2018年6月27日水曜日
絡まり合っている関係――沈黙に如くは無し
昨日TVを観ていたら、日大の田中理事長という方が内輪の場所で(なぜ記者会見しないのかについて)「あのバイキングなどに笑いものにされますからね」と喋っているのが目に止まった。「バイキング」はいつもお昼を食べながら私はみている。世間の話題を下世話に拾って、いわば庶民感覚とのずれをとりだして笑い飛ばしている番組である。田中理事長の言は、まさにその通り。虎視眈々と笑いものにしようと狙っているような造りをしている。TBSやTV朝日のように賢い人たちが啓蒙的にコメントする番組と違い、出演者の身を通して井戸端会議的にやいのやいのいうから、喋っているタレントの身柄が表れてくる。だからじつは「笑いものにしている」のは出演者自らでもある。そこが、田中理事長には見えていないと思う。
別に番組の肩を持つわけではないが、単純に笑いものにしているわけではないことは、日大のトンデモタックルをした選手に、ほとんど批判らしい批判をしていないことでわかる。「だいたい選手も選手だ、監督に言われたからと言って、あんなことをするなんてアホじゃないか」と一人がしゃべったのは記憶にあるが、それが追認されて拡がりはしなかった。それよりは(この選手が復帰できるように)と同情的発言が繰り返されていた。でも考えてみると、ここが実は一番大きなポイントではないかと、私は思う。
ドイツが第二次大戦後、徴兵制を採用するに際して「上官の不当な命令に対しては拒否する義務を負う」という規定が設けられ、それが誠実に実行に移されているという。そうなんだ、これができないから、戦後日本の自衛隊はいつまでも傭兵的な感覚で国民に受け止められている。自衛隊の海外派遣や集団的自衛権の合法整備に対しても、たいしてわがコトとして考えたりしていない。ドイツも戦前ナチスの暴虐に関して熱狂的に加担した深い傷を抱えている。いやそれを傷と意識して(共有して)いるところが、ドイツの偉いところだ。今の時代に合わせて「個人」の責任/義務の次元にまで落とし込んで「徴兵制」という制度を復活させていることに、彼らの「痛み」を感じる。それが日本の為政者にはない。ないどころか、戦争責任を忘れたかのような言動が勢いを増している。これじゃあ、トンデモタックルをした選手を批判する言葉は出てこない。
むろん若い選手が変容していくことを期待するのは悪くない。だが、だとすると、大人が毅然たる処断をしなくてはなるまい。サッカーのW杯の日本とコロンビア戦を観ていてひとつ気づいたこと。私はハンドで一発退場になることを知らなかった。もしアメフトのあの場面で、トンデモタックルをした選手を一発退場にしていれば、たぶんこれほどの騒ぎにはならなかったと思う。そもそもアメフトには格闘技な要素がある。これはラグビーでもサッカーでも同じだが、それが喧嘩にならないように阻止されているのは、ルールを設けて規制しているからだ。日大の監督が「(相手を)壊してこい」命令して為された(逸脱)行為は、審判が処断して阻止しなければならない。監督の指示がフェアでないというのは、それがまかり通る程度にしか審判が緩い規制を通している(アメフト界の常識がある)からにほかならない。目糞鼻糞を笑う場面なのに急に(関係者は)良い子ぶって言葉を口にするから、話がややこしくなるのだ。
順序を追って考えてみると、まずトンデモタックルがあった。その選手のモンダイ。次にそれを見て「退場」を命じなかった審判のモンダイがある。画像に残り繰り返しTVで報道される。観ている側には「なぜ?」という疑問がついて廻る。そこに浮かび上がったのが監督とコーチのモンダイ。それをクローズアップしたのが、選手の記者会見。慌てた監督とコーチの記者会見。その責任回避と居直りが(たぶん)潔くないと受け止められ、そこにもまた「なぜ?」が発生する。すると、莫大な補助金を得ている日大の財政とか大学運営とか人事権とか理事長の支配という裏事情の話に転がり、田中理事長は「笑いもの」になるしかない立場に追い込まれている。いまや、記者会見しようとするまいと、「笑いもの」になっているのだ。そこもまた、彼の理事長はわかっていない。メディアが、世間が、アメフト連盟が、教職員組合が、と田中理事長の考える「笑いものにする・かんけい」はつぎつぎと拡がっている。今や彼を受け容れてくれるのは、彼の息のかかった「内々の関係」だけ。
その「かんけい」をふと立ち止まって考えるとき、「バイキング」で憂さ晴らしをしている己は何だよと声が聞こえる。つぎつぎと「なぜ?」という疑問を発生させて、ケチをつけ、愚かさを嗤い、けなし、虚仮にして笑いものにする。こうしてただ留飲を下げているだけじゃないのか。「笑いものにされるのはごめんだ」という田中理事長の発言に(そうだよなあ)と思っている私は、単なる後期高齢者でしかない。田中理事長は、社会的な関係の真っただ中に立っている。そこには(日大を称賛し喧伝してくれる)取り巻くメディアも「かんけい」を担っていて、田中理事長の手腕を(その限りの世界でだが)称賛してくれている。なるほど理事長の発言は、「バイキング」を標的にした(内輪の)批判発言だったのかと、彼の世界の広がりを思いやっている。したたかというか、加計学園の理事長同様、庶民を欺くに、沈黙に如くは無しなのか。
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