2020年1月10日金曜日

カナリアを育てる(2)父親殺しを乗り切る作法


 ドイツ帰りの兄の方が身を置いている「N高等学校」については、事情が少しはわかるような気がします。

 定時制もそうですが、フリースクールなどは服装規定もありません、校則もこれというほどのことは何もない。生徒の身をおく状況が、校則どころではないと教師が見ているからです。さすがにタバコを吸ったり酒を飲んだり、暴力をふるったり、ゆすり・たかりをすることは「処分」をしましたが、服装規定はないし、茶髪であろうが、ピアスをしていようが、咎め立てするようなことはありませんでした。
 フリースクールに「厳しい校則も制服を着る義務もない」ことを、何か特段のいいことのようにとりあげるのなら、定時制の事例も取り上げればいいのにと、皮肉を交えて思いました。だがそれでは、たぶん、この記事を通して記者が言いたいことが伝わらないと考えているのでしょう。
 なぜか。
 上記の「……義務もない」につづけて「先生が特性に合わせた授業をしてくれるところが良い」と記しているからです。定時制は学習意欲を充たす場とは(社会的には)考えられていない。つまり記者は、学校は(特性に合わせた才能を伸ばす)学習こそが学校の目的であって、それ以外の制約から生徒を解き放てと言いたいようです。

 
 親の生活が安定していて、暮らしの基本的な習慣と規範が落ち着いていれば、子どもはそこそこ育ちます。いくらか逸脱したりグレる時期はあっても、道を踏み外すことはしないものです。この記事のケースも、図書室の好きな弟の兄ですから、公立の学校にいくかどうかにかかわりなく、才能が溢れ出ているのでしょう。生活習慣も独立不羈の精神も、たぶん、遜色なくかたちをなして受け継がれているに違いありません。生活の安定も親の期待もひとしお。結構なことです。大いに才能を伸ばす道を歩いてほしいと思います。
 
 だが、世の中の3割ほどは、親の暮らしが必ずしも安定的とはいえません。親の離婚もあったりすると、子どもの生活習慣が安定的に営まれない場合もあるでしょう。経済的な貧困と才能とが比例するとは思いませんが、親の学歴とか文化的な暮らしの在り様とある程度の相関関係があることは、経験則的にいえることです。さほど才能があると思えず、生活習慣も自律に程遠く、親の暮らしさえ不安定な、文化的資産に恵まれない子どもたちのことをも視界に収めねばならない大手新聞の取材記者のスタンスは、このドイツ帰りの家庭のケースを手放しで称揚するのでいいのかと思わないではいられません。
 
 学校の椅子に落ち着いて座っていられない子どもの大半は、生活に必要な挙措動作のしつけができていません。親はとても子どもにかまう暇はなく、ほぼ放置放任です。小学校に通うようになってから、子どもたちのあいだでもまれたり、教師に叱られたり褒められたりして、かろうじて学校の「生活習慣にともなう規律・規制」がこの子どもたちの振る舞いの歯止めになっているように、私は考えています。なかには学校生活に適応できず不登校になる子どももいるでしょう。何の不思議もありません。いま喜寿を超えた私が子どものときは、おおむね皆貧しかったけれども、家庭の生活習慣と地域や学校の生活習慣とにさほどの齟齬がなく、子どもはそれを身に付けるのに困惑することがなかったからかもしれませんね。
 
 学校の校則のほとんどは、古い日本社会の子育てのセンスに満ちています。前回、生活指導や生徒指導は教師たちの本務ではないといいましたが、教師たちも自分が育ち、あるいは親としてわが子を育てた経験的なことから、指導法を繰り出しています。とすると、高度経済成長後の成熟時代に育った教師たち(の生活習慣や規範)もまた、時代の変容に翻弄され、落ち着きどころを見失うような不安定さを抱えて教壇に立っています。そのとき教師たちが唯一、共通して抱いている規範感覚は、ホームルームとかクラスルームという集団の規範を保つことです。それが同調圧力を加えるものだとしたら、そういうふうにして生活習慣と規範を安定させ、その教師の世代は自己形成してきたと言えるのかもしれません。
 同調圧力が問題だと非難してもいいのですが、だとしたら、なぜ教室の秩序を維持するのに同調圧力しか効果をもちえない(現場)のかを解析して、論じ切ってみてはどうなのでしょう。私は「同調圧力」という概念に同意しません。皆が同じことをすることが不可欠なのではなく、皆が行うことを妨げないことが必要なのです。そのとき(小学2年生の)子どもたちが、同調しない子を「ヘンな子」と言ってイジメたり排斥したりすることは予見できます。それはヒトが自らを人として落ち着ける一つの方法だからです。教室を管理する立場からみると、場の秩序を保つということと皆が振舞いを同じようにするというのとは必ずしも同一ではありませんが、集団生活においては、規制が入ることもよくあることですし、必要なことなのです。集合や整列や集団での移動などは、そうでなければなりません。
 でも「同調圧力」と非難されているのは、そういうことではありませんね。クラスとか学年とかの集団行動でなくても、友だちや何人かの同級生という人たちに歩調を合わせることを強要されるということを指していると思います。それは、孤立してでもわが道を行くことを選べばいいのです。作家の重松清も、寺地はるなも、そういう局面を切り抜けた子どもや親の姿を描いています。それこそ、独立不羈の精神を培う絶好の機会ともいえます。それがいじめに発展したりするのは、むろん、それとして対処する必要がありますが、やはりそれとして向き合えばいいのではないかと思います。
 
 ところが時代の変化は大きく、家庭での子育てもずいぶん様変わりしました。古い共同体の仕組みが若者たちを受け容れるだけで自ずから躾けることができていたのは、大人世代が共有していた暮らしにおける生活規範や挙措動作・作法が、おおむねの共通していたからです。しかしそれは、高度経済成長のあいだの暮らしの多様性によって、ばらばらになってしまいました。
 例えば学校という場においては先生のいうことを聞かなくちゃいけませんということさえ、子どもに躾けられなくなってきています。これは学校における教師の振る舞いがダメになったからではなく、学校が社会の変化に追いつけず、家庭の学校への要求が先鋭化したからと、私は考えています。
 
 まずなによりも、「学校がつらい」という生徒の思いを汲んで、子どもにとって居心地の良い状況で過ごさせたいと、この記事の記者は願っています。だが子どもが身に付ける生活習慣と規範は、子どもの居心地の良さと順接するようにかたちづくることは、必ずしもできません。親を真似て育つ子どもは一様ではありません。また子どもは、子ども同士の関係の中で自ら落ち着きどころを会得していくものだからです。子どもは集団の中でもまれて、社会的な振る舞いの仕方を憶えていきます。そのとき子どもは、自分なりに経験を教訓にして、ときに自己を規制し、欲求を抑えて、関係を築くものです。自分が居心地がよいことを優先すると、気づかぬまま他者を損なっていることもあります。それを、場を見極め、自分を位置づけて振る舞いをしていくことこそ、社会性というものです。「つらい」ことがないように大人が場を調えてやることでは、ひ弱なカナリヤしか育たないのではないかと、私は心配しています。
 
 振り返ってみると、わが子を慈しむこととわが子に居心地の良さを保障することとには、ずれがあります。わが子を慈しむ親の視線は、その場、その時の子どもとの関係・振舞いに現れます。しかし同時に親は(子どもが一人前に暮らしている姿を思い描いて)、子どもを育てようとする想念が背景に胚胎し、それが事態を慮って、作動しています。だから危険なことや社会的禁忌、つまり生活習慣と挙措動作・作法や規範を組み込んで、身体で教え、躾けているのです。
 しかし、わが子に居心地の良さを保障する視線には、社会的な関係を組み込んだ作法を躾ける感覚はないのではないでしょうか。いやじつは、それほど明快にわけられるほど、ヒトは自分の振る舞いを対象化してみているわけではないかもしれません。ただ世の中の潮流がことごとく、ヒトの快感原則を充たすように仕組む方向へ突き進んでいます。そこには、あたかも子どもが自身の快感原則で生きていけると思いこんだ(大人世代の)人生観が反映しているように見えます。そしてまた、そのように育った子ども自身が自らの身の置き場に困惑して自分探しをしていると、今の若い世代が見えるからです。
 
 親世代の話に戻すと、たぶんこの辺りから、人それぞれという育て方の違いが分かれるのではないかと思います。親が身に付けてきた生活習慣と挙措動作、規範、人とのかかわりにおける作法などと、そのヒトの持つ自然観、人間観、社会観、世界観が絡まって、たぶんご本人にもはっきりとデザインすることのできない道へ踏み込んでいるのではないでしょうか。
 
 ほんとうに子どもをかわいがり、自分の名と同じ音の名前まで付け、大切にもてはやして育てた親子のケースを一つ、私は聞き知っています。
 父親は東大卒の優秀な教師でした。子どもも優秀で公立の名門校に入り、たぶんそこで自分よりも優秀なたくさんの同級生に出会って、ショックを受け、自信を喪失したと世間的にはみています。引きこもりとなり、家庭内で暴力を振るうようになり、ついには父親が息子を殺害するという悲劇に至りました。最近耳にしたエリート官僚の親子のようなケースの、ハシリのような事例です。
 一概には言えないのですが、親というのは子どもが超えていく壁になり、結果的には踏み台にならなければだめなのじゃないか、と思いました。壁になる親は数多います。でも、結果的に踏み台になって、子どもが乗り越えていく関係を取り結ぶのは、どうしたらいいか、親と子の具体的な関係に踏み込んでみてさえ、難しいものがあります。
 まずなによりも、子どもが独立不羈の精神を持たねばなりません。「親殺し」と心理学では恐ろしい用語を使いますが、父親が子どもに慕われるよりは踏み越えられるようにして、子どもというのは育っていくのだと思っています。もちろんそういう時期があるということで、大人になってからは互いが独立したものとして、ほどほどの距離をとりながら相互関係を友好に保つことは、ありうべき姿です。
 
 ちなみに私の世代が親世代を踏み台にするのは、そう難しくありませんでした。何しろ親世代は、戦争をして日本を敗戦に導いたのです。善し悪しは別にして、戦中生まれ戦後育ちの私たちは、GHQの占領政策に乗せられて「民主主義の新生日本」をイメージすることで、親世代を超えたと思いました。また、1960年代後半以降の高度経済成長を、製造現場で担ったのが私たちの世代です。それが高度消費社会を達成し、一時はアメリカを凌駕したと思われただけで、快哉を叫んだ世代となりました。バブルのときは50歳の少し前。働き盛り、世の製造現場の主力だったのです。
 だが振り返って考えてみると、私たち世代の自己形成は、敗戦といい、占領といい、食糧難といい、新憲法といい、ことごとく自然現象のような所与の「環境」でした。つまり意識的に親に反撥し、親とは異なる生き方を手に入れて自己形成したというよりも、アメリカ文化というカウンターカルチャーがすんなりと身に沁みこんできたのです。しかも食糧難の下、親世代が懸命に養ってくれていたことも含めて、生活習慣や立ち振る舞い、社会的な作法・規範は、親世代から身をもって受け継いできていました。親の偉さに敬服しつつ親に反撥するという「父親殺し」の難局を、軽々と乗り越えたように思えます。子どもにとって所与の条件とはいえ、無意識に身に備えたことは幸運であったと、いま思います。
 
 ところがその私たちと後続の団塊の世代の子育てがぐらつき始め、一億総中流化と言われた時代を迎え、高度消費社会に突入するに連れて、子どもたちの諸症状として現れて来たのではないか。私たち世代の子育てが間違ったというよりも、人類史上最も贅沢な多数の人の暮らしを実現したという社会状況の変容がもたらした遺産です。消費者主権と欲望を先取りし開発する資本家社会的なコマーシャリズムが、それに適応しようとするヒトを変えていったのです。
 どう変えたか。それを次回とりあげましょう。(つづく)

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