2018年6月30日土曜日
見苦しく生きのびるか潔く散るか
6/25にサッカーW杯の熱狂が、一人一人に分かたれて拠り所のない人たちの「愛国」のはけ口になっているのではないか、と言った。今朝の「日本vsポーランド」戦への反応をみていると、もののみごとに応援している人の人柄が浮き彫りになっている。いや、話題にしているのは、攻撃をしないでパス回しに終始していた日本の「消極戦術」10分のことだ。苦虫を噛み潰したような顔をして気持ちの落ちつけ所を探り、「でもまあ、決勝リーグに行けたからねえ」と自分に言い聞かせるように応えている。
2018年6月28日木曜日
映画『万引き家族』とドラマ「あにいもうと」
二本、映画とドラマを観た。ひとつは今評判の『万引き家族』、もう一つはTVドラマ「あにいもうと」。どうしてこの二本を、ここに並べてとりだすか。「家族」とそこに生じる人と人との関係をテーマにしているからだ。前者はカンヌ映画祭の賞を受賞したという評判、後者は6/25に放送されたドラマ。
2018年6月27日水曜日
絡まり合っている関係――沈黙に如くは無し
昨日TVを観ていたら、日大の田中理事長という方が内輪の場所で(なぜ記者会見しないのかについて)「あのバイキングなどに笑いものにされますからね」と喋っているのが目に止まった。「バイキング」はいつもお昼を食べながら私はみている。世間の話題を下世話に拾って、いわば庶民感覚とのずれをとりだして笑い飛ばしている番組である。田中理事長の言は、まさにその通り。虎視眈々と笑いものにしようと狙っているような造りをしている。TBSやTV朝日のように賢い人たちが啓蒙的にコメントする番組と違い、出演者の身を通して井戸端会議的にやいのやいのいうから、喋っているタレントの身柄が表れてくる。だからじつは「笑いものにしている」のは出演者自らでもある。そこが、田中理事長には見えていないと思う。
2018年6月25日月曜日
「時代が似ている」という感覚
今年が明治維新から150年。私は今75歳。ということは、ちょうど明治維新から74年目に生まれて76年目に突入している。ほぼ半ばである。ところが大澤真幸という社会学者が、明治維新以降の時代を25年ごとに区切って、第一期、第二期、第三期とやると、敗戦後の25年毎の第一期、第二期、第三期と時代的相貌が似ていると指摘している。その戦前の第三期が、1918年頃にはじまる日本の全体主義の時代と重ねられると、近頃の立憲主義もへったくれもない行政府の暴走が思い浮かんで、「似たような時代」を歩いている気になる。とすると、敗戦後、私たち親の世代が愚かだったから戦争に突入したんだと感じてきたことにかぶせると、今度は、私たちの世代が愚かだったから、こんなになっちゃったんじゃないかと、わが息子たちの世代に謗られることになる。ふと、そう思った。となると、なにが「似たような時代と思わせる動き」にしていったのか、自省的にみてみようと思った。
2018年6月24日日曜日
医療と政治と社会常識
家族ぐるみの付き合いをしている友人の息子が入院していると聞いた。つい先日も顔を合わせたが元気そのものだった。精巣腫瘍が見つかって手術したという。えっ、なにそれ? ホラ、爆笑問題のタナカ君って子、あの子と一緒よと親は笑う。笑うが、目は笑っていない。苦笑ってこういうのを言うんだろうか。そういえば相方のオオタって子が「おまえカタキンだろ」とジョークを飛ばすのを思い出した。
2018年6月22日金曜日
私の2045年
シンギュラリティが2045年に起こると見立てたのはカーツワイルだが、もちろんそのとき私は、生きてはいないだろうと考えてきた。生きていたら103歳、そうか、私の母親は104歳で身罷ったから、おおよそ不可能な数字ではないかもしれない。ところが最近、ひょんなことから、私の2045年問題が降りかかってきた。
2018年6月21日木曜日
猫の目の幸運――田代山・帝釈山
今日は夏至。一年で一番昼が長い。はたして猫の目のように天気が変わる梅雨空に、陽の光が顔を出すかどうか。その梅雨のさなかに歩く山は「予報」が頼り。一週間前まで宿の予約もしなかった。そして一週間前、両日とも「曇り、降水確率20%、降水量0mm」とあり、宿とレンタカーを申し込み、同行者から「二日目の山は?」と返信があった。ところが三日前には悪くなり「降水確率80%、降水量0mm」となり、いやな感じ。台風もやってきているというので、なお、不安が募る。そして出発の前日、なんと一日目は「晴、降水確率10%」、二日目「曇り、降水確率10%、降水量0mm」となり、何と幸運なといそいそと出かけることにた。台風は熱帯性低気圧に変わっていた。
2018年6月18日月曜日
古文書の人相書き
今月の「ささらほうさら」は古文書の勉強であった。講師はmsokさん。彼自身、やむをえざる理由によって古文書を五年ほど勉強してきたという。それを少しばかり開陳しようという試み。やむを得ざる理由と、それを引き受ける成り行きというのが面白い。msokさんはこう記す。
2018年6月15日金曜日
もうノスタルジーのマルクスか
映画『マルクス・エンゲルス』を観に行く。原題は「若きマルクス」。もう半世紀以上前になるが、私が若いころに「若きマルクス」と呼んで好ましく思っていたのは、哲学するマルクスであった。「経哲手稿」や「ドイツ・イデオロギー」などに豊かなふくらみを持たせる視線の奥行きは、人間をとらえる感覚の確かさに裏打ちされているように思った。だから、政治活動としての(政治党派に象徴される)マルクス主義が付随させる苛烈な階級的敵対関係の排除してしまう人の息遣いが、わが肌になじまないまま、ストレスとなってまとわりついていた。当時私が勉強していた宇野経済学の哲学的基礎が余計に、実際的な場面において党派的な立場をとることをためらわせ、政治的なかかわり方に対する批判をことさらに強く持たせることになったと、いまにして思う。「若きマルクス」は「マルクス主義」とは違うんだ、と。
2018年6月13日水曜日
2018年6月12日火曜日
シルクロードの旅(補)変化途上の人間の悲哀
昨日(6/11)シルクロードの旅の打ち上げ会があった。久々に熊谷まで足を延ばし、駅近くの民家の中の料理店で会食し、同行した人の編集したビデオを見、写真を頂戴し、旅の味わいをたのしんできた。私は、この「旅の記録」を16ページに収めてパンフレットにし、皆さんにお配りして勘弁してもらった。そうしてふと、書き落としていると思い出したことを記しておきたい。その料理店から駅へ戻っているとき、私が横断歩道を渡ろうとしたら、誰かが「危ないよ! ここは蘭州じゃないからね」と声をかけ、やってくる車をみながら皆で笑った。それほどにシルクロードの道路は「歩行者優先」が徹底していたのだ。
2018年6月11日月曜日
人が存在する前の「世界」
カンタン・メイヤスー『有限性の後で』(人文書院、2016年)を読んでいる。きちんと論理を追うとむつかしいが、大雑把に何を問題にしていると読むと、面白い「論題」を取り上げていることが分かる。昨日、『おらおらでひとりいぐも』の主人公が、46億年の地球の誕生以来の「世界」に自分を位置づけて考えていることを、私と同じだと記したが、その、人の意識が誕生する前、言葉が生まれる前の「世界」は存在したのかと問うている。
2018年6月10日日曜日
社会関係からくる男女の性差もチョッピリ感じて
若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(河出書房新社、2017年)を読む。芥川賞を受賞したときに図書館に「予約」したのだったか。半年遅れの到着。一日で読み終えた。
2018年6月8日金曜日
一息ついている
昨日「シルクロードの旅」を書き終えた。そこへ、旅をコーディネートしてくれたOさんから「下山祝いをしましょう」とお誘い。11日(月)に熊谷まで出向いて、残金の始末をし、写真を交換する。私は、そこにこの「旅の記録」を届けることができる。ホッと一息である。
2018年6月7日木曜日
シルクロードの旅(12)石窟を彫る荘厳さと儚さ
黄河三峡ダムの上流、柄霊寺はスポット観光地だ。ウリは石窟。莫高窟をみていたから、またかという気分があった。だが違った。石窟が開かれたのは北周の、似たような時代であるが、莫高窟のように保護されていない。千五百年もの間、風雨にさらされてきている。にもかかわらず、残されている仏像の肌合いの滑らかさ、表情の柔らかさ、姿態のたおやかさは、ちょっと息をのむような気配を湛えていた。みることができるものは(高いところのものは足場もなく)限られていたが、風化するままに放置されてきたことが、いっそう、人の営みの(長年をかけて石を彫るという)厳かさと、にもかかわらず(風化に耐ええず)崩れ落ち朽ち果てるという儚さを湛えていて、見ているものの気持ちをすうっと引き締める。
2018年6月6日水曜日
シルクロードの旅(11)2000年の時空の旅
陽関の入口に「ポプラ」の木に関する看板が目に付いた。「胡楊(populus diversifolia)」 と表示し、「胡」の字から、西域から伝わった植物と知れる。姿形は多変化し「千奇百怪」、「国家一級重点保護植物」と記している。そうなんだ。また入口の城壁の前には、古代の戦闘に使われたであろう「投石機」や「城壁登攀機」「城門破壊機」など映像の三国志でみかけた「兵器」の数々の模造品がおいてある。現実と故実がごちゃ混ぜになって、私の脳裏を襲う。
シルクロードの旅(10)いやすごいなあ、人間というのは
「この暑さは陽関などを思い出しますね」と、今回の旅をコーディネートしてくれたOさんからメールが来た。昨日(6/5)の「暑さ」を指している。彼の住む熊谷では30度を超えたろうか。今朝は雨音を聞いたように思って目を覚ました。窓を開けてみると、自転車置き場の屋根が濡れている。久々の雨。気温も、昨日とは打って変わって低い。いよいよ梅雨に入るのだろうか。
2018年6月5日火曜日
目から鱗――日本の雪を見直して
面白い話を聞いた。スキーの制作をしている人の手助けをしている若い人の話。今年の冬も、長野県のスキー場で、新作スキー板の試乗会を催し、スキーヤーたちの声を聞きながら、板制作の手伝いをしてきた。久々にあったので、スキー板の話になった。
シルクロードの旅(9)砂の脅威、水の不思議
敦煌の街に入り中心街を通り過ぎて南へ向かう。着いたのは「国家級風景名勝区」と簡体字で大書された「観光地」。時刻は夕方6時近いというのに、陽は高い。ゲートの正面に大きな砂山が見える。鳴沙山。敦煌の街から4キロほど南に位置する。北からの風に吹き寄せられた砂がここから南へと堆積して、沙漠帯をつくる。鳥取の砂丘などの鳴き砂と違い、風に吹かれて砂同士がこすり合わさって静電気を発生し、それがぱちぱちと(なのかさらさらとなのか)音を立てて「鳴く」のだそうだ。年間39mmの降水量、3000㎜の蒸発量とガイドは力説する。そういえば昔、楼蘭の事を記した本の中に、この地の人たちは死んだ後、砂に埋葬すると水分が蒸発してミイラとなり、そこへ魂が戻ってくると読んだ記憶が蘇る。「楼蘭の美女、発掘」とか言ったか。
2018年6月4日月曜日
シルクロードの旅(8)土曜日の賑わい
5月12日(土)、新幹線に乗る時刻は11時35分とあって、午前中ゆっくりと張棭市の「名所」を訪ねた。土曜日とあって街には大勢の人が出ている。大仏寺の前の大きな広場はコンクリートが敷き詰められ、一隅で五十人ほどの人たちが生前と並んで体操をしている。ヒップホップダンスのような動きだが、先頭の人が指導者という風情でもない。その右側には十数人の人たちが太極拳をしている。こちらは横に一人だけ飛び出ている男性が先達のような風情。なんとも健康的な人々の暮らしだ。
2018年6月3日日曜日
私の神経戦(2)まずひとつ峠を越えた
今日は「お役目」の第一回理事会。A4版16ページの「議事資料」を作成し、臨んだ。マンション管理の事務方を引き受けている会社の「恒例の説明」があるというので、10分ほどをとられた。新米かと思われる若い女性社員が、型通りに説明する。質疑がふたつあっただけ。
2018年6月2日土曜日
シルクロードの旅(7) 感嘆した七色の地貌
「地貌」という言葉を張棭丹霞の街は使っている。日本語で謂う「地形」の中国語と思っていたから、平山湖の大峡谷をみても冰河丹霞をみても、そうか、シルクロードのグランドキャニオンだなと、私の内心の納得世界の延長上に位置していた。ところが、七彩丹霞をたずねたとき、ああ、これは、地形ではなく「地貌」なのだと、わが心がジャンプして得心することになった。かたちではない。色なのだ。
2018年6月1日金曜日
久々の晴れ、気持ちはただ一筋
このところ新しいお役目で、慌ただしい。月末と月初、役員交代の時期ということが大きく左右しているのには違いない。そこへもってきて、例年のルーティンワークをチェックして(こんなことを考えなければなるまいと)考えていたことが、じつはもうすでに事務処理段階に入っていると、わかったことも、いくつかあった。引継ぎが行われていなかったのだ。前理事たちからすれば、すでに「決定し」、事務職員に処理を指示したから、引き継ぐこととは思わなかったのかもしれない。だがこちらに捺印を求められると、「なにそれ?」ということになる。「管理日報」のチェックというのも、新発見の「お役目」だ。その内容を見ていて、坦々と進んでいる事務処理もあることを知る。
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