2018年6月24日日曜日
医療と政治と社会常識
家族ぐるみの付き合いをしている友人の息子が入院していると聞いた。つい先日も顔を合わせたが元気そのものだった。精巣腫瘍が見つかって手術したという。えっ、なにそれ? ホラ、爆笑問題のタナカ君って子、あの子と一緒よと親は笑う。笑うが、目は笑っていない。苦笑ってこういうのを言うんだろうか。そういえば相方のオオタって子が「おまえカタキンだろ」とジョークを飛ばすのを思い出した。
でも元気だったじゃない、この前。
いやね、手術は簡単に終わったのよ。切るだけだから体調に障りもなくてね。でも、他に転移している可能性もあるから、この後抗がん剤治療に入るというんでね。その方がたいへんらしい、と淡々と話す。
アウトドア関係の仕事をしている息子が、お腹が痛いと言い出して近所の病院で診てもらった。すると医者が、腫瘍マーカーが出ている、ここでは細かいところまで診られないから自分の所属する大学病院へ行くように話し、行ってみると、病状の進行が早く一刻を争う、すぐに入院して手術する運びになった。セカンドオピニオンも考えたけど、その医者の話では、血管を通じて全身に広がるそうということであった。
運が良かったねえと、私が笑いながら話したのは、もう十何年も前に手術した爆問のタナカ君が元気そうな姿を見せているからだ。
じつは、抗がん剤治療の前にもう一つ話しが挟まっていた。その医者は手術をし治療に入る前に、精子凍結保存を提案したのだ。友人の息子はアラサーの独り者。万一、抗がん剤治療(の影響)で残った方の精子が不妊症にでもなったらと、心配したらしい。そうか、そこまで医者は気遣いをしてくれるのかと、私は先ごろ話題になった「強制不妊手術」への行政の対応を想いうかべていた。とっくに医療現場は個々人の人生設計を組み込んで、患者にとって大切なことを重要視して対処しているのに、行政は相変わらず、過ちを認めない姿勢を保ち続けて、とどのつまり国民の人生設計などそっちのけで、「法的に適正かどうか」だけを見て判断している。たとえ誤ったことがあっても、合法的な対応であったと突っぱねる検察の手法は、よく知られて悪評が高い。国家権力ってそういうものさと私の世代はあきらめてきたけれども、医療現場の対応を見ていると、行政も変わらなきゃならないんじゃないか。そう思った。
それにしても、じつは私たちの世論(の気分)が、それらのことをどう受け止めているかに大きく左右されるように思う。爆問のタナカ君のこともあって、私などはずいぶん軽く受け止めている。友人の息子のことが分かって、インターネットで精巣腫瘍のことを検索してみた。20歳から30歳くらいに発症するらしい。第一ステージと第二ステージの(五年後の)生存率は100%、第三ステージでも80%というから、早い処置をしておけば、その後の生活にほとんど影響はないといえるようだ。そういうことも「検索」ですぐに(真偽のほどは別として)分かるから、これも世論の形成には大きく影響しているに違いない。なにしろタナカ君の姿が何より心強い。
見舞いに行って、治療の様子を聞きながら、そんなことを話す。抗がん剤治療を一週間やってきたご当人は、談話室に点滴の吊り下げ具を引きずってやってきて、ベッドに釘付けになっているのに疲れましたよという。抗がん剤の点滴中は、何だかじぶんの身体から離れてじぶんを感じているような気がするそうだ。それが終わってからも毎日水を3リットル飲めといわれてねと、大きな2リットルボトルを持ち運びしている。私は、インドヒマラヤに入ったとき、高山病対策として毎日4リットルの水を飲むように言われ、夜中にトイレに起きることが1時間ごとにあって、辟易したことを思い出した。
ご当人はちょっとむくんだ顔をして、でも、第一期の第一セットが終わった。あと二週間に間に二セットつづけたら様子を見て、第二期の三週間セットに入る。いまはそこまででひとまず終了になる見込みだと、元気そうに話をした。
いやいやそうだよ、若い人は元気でなくちゃ。
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