2018年6月21日木曜日
猫の目の幸運――田代山・帝釈山
今日は夏至。一年で一番昼が長い。はたして猫の目のように天気が変わる梅雨空に、陽の光が顔を出すかどうか。その梅雨のさなかに歩く山は「予報」が頼り。一週間前まで宿の予約もしなかった。そして一週間前、両日とも「曇り、降水確率20%、降水量0mm」とあり、宿とレンタカーを申し込み、同行者から「二日目の山は?」と返信があった。ところが三日前には悪くなり「降水確率80%、降水量0mm」となり、いやな感じ。台風もやってきているというので、なお、不安が募る。そして出発の前日、なんと一日目は「晴、降水確率10%」、二日目「曇り、降水確率10%、降水量0mm」となり、何と幸運なといそいそと出かけることにた。台風は熱帯性低気圧に変わっていた。
大宮から那須塩原まで、新幹線はわずか45分。レンタカーに乗って出発したのは8時少し過ぎ。しかし塩原を抜けて西会津街道を走り、会津鉄道の会津高原駅付近で南へ下って桧枝岐への道を分かれ、湯の花温泉の集落を通ってさらに17km奥へ林道を入る。舗装はしていないが、道はしっかりしている。しかし駅から90㎞ほどしか走っていないのに、2時間半ほどかかっていた。平均速度40kmほど。それくらい走りにくい山道であったといえる。
標高1417mの猿倉登山口にはすでに十台ほどの車が止まっている。この先は「栃木県・通行止め」の表示がある。「尾瀬国立公園 田代山・帝釈山登山口 福島県・南会津町」の新しい看板がある。もう15年程前の秋、栃木県側からの林道を入り、この登山口から帝釈山を往復した覚えがある。ああこれは面白い山だ、いつか山の会で案内しようと思ってきたが、あいにく栃木県側の林道は、秋の二週間しか通行できない。とうとう今回の一泊する行程になったわけだ。それにしても遠い。秋のこんな時間に登りはじめて3時過ぎに下山となると、もう暗くなってしまう。日の長い今でこその登山になった。
湿原までは1時間45分の行程。標高差510mほどをひたすら上る。紫色のアキノタムラソウのような花が可憐で美しい。陽ざしを受けた木々の緑がまぶしいほどだ。見上げると青空が雲を浮かべ、梅雨が明けたような夏の気配をいっぱいに湛えている。赤いドウダンツツジが花を吊り下げて緑の葉を彩る。陽ざしが当たるところでも、汗をかくほどではない。ゴゼンタチバナの輪郭のはっきりした花が六枚葉の真ん中に鎮座している。ちょっとペースが速いかな、最後尾のkwrさんが俯き加減で上ってくる。swさんが「チョウセンゴミシがある」と声を上げる。「???」。何でも極上の実をつける草木らしく、この果実酒は絶品とか。「朝鮮五味子」と書くそうだ。
何組かの下山者に出逢う。朝6時半ころから登ったとか、7時からというから、それぞれ出会うまで4時間。いいペースだが、地元の人だろうか、それとも前夜泊の早発ち組か。お昼を麓で食べるようになるなあと思った。1時間余で小田代小屋跡1800m。あと100m余、「そろそろ休みませんか」とswさんが言うのを、「もう少し上がってお昼にしましょう」と励まして、先へ促す。すれ違った一団の女性陣が「あと少しよ」とswさんに話す。その中の年寄りが、上は寒いですよと何度も繰り返す。そうだね、歳をとると寒さが身に染みるよねと思うが、口には出さない。上がったところは南側が緩やかな上りになった広い草原。1キロ四方はあろうか。見晴らしが利く。西北の方に雪をまぶった山並みが続いている。バイケイソウだろうか、葉が木道の縁を飾り、その間からワタスゲが白い穂をつけて一面に花開いている。リンドウが花をつけて点在する。チングルマやコイワカガミが顔をのぞかせる。
広い草原の西中央部の方に「田代山」の標識が立っている。1926m。その向こうに越後駒ケ岳や中の岳が雪をつけてスカイラインを縁取る。今朝ほど駐車場で出逢った単独行の60歳くらいが北の方からやってくる。そちらの端の方に行くと燧岳が見えるという。だが私たちはこの後帝釈山に行くから、いまわざわざ足を運ぶこともない。彼が「シャッター押しましょうか」というので、皆が並んで「記念写真」を撮る。この方、地元の人らしく、田代湿原をひと廻りして、下山していった。
田代山湿原の何頭の端にベンチがあったので、そこでお昼をとる。ちょうど12時。歩き始めて1時間35分。コースタイムより20分早い程度だ。帝釈山からもどってくる人。そちらへ向かう人もいる。「あなたもこれから?」と聞くと、「桧枝岐の方から帝釈山に登ってこちらにまわった。この方が上る時間は短い。いま戻るところ」という。なるほどそちらの方が良いのかもしれないが、桧枝岐の方へぐるりと回ることを考えると、どちらも同じかもしれない。20分ほどでお昼を済ませて、帝釈山へ向かう。すぐ先に田代山避難小屋があった。弘法小屋とも言うらしい。トイレも建てられている。このトイレ、靴を脱がねばならないのが、なんとも面倒と後に使った女性陣には不評であった。「(靴を脱げっていうのは)嫌がらせですかね」と一人が評して、面白いと思った。
「えっ、えっ、こんなところに早池峰山で花が見られず残念がっていたのがありますよ」とkwmさんが声を上げた。オサバグサという東北日本や中部日本以北でみられる日本の固有種らしい。そうえいば、早池峰山の向かいにある薬師岳にのぼっているとき、stさんが「あっこれ、オサバグサの葉ですよ」と大騒ぎしていた。そういわれてみると、群落をつくっているように何枚もの小さな葉が楕円形をして一枚の葉のように見える(羽状複葉の)草が目に止まるようにあった。その時は七月の末であったからもう花は終わっていたのだが、今ここのは見事に花をつけ、そちこちに群落をつくっている。ここにもあるよ、そこにもあるねといいながら、帝釈山への稜線を辿る。15年程前に来たときは、わりと平坦な稜線だったように思ったが、標高差150mくらい下り、また250mほど登る。ムラサキヤシオが見事な花をつけている。オオカメノキの花がそろそろ終わるころだろうか。おおっ、見事なシャクナゲが、ピンクの色の花をつけて咲いている。蕾は深い赤色をしている。ツマトリソウ、ミツバオウレン、ソバナ、クルマバムグラ、オオバミゾホオズキもあったと、(帰宅してから)写真をみながら教えてもらった。
ぶ~んとハチの飛ぶような音がする。それもかなり大きい。マルハナバチかなというと、いや、林業作業をしている音じゃないかなとkwrさんが応える。ハチにしては持続的だし、近づいたり遠ざかったりする。見上げると頭上を飛んでいる。あの、ドローンというやつだ。でもどこで操作しているのか。岩場の上りにかかって、踊り場に出ると、一人の男が先頭のwrさんと話しをしている。桧枝岐から帝釈山に登って田代山へ行こうと思ったが、ドローンを飛ばしていってきたと話しいる。私たちが今歩いて来た道を上空から10分か20分かけて行って来たらしい。30万円もするとか、墜落して行方不明になっても保険をかけてあるとか、30分ほど飛べるとか、頭上を飛ばしてついてこさせることもできるとか、通り過ぎるだけなのにずいぶんと言葉を交わす。私たちが頂上に行って戻ってくるとき、引き上げようとする彼とすれ違った。十分満足してまた、桧枝岐に戻るのであろう。
1時間15分で帝釈山に着く。山頂からは西の方に燧岳が見える。そこから北の方へかけて平が岳や越後駒ケ岳などが峰を連ねる。今日の眺望は抜群だ。10分もいたろうか。引き返す。先頭を歩くswさんの下りは速い。kwmさんは遅れずについてゆくが、kwrさんと私は、ようやく姿を見失わない程度に引き離されてしまった。コースタイム1時間のところを45分くらいで戻ってしまった。避難小屋の脇で小休止を入れ、ふたたび田代湿原に出て、反時計回りに木道を歩く。霧が出てきた。いよいよ明日に向けて天気が下り坂に入るのか。霧に包まれた田代湿原もまた、なかなか見ごたえがある。快適に下り、15時45分には車の人になっていた。いうまでもなくほかの車は全て引き上げていた。
こうして、16時20分頃湯の花温泉着。「民宿ふじや」は集落の真ん中に位置する。築120年の古民家を改修して宿にしている。周りに四つの温泉があり、そのどれに入ってもいい。敷地の中の弘法の湯というのに行った。着いたばかりのお客がいてなかなか混んでいる。ところが湯温が高く43度はあったろうか。湯桶でくみ上げて頭を洗い、汗を流し、暑いのを我慢して、湯船につかる。これでは長湯はできない。混んでいたのが、たちまち空いてくる。四つあるうちの温いのはどれと聞くと、弘法の湯じゃないかという。とうとうほかの湯にはいかなかった。朝風呂に行くと、まだ湯が10センチほどしかない。毎晩(地区の人が交代で担当を務めて)洗って、湯を入れ替えるそうだ。それが30センチくらい溜まってから使ったが、今度はそれほど熱くなかったから、温度調節もできないわけではないらしい。いい湯であった。
古民家を改修したというだけでなく、この宿の曾爺さんが田代山の開山をしたと記した写真と新聞記事がある。古くから鬼が住む山と言われていたのを登ってみると見事な湿原があり、こんないいところを皆さんに奨めない手はないと、高野山のお坊さんにお願いして「お祓い」をしてもらったので、避難小屋の名も弘法小屋と言い、この温泉の名も弘法の湯と言われるようになったと、若女将は誇らしげであった。宿の食事も、地元産の山野草を調理し、ヤマメを焼いてくれ、そばを打ってつけてくれた。あまりに多くて、食べ残したくらいだ。山ですれ違ったご夫婦が同じ宿に泊まったほかは、渓流釣りの人たちと人や男性二人連れがいただけ。そもそも五部屋くらいしかないから、これで満室だったのだろう。ご夫婦は千葉からやってきたこの宿の常連であるらしい。冬も来てはスノーシューで散歩をして回る。雪は三メートルほど積もるが、道路は除雪してあって、アクサスに苦労はない、と。いいところですよとべた褒めだ。
この宿を予約するとき私は、湯の花温泉というのは野地温泉や新野地温泉のように、宿は一軒しかないと思っていた。検索して最初にぶつかったのが、この「ふじや」。すぐに予約したら5000円という。安いなあと思ったら、それが素泊まり。「近くに蕎麦屋があります」というので、朝はパンでも持っていくかと思っていた。ところが同行する若い人がスマホで調べて「食事つきもあります」と知らせてきたので、「二食付きに変更」してもらった。この地区の宿は3軒、民宿は20軒ほどというから、集落としてもずいぶんしっかりしている。両側を山に囲まれ、中央に水量の豊富な川が流れ田圃も畑もある広い沖積平野のようになっている。霧がまき、豊かな農村の風情を湛えている。のんびり過ごすには、いいところだ。
第二日目には会津駒ケ岳に登る予定にしていたが、この雨では仕方がない。朝風呂に入り、食事もゆっくりと頂戴して、9時に出発した。近くの前沢集落を訪ねる。20戸ほどの茅葺の屋根を持つ古民家の集落だが、人口は30人というから、過疎化は来るところまできているようだ。入村するのに300円の見学料を支払う。一軒の古民家は開放して、座敷から子供部屋、屋根裏の物置まで見られるようにしている。若い人が囲炉裏で火を焚いている。これをしないと萱に虫がつくそうだ。昔の農具や、冬の馬が引く橇や山仕事に使う、大鋸、雪靴やカンジキ等も置いてある。村の真ん中にあった杉の大木が台風で倒れ伐り払うことになったという切り株が残っていた。直径は2.5メートル以上あろうか。いまは小さいお堂を建て、その大木を彫った仏像を祀ってあるらしい。
何軒かの家の屋根を拭き替えている。萱場はすでになく、萱は外国から調達して来るそうだ。足場を組み、修復の終わったうち、これから取りかかる家と、順次吹き替えているという。補助もいくらかはあるのであろうが、この集落を保つのは容易ではない。
この集落を散策して、西北へ向かう。南郷村と聞いて昔の浦和の別荘村だと分かる。いまはさいたま市の宿泊施設などもあって、小中学生などの宿泊に利用しているという。その奥にある高清水自然公園の近くに、ひめさゆりの群生地があるので見に行こうというのである。昨夜の宿の常連から聞いたそうだ。走りに走る。湯の花温泉から40㎞近く走って山への道に入り、さらに7kmほど山道を登る。広い駐車場の突き当りにテント小屋掛けの入口があり、入場料を払って奥へ歩を進めると、200メートル四方ほどの、緩やかなカール状の緑の草地が標高差20メートルほど高低差をともなって、目の前に広がる。そのそちらこちらに薄いピンクのひめさゆりが咲き乱れている。なるほど見事な花だ。木道をつくって行程路を記しているから、緑の草地に踏み込むことはないが、端から端まで、高い地点にまで上りつめるように歩くと、入場している人たちが一望できる。結構な人が来ている。こんな雨の日に、こんな山奥の辺鄙なところに、こんなに人が来るのか。ひめさゆりというのは、それほどに人を引き寄せる魅力的な花なのか。観光バスを連ねてくるほどのものなのか。知らないことを棚上げして、感心している。
観終わってから、会津田島を経由して那須塩原に向かう。なんと2時間半かかって百キロほどを走ったが、昨日、栃木県から西会津街道に踏み込んでから出てくるまで南会津町を一歩も出ていないとkwrさんはいう。つまり、この町の南側から入って西の端を経めぐって北の端に行き、東端にある田島の近くを通って抜け出るという、南会津町巡りをしていたわけだ。こんな大きな町が、山と平野と川とを抱え込み、冬場には積雪量3メートルにもなる地域で、坦々と暮らしている。人の力量って、すごいなあと、あらためて感心した山歩きであった。
猫の目のように変わる天気の中、いくつもの幸運に恵まれていたのだと、梅雨の雨の中を帰りながら思ったのでした。
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