2018年6月8日金曜日
一息ついている
昨日「シルクロードの旅」を書き終えた。そこへ、旅をコーディネートしてくれたOさんから「下山祝いをしましょう」とお誘い。11日(月)に熊谷まで出向いて、残金の始末をし、写真を交換する。私は、そこにこの「旅の記録」を届けることができる。ホッと一息である。
じつはそれだけではない。わが団地のお役目のことは、今週もけっこう慌ただしかった。一度は、「契約」の時刻をうっかりしていて、電話が来て慌てて駆け付けるというへまをやった。こんなことは、退職後、はじめてのこと。第一回理事会という来月初めまでの「仕事」を視野に収め、誰が何を担当し、どこでいつ何が行われると掌握することが順当に行われたことに、まず、ホッとしている。「議事録作成」とか、「ニュースの制作」とか、「故障」とか建物の「トラブル」を、しかるべき人が然るべきところへ連絡し、修理や手直しの方法を検討打診して、あるいは見積りをとり、あるいは「これはサービスです」と言ってもらえるような、手直し法を教えてもらう。そういうことを手際よく、担当理事がすすめている。
事務所が留守のときのパソコンやプリンタの使い方、その配布なども、担当役員がそれぞれにしっかりやっているのを私は「確認」するばかり。そういう「役割」なのだと、日々思い知らされている。昨日、防犯カメラの設置に関する「契約」をした。前年の理事が「臨時総会」をして決めたことを、年度を超えて引き継いでいる。前の担当理事が子細を取り決め、単に理事長が交代したからという理由で私は立ち会って、「捺印」する。ところが、支払い書に捺印する段になって、「通帳」の番号も名義も知らないことに気づいた。結局後で記して郵送することにして、その場は収めたのだが、翌日事務所へ行って、事務所員に話すと、彼は私が署名捺印する箇所を示しただけで、あとの処理を全部引き受けて、封筒に入れて郵送するところまで全部やってくれた。えっ? と思ったが彼は、「それが私の仕事ですから」と平然としている。そののち、銀行に行って「名義の書き換え」をしたのだが、私は理事長印を持参し、本人証明のための免許証を提示するだけ。書類への書き込みはこれまた全部、科の事務員がやってくれ、私は捺印するだけであった。つまり、「お役目」という肩書によって、なにをするか何をしないかも決まっているのだ。そして世の中は、こまごまとしたことを一つひとつきちんと片づけていく人がいて、成り立っている。
ところが銀行員は「理事長さんて大変でしょ」とくすぐる。彼は自宅周辺の町内会の班長ならぬ組長をやっているという。班長は15戸くらいをまとめる。組長は75戸ほどの組長をまとめ差配する。そこまではほぼ持ち回りだそうだ。その上には地区全体を仕切る「理事」や「理事長」がいるのだが、そこはすべて地元の名士がでんと控えているそうだ。そうか、そう言えば今評判の日大の理事長は、偉そうにしているが、何もしていないね。つまり考えている「次元」が違うのだ。
わが団地の理事長が「次元」の違いをどう体現するのか、私にはわからないが、こまごまとしてことを全体の中に位置づけて、全体がどう動いているかを「見ていること」なのかもしれない。じっさいには即座の判断が必要とされ、判断がじっさい展開の詳細をあまり硬く縛らないことも、大切なようだ。そういうことを、この身に感じた一週間でした。だんだんそれに馴染んできて、一息ついている、今日この頃なのです。小説も読みはじめました。
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