2020年1月11日土曜日
カナリアを育てる(3)社会が変わり、ヒトが変わる
人類史上最も贅沢な多数の人の暮らしを実現したという社会状況の変容がもたらした遺産です。消費者主権と欲望を先取りし開発する資本家社会的なコマーシャリズムが、それに適応しようとするヒトを変えていったのです。
どう変えたか。
(1)心地よきことを求めるのは正しい、という感覚が一般化した。
(2)資本家社会の交換過程に委ねる快適生活が、普遍化した。
(3)上記の社会を生き抜くには産業能力の開発が第一という観念が行き渡った。
(4)社会インフラは、上記を邁進する個々人の障碍を取り除くように整えられるべきだ。
(1)の心地よさは、人それぞれに違いがあることを前提にします。ヒトの多様性というと、カッコはいいのですが、それは家庭の暮らし方の「型」をも変えてしまいました。家族が一緒に同じものを食べる、ともに何かをするという生活パターンが消えていったのです。
その行間には、ほぼ徹底して個人主義的な考えが貫かれています。個人の選択・自己実現・自己責任。つまり、子育ては徹頭徹尾、親の責任である、社会に迷惑をかけるな、と。育つ子どもにしてみると、ことごとく、本人が選び取った道であり、結果についても自分で背負うしかない、と。子どもは社会が全体で育てているという観念は、姿を消したのでしょうか。子どもを保護していた(父権主義的な)家庭の保護膜も、いつしか薄くなっていました。
ついで、(1)(2)が作用して、早くて、安く、らくちん、便利、という商品とサービスの開発が急加速で進展しました。欲しいものはお金で手に入る。貨幣があらゆることの可能性を象徴し、貨幣を手に入れることが自己実現のもっとも手近で確かなルートだと、社会の隅々まで行きわたるようになったようでした。これは(3)と連動して、産業能力主義の競争へと人々を駆り立てていきました。またそれは逆に、産業能力の優位性こそ自己の証のように受け取るエリートが誕生し、世のため人のためという古来のエリートの精神性が消失してしまいました。
もう一つ見落とせないのが、(2)の結果、家庭のもっていた基本的な生活習慣が蒸発していったことです。食事を家で作るよりも、外食する、スーパーやコンビニで総菜を買ってきて、食卓を彩る。一緒に食べるよりも、個々人の都合に合わせ、好きな時に、銘々が好きなものを口にする。家庭生活の基本パターンが失われ、集団で生活することに生じていた振舞い・作法も崩れていった。
つまり、家庭生活の中で、自ずからかたちづくられ継承されていた生活習慣や振る舞い・作法、規範が伝わらなくなったのではないかと(3割くらいの家庭を想いうかべて)思っています。
(3)こそが、学校を襲った圧倒的な風潮でした。
言うまでもなく近代化の過程で私たちは、個々人の持つ才覚が出世につながるという漠然とした感覚はもっていました。しかしそれはヒトが生きること、人生そのものとは少し違ったニュアンスを持っていたように思います。
利口であることと賢いこととは区別されていました。才能と才覚、知識と智恵にも異なる意味合いが籠っていました。利口であるとは、素早い、はしこい(敏捷)という言葉に通じます。そこには他人と比べるニュアンスが入っています。しかし、賢いというのには、他人と比べるというよりも、それ自体で尊重される大切なことという価値が付与されています。
つまり、才能というと他人と比べるものではなく、それ自体が価値をもつものとしての「徳」のイメージがありました。それが西欧の智恵知識と接するようになって、知的であることとか教養として、人々に受け容れられていったときにも、他人と比べるというよりも、人格を高めるという価値の方が尊敬され、称揚されていたと言えます。
それが、人的資源=産業能力の開発という教育路線に転換してから、学校教育への圧力は先鋭化しました。人的能力を産業能力に特化したと言えば、先鋭化の意味合いがお分かりいただけるでしょうか。高度経済成長や高度消費社会になるに至り、しかも一億総中流化と称賛されるようになって、すべての国民が学校に求めるものが、ここに集約されるようになりました。別に出世しようというのではなくとも、世の中で生きていくためには、高校を卒業するくらいのことはしていなければならないという社会風潮が、一般化したと言えます。
事実、産業的な競争の中で生産性が常に問われ、新規の技術開発が次へ次へと求められていたのですから、産業技術の先端部分を担っていた人たちも安閑とはしていられません。さらに1990年代の半ばからはIT世界が拓かれていきました。古い技術は捨て去られ、新しいものが求められる。古いものを長く修理して大切に使うという、かつての職人的な技は、宮大工や伊勢神宮の所作のなかに温存されるばかりになりました。それと同時に私たちの生活者次元では、使い捨てが常態化しています。メーカーにおいても、はや部品の保存期間が5年。それを過ぎると、修理しようにも部品がないのです。
学校教育への圧力が先鋭化したというのには、もう一つの側面を押さえなければなりません。産業能力の育成こそが子どもを一人前にする確かな道と思う親が一般化するにつれ、学校が産業能力育成の場として狭く考えられるようになりました。
かつては生活習慣をつくり、社会生活の作法を身に付け、読み書き算の基礎的な学力をつけて、人生の必要の土台をつくることが学校の役割と考えられていました。「一人前」にする、独立不羈の自律した人になる基礎を身に付けるのが、学校の役割でした。当然、人生の先輩である教師に対しては敬意を表して向き合いなさい(先生のいうことは聞きなさい)と教えて、学校へ子どもを送り出したものです。当然学校で「先生に叱られた」となると、「お前が悪いんだよ」とワケも聞かず、頭をぽかりとやる親が多かったわけです。
ここには、いくつかの重要な社会規範の継承が含まれていました。ひとつは、子どもは未熟である(翻って大人は一人前である)という社会秩序の規範です。さらに、社会生活には身に備えなければならない振る舞い・所作・作法があるという規範。それ加えて、読み書き算という知的力が社会生活に不可欠だということ。そして付け加えれば、安定した生活習慣をつくることが、ヒトの暮らしを落ち着かせるという知恵です。
このかつての、家庭と地域と学校を通じて継承されていた社会規範の伝達が様変わりしたということは、上述の社会規範自体が崩れ始めたということでした。学校は勉強を教えてくれればいいんだよ、余計なしつけとか作法とかは放っておいてくれと、親が詰め寄る話も耳にするようになりました。給食のときに手を合わせて「いただきます」というのは、宗教行事を押し付けるものだと非難する親も登場しました。
学校の教師は、親がエラクなったと皮肉を交えて言葉を交わして苦笑いしていましたが、じつは、笑い事ではすみませんでした。親は、学校よりも塾の方が学力が伸びると考えて、子どもたちを放課後に塾へ行かせるようになりました。子どもにとっては、ダブル・スクールです。荷が重い。それだけでなく、子どもたちにとっては、勉強は塾で教わること、学校は友だちとにぎやかに過ごしながら競い合う時間として、教師から教わる要素の部分が産業能力的に序列づけられることへと変質していきます。イジメが発生する基盤を醸成しているようなものです。あるいは、「才能に応じて学ぶ」ということが行き渡ると、子どもの内心においては「好き放題にしていい」ことに変わっていきます。教室の秩序が崩壊するわけです。こうして生まれた混沌に、いま学校の教師は向きあっているのです。
「(4)社会インフラは、上記を邁進する個々人の障碍を取り除くように整えられるべきだ」について触れておかねばなりません。
(a)いつのころだったか、1960年代の末頃だったと思うが、道路に空いていた穴に躓いてけがをしたヒトが裁判に訴えて、勝訴したという報道がありました。道路管理者の管理責任が問われたのですが、ええっ、道を歩くときに穴が開いているかどうかくらいは、自分で注意するもんじゃないかと驚き、かつ、何かイヤな変わり目を見ているような気がしたことを憶えています。
(b)あるいはまた、最近だったと思いますが、放課後の小学校のグラウンドでサッカーをしていた子どものボールがフェンスを飛び越え、ちょうどそこを自転車で通過していた老人にあたって倒れ、後遺症が残ったことが民事訴訟になって、当の子どもの保護者に損害賠償の判決が出たという報道もありました。
1960年代の(a)の話は、舗装もされていない道路がそちこちにある時代を過ごした私たちにとっては、自分で注意しないといろいろ危ないことは避けられないという社会通念がひっくり返るようなことでした。それが道路管理者の管理責任となったということは、道路はことごとく舗装されて歩くに注意を必要としなくなったことを意味します。
ヒトは安全であることを前提にして歩けるということです。動物的な感性さ世っと様相が変わっています。え、鈍ってしまいますよね。社会インフラがそうなってくると、自分を世界に位置づけてみるという、マッピング、つまり自分を外部からみる視線が希薄になっていきます。ことばを代えて謂うと、わが気分のままに振る舞って不都合は、社会インフラがどうにかしてよと、外へ依存する生活感覚が身に付いていくのです。時代はちょうど、高度経済成長が勢いを増しているときでした。
社会インフラの一つとみなされている学校が、わがままな子どもの登場に悩まされ、なおかつ、その事態に応えることを迫られたのは、そう考えると当たり前だったのかもしれません。子どものわがままは、先に述べたように、家庭や地域や社会の規範が変わる波に乗って、多様になり、かつ、どんどん変容していきます。学校現場では、どうしてこんな子がいるの? と驚きの連続であったかもしれません。当時はやりの映画に模して言えば、「教師はつらいよ」ですね。
ところが2010年代の(b)の話は、少し様相が違います。事件の概略しか知らないので、細かいことに立ち入って考えているわけではありません。
戦後の混沌を想いうかべながら考えると、まあ、サーッカーボールがぶつかったお年寄りは、気の毒ではあるが、不運でしたね、と思います。
しかし(a)的な社会通念でいうと、放課後とは言え学校のグランドならば、フェンスが低かったことが(予測できた)事故を未然に防ぐ一番の管理責任として、学校管理者=行政に賠償責任を負わせることになります。
ところが(b)は、当の子ども(の保護者)に賠償を命じています。(a)と(b)との間には、個人が社会から見放されて自己責任を問われているような変化が見られます。「放課後学校に残って遊んではいけません」と日頃注意していたのに、この子は注意義務に反して残っていたというのかもしれません。あるいは日頃、「サッカーや野球をしてはいけません」としていたのかもしれません。
しかしこの訴訟の全体を見ると、子どもを社会全体が育てているという観念がなくなっていると感じます。子育ても、まったく家庭の全面責任というのですね。放課後とは言え、子どもをどこかに預けることができるのは小学校中学年まで、4年生からは学童保育もなくなります。家に閉じこもっていろというのでしょうか。あるいは、それでも親が子どもの一つひとつを管理しろというのでしょうか。少子化に歯止めが利かない理由が、透けて見えているようです。あるいは、ひょっとして子どもも独立した市民としてきちんと振る舞うことができると想定することが一般化しているのでしょうか。それなら、教育なんてことは無用の長物になりますよね。
もうひとつ気になるのが、「偶然」ということが(この訴訟の訴える側にも、判決を出す側にも)算入されなくなっていることです。人の世には、数多偶然があります。だがなぜか、(4)の考え方が広まるにつれて、「偶然に」何かが起こることが、受け入れられなくなっているのかもしれません。逆にそれは、人工的な構造物や仕組みは、ことごとく完璧につくられているという妄想が普遍化したのかもしれません。(つづく)
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