2020年1月5日日曜日

アクシデントにもめげず


 トラブルではなく、アクシデントでしたね。でも、捻挫もトラブルとして受け止めると、「かんけい」に手を入れる教訓になると「分解の哲学」者は言っているようです。
 
 捻挫をした当人とばあちゃんを宿において、2時間ほどの雪山山歩に出かけました。息子一家の親と孫二人と。昨日(1/3)わたしが下見をした1時間半ほどのルート。ゆっくり歩いても2時間と踏んで、出発。全員壺足。ところが、孫たちは雪が降り積もるところへ来ると、寝転んだり、雪をぶつけあったりして、前へ進みません。この先にも、雪はわんさとあるのにと思うが、親が一緒になって遊んでいるから、まあ、こういう子育てをしているのだと思うばかり。


 それでも、踏み跡もない山に入ると、先頭を歩きたがり、こちらが後ろから「あの、向こうの、大きな木の右側を目指して……」と方向を指示する。膝まで埋まりながら、ゆっくりと斜面を登ってゆく。草臥れると先頭を交代する。

 大きくジグザグに上るルートに来る。ショートカットしていい? と聞く。頷くと、急な斜面に取り付く。身体が全部埋まるようになって、滑り落ちる。ストックの両端を両手でもって雪面におき、体重をそちらにかけて、膝を押し上げる。這うようにして上る。孫たちは体重が軽いから、容易に上がるが、こちらはそうはいかない。膝で雪を固めてそこへ爪先をかけて、身体を引き上げる。

 その上の急斜面は手強くて、私はジグザグルートを回る。孫と親たちは、急斜面に挑戦する。結局回り道をした私の方が、先に上に着くが、そんなことはかまっちゃいない。滑りながら身を引き上げるのが面白くて、取り付いている。きゃあきゃあとはしゃぎ、アハハ、アハハと笑う声が、静まり返った山中の雪の林間に響く。

 ジグザグルートの一番高い所と、上を走る金精道路のガードレールとが近づくところがある。金精道路は先月の下旬から車の通行は禁止。下見のとき、その上に上がるのに私の手先がやっとガードレールにかかるくらいであった。小さい孫には届くまい。こちらの膝を貸して、押し上げてやろうかと思っていたが、近くにプラスティックのビールの空き箱がいくつも置いて、網をかけて立ち木に縛ってある。そこから箱を一つだけ抜き出し、足場にすると、妹孫も手を伸ばしてガードレールに手が届き、身体を持ち上げる。ほかの後続も、同じようにして金精道路に上がった。私は、ロープで、ガードレールの支柱とビールの空き箱とを結んで、雪や風で箱が飛ばされないように結びつけてから、上に上がった。舗装路の上には、昨晩降った雪が15センチほど積もっている。昨日私が歩いた踏み跡は、跡形もない。先に上がった妹孫は雪の上に横になり、母親に雪をかぶせてもらって、「わたしゆきおんな」と声を出している。「あっ、おれも」と兄孫が後に続く。時計を見ると、もう1時間40分になっている。

 舗装路の雪上に初めての足跡をつけながら下るのも、おもしろい遊び。雪を丸めて投げつけようとするが、道路上の雪はサラサラとしていて、ボールにならない。ガードレールの向こう下の方に、湯ノ湖の広がりがキラキラと陽ざしを跳ね返して輝き、その一段下に雪の戦場ヶ原が、まるで湖のように開けていて、高山の一段低くなった峠の先には中禅寺湖が、茶の木平の山並みを背景にして一望できる。

 小峠への分岐に来て泉源へ下る道へ入る。兄孫はルートをはずれて、ササの上につもった急斜面に踏み込む。私は下山路を先回りして、兄孫の先は崖になっているよと告げる。兄孫はルートを変え、一番下の「立入禁止」区域に向かう斜面に移る。「行けるけど、途中からこちらに降りてね」と「立入禁止」区域へは踏み込まないように注意する。妹孫も続いて、そちらへ踏み込む。親たちは、このルートを知らないから、気の配りようがない。私が下の方へ先回りして、ブッシュの上の雪面へ踏み出して、こちらへおいでとジェスチャーをする。兄孫はそれを見ていて、うんうんと頷く。大胆だが慎重。妹孫に気遣いながら、急な斜面の雪とブッシュを滑り降りてくる。大冒険というわけだね。

 こうして2時間40分も掛けて、宿に戻った。捻挫孫とばあちゃんはすっかり待ちくたびれて、「何かあったのか」と訊ねる。ま、この親子はこういう遊びをしているんだねと私が報告する。

 いろは坂の下の中華料理店で昼食を済ませて、順調に4時ころ浦和に戻ってきました。ばあちゃんは帰宅するとすぐに、夕食の準備。わんさと唐揚げをつくる。去年1キロをぺろりと平らげたので、今年は1・5キロをつくったが、これもほんの少し残すだけとよく食べました。孫の世話は草臥れるが、何か手ごたえのある世代交代の感触が心地よい。いい正月であった。

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