2018年6月2日土曜日
シルクロードの旅(7) 感嘆した七色の地貌
「地貌」という言葉を張棭丹霞の街は使っている。日本語で謂う「地形」の中国語と思っていたから、平山湖の大峡谷をみても冰河丹霞をみても、そうか、シルクロードのグランドキャニオンだなと、私の内心の納得世界の延長上に位置していた。ところが、七彩丹霞をたずねたとき、ああ、これは、地形ではなく「地貌」なのだと、わが心がジャンプして得心することになった。かたちではない。色なのだ。
冰河丹霞をみたあと、七彩丹霞に近い街の「錦綉農家菜館」というところで昼食をとった。その食堂の壁に極彩色の山の写真(?)があった。極彩色というと、美しいと思うだろうが、そうではない。厚化粧を塗りたくったような山肌はゲッと思うほど、悪趣味。こんな色なの? 七彩丹霞は、とガイドに問う。ガイドは、今のデジタル技術はどんな色に変えるのもを加えるのもできますからね、と平然としている。レストランから10分ほどで七彩丹霞の入口に着く。まるで空港の待合室のような立派な建物。金曜日だからだろうか、閑散としている。その壁面いっぱいに大きな写真が掲出してある。夕日なのであろう、真っ赤に染まった山肌が地層をあらわにみせながら広がる風景だ。「新疆五彩湾之神奇」と中国語のテロップが出て、写真というよりはデジタル・ディスプレイなのだと思った。
ここも20分ほどバスで入る。最初の地点で下車して、手近の小山に登る。木道がしつらえられ、階段になっている。おおっ、と声が出たのは、地層に沿って違う色合いの筋が引かれて山肌に模様が施されたように、見事な色合いをしているのだ。グラデーションというよりは、幅のある一筋ごとが赤だったり黄緑だったり茶色だったり、微妙に違う色合いを上手に塗り分けていったように、山肌が色づいている。レストランで見たようなけばけばしい色ではない。やはり自然の醸し出す色合いというのは、見事な落ち着きをみせる。山肌全体が薄茶色に少し緑を加えたような絶妙な色をしているのもある。今日の午前中までに見た景観が、堆積による古い地層が風化によって削られ、上部の平らな細長い塔のようなかたちをしていたのは、堆積した地層がそのまま持ちあがって周囲が削られていったという感じだが、ここの地層は、明らかに横合いからの力によって褶曲し屈曲して地層が波打っている。その波打つ地層の、堆積して重なっている部分の色合いがそれぞれに異なり、赤や黄色や黄緑や茶色に分かれ、まるで大地の変動が音楽のように伝わりそれに合わせて地層がダンスを踊り、その興に乗じて色合いが醸し出されてきたかのようであった。いやこれは面白い。
第二のポイントまでバスで行き、またそこで降りると、今度はかなり長く、また高く上の方まで歩いていく。歩を進めるごとに、景観が変わる。褶曲によってつくられ、地層が色合いを変えている基本は変わらないが、スケールと言い、姿と言い、これまたすっかり違っていて、感嘆する。どうしてこんな地貌ができたのだろうという疑問は、胸中に張り付いたままだが、それはそれとして、こんなところが地上に顔をのぞかせているなんて、「地学」は面白いだろうなあと、思った。
第三のポイントまでまたバスに乗り、こちらは、道路に沿った稜線に登り、そこを歩いて下るとバスが待っているという順路である。もう夕方の5時近い。強かった陽ざしがいつの間にか柔らかくなり、雲も出てきた。ガイドは夕日が沈むまで待つつもりでいる。むろんガイドは、もうとっくに我々と一緒に歩くことをやめている。よほど好奇心の強い、脚の丈夫な年寄りたちを思っているに違いない。ここにきてすでに3時間半が過ぎている。最後のポイントに着く。標高で50mくらいの稜線に登って、夕日を待て、きっと素晴らしい景色が見えるとガイドはけし立てて、じぶんは入り口で待っている。稜線の上にはすでに人がいっぱい。皆さん、夕日が沈むのを待っている。登りながら、振り返ると、背中の方、南の山肌がの色づきが面白い。上るルートの右わきの方へ寄ると、東側の谷間と山肌が見え始め、ここがまた見事な褶曲のカラーモザイクをみせている。
さらに稜線に上がる。今度は北側が(バスの基点の方から)全部見え、さらにちょっとしたオアシスも見える。双眼鏡を出してみると、「丹霞七彩鎮」と記した大きな看板が立てられている。ガイドが話していた、遊牧をしていた七つの村を一つにまとめ、「鎮」として定住をすすめる「自然保護政策」の、目下進行中の村づくりらしい。遊牧によって草木が失われ、砂嵐が始終起こって、自然破壊になるという論法らしい。だが、道路をつくり、新幹線を敷き、灌漑を施して「近代化」を図ることの方がよほど「自然破壊」じゃないかと思うが、それは(たぶん)反政府的言質として禁じられているのではなかろうか。
私たちが周囲の景観にも取れている間に、稜線にいた人々が下山してしまった。というのも、雲が厚く大きく張り出し、陽ざしが隠れて、どうも今日の夕日は諦めなければならなくなったせいのようだ。確かに、この色合いに夕日が差せば、真っ赤に染めた七彩だから~と、美空ひばりの歌声でも聞こえてきそうなほどの、見栄えになるに違いない。残念だが、私たちも諦めて帰ることにした。6時であった。
そうそうひとつ、触れておかねばならない。この七彩丹霞の「地貌公園」のいたるところにスピーカーが埋め込まれ、案内のガイドや音曲が絶えることなく流れていることだ。もっとも一番頻繁に流れていた曲はキタローのシルクロードのテーマだったのだが、中国人のこのセンス。先述のレストランのけばけばしい色合いと言い、この人たちは「自然」を服従させていることに「自然保護」という意味を与えているのではないか。そんな気がした。全てを自分の支配下に置き、ドヤ顔をしている中国人のセンスは、どうやっても私(たち)のセンスと違う。それとも日本でも、昔はそうであったかな。そうだったような気もする。観光地へ行くと、どんひゃら音曲が鳴り響き、呼び子の声がマイクを通じてがなりたてていたような記憶も、私の頭の片隅に残っている。とすると、民俗的なセンスというよりは、発展途上の人の性癖として記録しておくようなことかもしれない。
ここでなんと、110枚近い写真を撮っている。よほど感嘆したのだと、振り返って思う。ホテルのレストランに戻って夕食にしtなおは、7時半を過ぎていたが、陽はまだ沈んでいなかった。だが、黄砂に霞み、まるで満月のようにレストランの窓から見えていたのであった。
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