったのであろうと思った。。すぐに太いクサリを張ってある一枚岩に出くわす。ここまでの岩と違い、のっぺりとして足をかけるところがない。下の方は、苔がついているのか、緑っぽくなっている。クサリをつかんで身体を岩に垂直になるように足を突っ張って立てる。斜度はだんだんと厳しくなる。20メートルはあろうか。下半分は、降り口からは見えない。私の山の会の人たちにはちょっと厳しいかなと思う。太いクサリを下ったところから右へ行けば、さらに厳しい斜度の大岩を下る細いクサリが40メートルほど掛けられている。
しかし、途中でみた「案内図」には「迂回路」も記されていた。それを探ってみようと足元を見ると、いかにもそれらしき踏み跡が木々の間についている。細いクサリの降り口で合流するはずと考えて、そちらへ向かうが、降り口が見える辺りで踏み跡は途絶え、苔のついた3メートルほどの岩壁を降りなければならない。ザックのザイルを出せば行けなくはないが、「迂回路」というのだからもっと歩きやすいはずと考えて、ほかを探す。左へ行ってと小さな岩尾根を越すと、下の方に広場が見える。そこへ踏み込む。ちょうど先ほど降りてきた大岩の西側にあたるところが、切り落したような垂直な岩壁になっている。石切り場だったようだ。そう思ってふと、そう言えば大谷石の採石場は、この鹿沼のすぐ近くではなかったかと思い出す。しかしその先には下山路はつづいていない。ここかと思ったところには、細いロープを張ってある。下るなと言っているようだった。
もう一度、降りたつ点を探るが、細いクサリの方にはみつからない。ままよ、この方向と定めて木につかまって下る。幾メートルか下ったところで、やはり垂直に近い壁に突き当たる。仕方がない。ザックから20メートルザイルを出し、立木にぐるりとかけて下に垂らし、身体に巻いて懸垂下降を試みる。7メートルほどの岩だが、下の方にやはり苔が緑っぽくついて、滑り易かった。下に降り立ち、ザイルをザックにしまって、ここぞと思う踏み跡を辿る。谷の方に下らず、左の尾根の方に行ったのが、結果的には良かった。下に車道が見えている。尾根が終わり、車道に下る斜面に乗る。背の高い草をかき分け、車道の降り立つ。ホッとする。
下っている途中で聴いた人の声は、車道の向かい側にあるゴルフ場の人たちの話声であった。岩山の東側にあるゴルフ場のなかへ踏み込み、その脇道をたどって登山口の方へ向かったのは、まったくジオグラフィカの地図とGPSのお蔭だ。ゴルフ場から離れ、林道に出会い、平地をたどって出発点に戻ったのは12時45分。出発してからちょうど、3時間の行程であった。
この岩山、私の受けた印象でいえば、平地に忽然と現れた魁偉であった。子供会の絵看板があったから余計にそう感じるのだが、この山で子どもたちを遊ばせるというのは、大人たちによほどの覚悟がいる。筑波山の女岳への岩道を保育園児が泣きながら登っていたことを思い出す。あれは微笑ましいと感じていた。しかしこの岩山は、あのように楽天的に大人はみていられないだろう。なるほど岩はごつごつとして手がかりや足掛かりは多い。だが、降るとなると、どこをどうつかむか、どこに足をおくか、ほとんど見えないから、子どもを連れた大人は気が休まる暇がない。「タルミ」からの下山路をとるとしても、ルートを探しながら木につかまって下るのは、容易なことではない。筑波山の女岳は、下りにロープウェイをつかうことができるから、上りだけの岩場はオモシロイとみて済ませることができる。まさに「魁偉」。日吉神社のご神体だけのことはある。
簡単な山であったように思っていたが、思った以上に身体に負荷がかかっていたようだ。帰宅してシャワーで汗を流し、ビールを冷凍庫に入れて冷やしている間に、ソファーで寝込んでしまった。カミサンが帰ってきて目が覚め、冷凍庫に入れたビールのことを思い出して、慌てて冷蔵室に入れ直した。すぐに飲もうという気にならなかったのは疲れていたせいか、といま思う。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿