2020年1月9日木曜日

カナリアを育てる(1)抑圧のとれた(?)不登校


 今日(1/9)の朝日新聞朝刊のトップは「カナリアの歌(7)」の最終回。不登校の問題を取り上げている。何より新鮮なのは、ここで取材されている不登校の子どもたちの、自宅や菜園でくつろぐ様子が顔出しの全身写真で掲載されていること。ああこれで、不登校は不名誉なことでも内緒にしておくことでもなくなったと、私は思った。大きな時代の変わり目を見ている気持ちだ。


 思えば『非行・暴力・登校拒否』という新書本が三一書房から刊行されたのが1980年。あれから40年。それまで高校生の主要な問題行動は非行であった。学校内で窃盗や暴力を繰り返す。徒党を組んで教室秩序を攪乱する。その徒党が徐々に影を潜めて個々の生徒の逸脱になり、明らかに「非行」の兆候である服装や髪形が薄まるとともに広まって、非行少年と普通の生徒とが区別がつかなくなっていきつつあった。

 反面、ふつうの生徒たちが学校を長期欠席する。「登校拒否」と呼ばれはじめ、家庭内で暴力をふるう。引きこもりの兄が妹に暴力をふるうようになって、母親が学校の教師に相談に来るというケースもあった。メディアでも取り上げられ、学校の画一的教育がわるいと論議されたり、いや世の中の学力主義が問題とされたり、家庭の教育が行き届かないと俎上に上がったりして、親も当の生徒も、肩身の狭い思いをした時代だ。大多数は、変わらず学校に通っていた。今でもそうだが。

 世の中は、しかし、ちょうど高度経済成長の精華を摘み取って味わおうとしていた時代である。頑張ればそれなりの果実を手にすることができる。世をあげて、自律・自立、自己決定・自己実現・自己責任が問われる時代になりつつあった。それにうまく適応できない「落ちこぼれ」もいるだろうという程度にしか、見なされていなかったように思う。あまり関心を払わなかった。

 当時、すでに定時制高校の教師を15年程務めていた私にとっては、目新しいモンダイではなかった。学区に、ヤクザとテキヤの縄張りをともに抱えていたこともあって、「非行」は片時も目の離せない「課題」であった。学校内のゆすり・たかり、いじめや暴力沙汰も日常茶飯事。親にも見放され、「非行」で逮捕された弟が、少年院で兄と久し振りに出逢うという笑えない話も、職員室内で取りざたされた。だから、豊かな社会になって来たから「ひきこもり」が頻発しているとは思いもしなかったし、学力主義が不登校の原因になるなどとは、思いもよらなかった。

 定時制において頻発していた長期欠席の主たる要因は、(1)非行、または、遊び。グレる。(2)家庭が崩壊している。子どもは厄介者、あるいは、親の暮らしの糧として働かされる。(3)勉強が嫌い。あるいは、できない。などであったろうか。それらが、複合しているケースも多い。

 だから学校を立て直すのに教師たちは、まず、生活習慣を安定させようとする。仕事を持つ。遅刻をしないで休まず学校に来る。授業が終了したら、SHRを行って掃除をする。欠席したり遅刻をする生徒には担任が面談をしてその都度状況を確認する。そのとき上記の(1)や(2)が判然とする。(3)は、学校生活状況が落ち着いてから浮かび上がってきたことであった。
 (1)は、彼らの屯する場所に足を運び、友達ともども話をする。ヤクザやテキヤの関係者と話しをして、学校へ来るようにすすめてもらうこともした。家庭裁判所へ足を運んで、就学状況を説明することもあった。
 (2)のケースでは、父親のあまりに厳しい対応を諫めるために何度か対応したが、頑として息子を家へ入れようとせず、困り果てる教師もいた。あるいは、娘の稼ぎを酒代につぎ込み、拒むと母親に暴力をふるう父親もいた。ついには娘を住み込みの仕事に変わらせ、住まいを秘匿したが、父親が学校に押し掛けて「担任を出せ」と喚き散らすこともあった。
 上記のどこにも、「豊かな社会」の面影はみられなかった。だがこのころに家庭内暴力と登校拒否とが一体になった事例が出来し、相談を受けて家庭訪問を繰り返したことがあったから、いま振り返ると、1970年代を通じて徐々に、子どもの育ち方が変わり始めていたのだと思う。それは、社会が変わり始めていたことでもあったろう。

 ついで、(3)に取り組む。読み書きの仕方をはじめ、小学校の国語能力と計算能力からはじめて、中学校卒業程度の力をつける教材を120階梯に渡って用意し、教師が二人教室に入って特別授業をおこなった。あるいはある一人の生徒。自動車学校の実技は受かったのに、文字が読めないために法令と構造のペーパーテストが20数回も受からないという生徒がいた。担任が放課後に「問題集」の冒頭部分の文字を全部覚えさせ、やっと期限の半年が来る直前に合格させたこともあった。学校生活がある程度安定してきたときからこれに取り組んだが、教師たちが生徒の生活能力を付けようと懸命だという「熱意」だけは生徒たちの多くに伝わって、それが「(この学校の教師をそれなりに)信頼」する規範の醸成につながったのだと思う。

 さて、話しを今日の朝日新聞の企画記事に戻す。この記事では、二つのケースがとりあげられている。どちらも不登校から脱出した事例。一つは、父親の転勤でドイツで6年間ほどの幼少時代を過ごして日本の公立小学校に転入し「不登校」になった。「納得できないルールが多すぎた」という。「休み時間に図書館で本を読みたかったのに、全員運動場で遊ばなくてはならなかった」。母親が教師にそのわけを尋ねると、「学年の決まりですから」という応答。「袋状の筆箱はだめ、箱型にしなさい」ということにも、その理由は「学年の決まり」と返って来ただけと事情を記す。大見出しは「理由なきルール」「型どおりの授業」「学校がつらい」と、学校の理不尽を掲げる。この兄も学校に馴染めず、「ネットによる映像授業と個別指導」を掲げる「N高等学校」のフリースクール的な様子を、この記事は、好感をもって紹介している。

 この母親がどういう言葉つきで小学校の担任教師に問うたのかわからないから、何とも言いようがないが、「学年の決まりですから」という応え方は、普通の大人の会話ではない。啖呵を切ったように見える。この母親がドイツ帰りであることをひけらかしているように担任教師が受けとめたことだってありうる。黙っていても、ドイツ帰りの優秀な親の子どもだとわかっているわけだから、母親の問いかけが、端から問い詰めに思えたのかもしれない。取材記者の思いを経由しているから、この担任教師の木で鼻を括る様な応答が日本の小学校の常態だとしたら、小学校教師がよほど防御的に身構えをしなければならないほど、世間からの圧力と、教育行政からの、背中から弾を打つような圧力が強まっているのかもしれない。

 小学校のその学年がどのような事情で「休憩時間は全員運動場で」と決めているのか、私は小学校経験がないからわからないが、狭い運動場を学年交代で使えるように考えているのかもしれないし、いろんな学年が入り混じって起こるアクシデントを避けようとしているのかもしれない。あるいはそのとき、図書館を開けているほどの(司書を置く)人員配置ができないことなど、教師の配慮や学校の都合を想いうかべる。それを話しても、「子どもが図書館で本を読みたいと言っているのだから、それに対応してくれ」と母親がいっているのだとしたら、「納得できないルール」と言えるかどうか。「理由なきルール」と決めつけられるかどうか。記者は「裏付け」をとったのだろうか。

 記者・山脇岳志は、立命館アジア太平洋大学の出口治明学長に「多くの学校現場で理由がよくわからない校則が存在することに怒りを覚える」と言わせている。もし出口がそのように言ったのだとしたら、ちかごろ流行りのチコちゃんなら、ボーっと生きてんじゃねえよと、啖呵を切るんじゃないか。私たちの暮らしにも、理由がよくわからなくなっていることは多い。それに「怒りを覚える」のは、わがままなんじゃないか。それともボーっと生きているからじゃないのか。私なら、そう考える。大学の学長ともあろう方が、わがままは言うまい。とすると、「怒りを覚える」前に自分で考えてみろよと毒づきたい。

 もちろん、長いあいだの学校や教師の習性で、なぜそうしているか考えなくなっていることも多かろう。それは、一つひとつ丹念に拾い出して吟味しながら改めていけばいい。ことに、時代が変わることによって無用になるもの、障害になることもあろう。それと同時に、世間的の規範が移り変わっているのに、学校が追いついていないこともあろう。例えば、髪の色を染めることとか、女子高生が化粧をすることとか、ピアスやミニスカートなども、もうすっかり世相が変わってしまった。そもそも学校というのは、世間的な規範をまとって生徒を育てているものだから、何時でも、時代の変化には遅れる。それを遅れていると非難したり、理不尽分と呼ばわったりするのは、学校が社会システムのなかで守っているポジションに無頓着であるからだ。

 これは、後半の論題と関係するが、小中学校というのは、そもそも、不易流行の不易の部分を担当している。知的なことに関して言えば、読み書き算の土台作り。文化的な伝統のかたちづくられてきた蓄積、人類文化のベーシックな共有資産を伝承することが主たる任務である。これは一面では、言葉を通じて受け継がれるというよりも、具体的な場面における挙措動作と、ことばの遣い方による関係への位置づき方の体得であるから、いうならば理屈ではない。他方で、これからの人生で使われる言葉を身に付ける。ことばというのも自分のオリジナルのではなく、社会的に広く流通する、いわば共有の財産を身に付けるから、なぜその言葉がそのように使われるのかを問題にすることなく、習得することになる。ところが、ことばを通じてヒトは感性や感覚を育て感情を身に付け、あるいは理屈やそれの交通によって他者と意を交わす方法とその効用とその影響によってヒトが傷つき、あるいは救われる思いを、これもやはり身に付けていく。しばしば理屈ではなく、そうすべくしてしていることも、数多含まれる。学ぶ当人が好む好まないにかかわらず、身につけなければならない。まずここに、当人が承知するかどうかとは別次元の、文化の伝承という役割を学校は負わされている。それゆえに義務教育と呼ぶのだと私は考えてきた。

 しかし、その義務教育の上に築かれる高等学校というのは、次元の違う立ち位置を持っている。小中学校の集団生活を通して、理屈抜きで、無意識に身に培った言葉や感性や感覚、社会関係の紡ぎ方、立ち居振る舞いなどもろもろのことがらを、一つひとつ丹念に問い直して、なぜそれが正当/正統と考えるか、どうして自分はそのような感性を持ち来っているのかと吟味するポジションにある。それが同時に、青年期における個我の意識が高まることと並行しているから、自己の輪郭を描き出す作業でもある。「じぶん」が何者であるかをつかみ取るというのは、「せかい」に自らを置いてみるということである。いわば、自分を超越する目をもって自己を見つめること。自己対象化の作業がベーシックに行われる教育過程が高校教育である。そういう意味で、集団と個人との関係や、社会関係の中に自らを位置づけて「じぶん」や「せかい」をとらえる自己形成の時期といえる。

 しかし、そういう理念的な教師の思いが伝わるに、現実の高校という場面は、まことに難しい問題に直面する。まず「教える―学ぶ」場面をつくることができない。出席、常ならなかったり、落ち着いて机に座っていることができない。お喋りと遊びと気の向くままにその場にいることを承認してもらいたい気分を、丸出しにして授業に臨む。注意をするとうるさいと怒鳴り返す。何だよお、文句あんのかと教師を脅す。あるいは、教師のパワハラだと反撃に出る。このような教室状態が大げさでない学校や教室は、底辺高校に行くと結構多い。中堅どころの学校でも、ときどきこうした事態が暴発することがある。つまり、この教室に顔を出している人たち共通の場であるという意識がなく、「じぶん」がここにいることを、理屈抜きに全面的に認めてくれと叫んでいるような子どもたちと謂おうか。それに日常的に手を焼いている教室が、3割以上の高校ではあるんじゃないかと、昔のことを思い出して私は推算している。

 教室秩序が成り立たないというのは、上記の乱暴狼藉が横行する場合だけとは限らない。実際にはもっと多くの高校で、個々の生徒の挙措動作が、教師の提示する授業の運びを意に介さず、それを中断したり掻き回して頓挫させたりしてしまう。集中しないということだけではない。生徒が50分間の座学に耐えられない。自分の関心以外の展開に、我慢できない。気分がどんどん飛び跳ねて、逸脱してしまう。つい先ごろもPISAの調査結果で話題になったが、日本語の読解力が低下しているという。佐伯啓思にいわせると、青少年ばかりでなく「社会の国語力が低下」したと謂われる。つまり学習指導要領にいう授業の展開についていけない生徒たちが大量に高校に在籍して、「学んで」いる。

 だが教室において、とにもかくにも「学ぶ態勢」に入るために教師が払っている労力は、じつは、教師の本務とは考えられていない。知らない人が聞いたら、驚くであろう。高校では、生活指導とか生徒指導と呼ぶ領域のの手間暇である。指導要領でもそれを「特別活動」と次元の違う領域においている。教員養成課程の大学の授業でも、その名称のまゝに一講座がもうけられている。ホームルームの担任をしたり、体育祭や文化祭、遠足などの校外行事、その他の学校行事を取り仕切ったり、生徒会活動を行ったりすることをどう運ぶかと考える講座だ。だが、教室の秩序をどう維持するかということについて言及する所論を、私はほとんど目にしなかった。教師志望の学生たちの提案を聞きながらセッションをもったこともあるが、彼らから教室秩序を問題にする提案はまったくなかった。たぶん彼らは、そうした教室秩序が混乱するような高校生活を体験したことがないからだ。まして、学習指導要領を策定する学者や高校教師や文科省の役人たちも、そうした混沌とした学校を経験したことがないのであろう。でも現実には、3、4割の学校では教室を成立させるために手を焼いている現実がある。見えていないか、見ようとしていない。その変化の重大さに気づいていないだけなのだ。

 つまりそこにはすでに、日本社会の文化的階層化がしっかりと出来上がっていて、生活指導や生徒指導などモンダイ児が出来するのは、例外的なこととみなしてきた日本の学校教育の長い経歴がある。長い間日本社会では、家庭と地域がそれを取り仕切り、社会の気風が自然にそうした教育を施していたと言えよう。日本にきた欧米社会の人が「日本では若い者に対して(大人が)ひどく甘いのに、どうして、世に出ると(若者は)急に一人前の社会人として通用するのか」と疑念を起させる、ある種閉鎖的な(共同体的な)空間の規範が作用していた。その社会規範が、豊かな社会の実現とグローバル化の進行によって、崩れたのだ。

 朝日新聞の「企画記事」に登場する親たちは、いわば文化資産を十分に蓄え、子どもたちに受け渡しすることのできる人たちである。学校は、子どもたちの知的関心を育成するだけで良い。余計なことで子どもに掣肘を加えてもらいたくない、と考えていると思われる。その人たちは、だから、フリースクールでも一向にかまわない。これが、明るく全国紙の一面トップに写真付きで登場するようになったわけであろう。

 だが、学校の加えている掣肘が、はたして社会の加える掣肘とか、企業の加える抑圧とか、国家のもうける制約というのと、どこがどう違ってくるのか。それらの掣肘や圧力や制約抜きで、これからの社会を生きていけるのか。保護的に育てることが伸ばす能力と、そうであるがゆえにどこかで躓いて頽れるメンタリティと、若者たちの将来は不透明であり、不安定である。そうしたことも含めて、じつは、子細に論じなければならないのではないか。(つづく)

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