2018年6月5日火曜日

シルクロードの旅(9)砂の脅威、水の不思議


 敦煌の街に入り中心街を通り過ぎて南へ向かう。着いたのは「国家級風景名勝区」と簡体字で大書された「観光地」。時刻は夕方6時近いというのに、陽は高い。ゲートの正面に大きな砂山が見える。鳴沙山。敦煌の街から4キロほど南に位置する。北からの風に吹き寄せられた砂がここから南へと堆積して、沙漠帯をつくる。鳥取の砂丘などの鳴き砂と違い、風に吹かれて砂同士がこすり合わさって静電気を発生し、それがぱちぱちと(なのかさらさらとなのか)音を立てて「鳴く」のだそうだ。年間39mmの降水量、3000㎜の蒸発量とガイドは力説する。そういえば昔、楼蘭の事を記した本の中に、この地の人たちは死んだ後、砂に埋葬すると水分が蒸発してミイラとなり、そこへ魂が戻ってくると読んだ記憶が蘇る。「楼蘭の美女、発掘」とか言ったか。


 黄砂が飛んでいるように、空は黄色く煙っている。砂が口から入らないようにマスクをしている人も多い。入口で靴に砂が入らないようにオレンジ色のオーバーシューズを貸し出している。雪山で使うやつのようにすっぽりと膝近くまで覆い、前で結ぶ。前から砂が入るんじゃないかと、心配している人もいる。オレンジのそれをつけて、砂山へと向かう。前をラクダが通る。うわー乗りたいなあとSさんが声を上げる。「あとで後で」と言って、まずは砂山へ登ることにする。だがじつは、この「あとで」が時間が無くなり省略されてしまった。Sさんは残念だったのではないか。

 砂山は標高差75mほど。斜面の砂を踏むとずるずると半分以上滑り落ちるから、登るのは容易ではない。ところが、ロープで木の棒をつないだ縄梯子様のものが砂の上を降りてきている。そこに爪先をかけて歩一歩と登ると、これが案外快適に身を上げることになる。ほんの10分ほどで稜線に出る。振り返ると、下の楼閣がみえ、その脇に三日月型の大きな池がある。ほほう! 年間39mmの地に、水が湧いている。この池は昔からあるらしい。敦煌の人口が多くなり地下水のくみ上げが多くなったあるとき、この池の水が少なくなったので水道を引いて水を加えたところ、池の水が臭くなった。どうしてでしょう? とガイドがクイズを出した。何だろうねと話しながら登ったが、降りる頃にはすっかり忘れていた。ガイドの答えは、水道水で池に棲息していた微小な有機物が死に、それの腐臭が漂うようになったから。つまり、生態系と自然保護の大切さを知らしめる教材として使われているらしい。

 砂山の稜線に登るとさらに向こうに、大きく堆積した山が連なり、これは南へと沙漠帯をなしている。皆さん一列になって登り、稜線に座って天下を睥睨し、ちっぽけな自分をあらためて感じているようであった。ここを降るのは面白かった。ちょうど雪山の急斜面を下るように、踵に重心を置いて、ぴょいぴょいと身を落とす。私は昔の富士山の砂走りを思い出していた。あれは1970年代の後半だったろうか。定時制の高校生ひと学年を連れて富士登山をした。何人かは高度障害を起こして登れなかったが、でも全員、無事に下山した。ところがその直後に、砂走りの道で落石があり、死亡者を出し、それ以降、砂走りは通行禁止になった。そんなことを思い出しながら、鳴沙山を下り降りた。月牙泉という名の三日月池の脇のお寺だろうか、楼閣は、面白い造りだった。丸くかたどった柱を通してみる砂山はまるで違った世界を見るような感触があった。そうか、ひとがものを観るということは、(本人が気づかない)枠組みで切りとってみているのだなと、思い知らされるようであった。

 もう七時を過ぎているが、陽ざしは高い。考えてみると、北京から3000kmくらい西に位置しているのだから、二時間ほどのズレがあってもおかしくない。起床する生活時間も変わるのだろうかと、現地の人たちの暮らしを、ふと、思う。

 中心街へ戻る。背中に琵琶を抱えて弾いている天女の像がロータリーの真ん中に置かれ、車が信号むように走りをしている。レストランに行き、夕食をとる。前もって頼んでおいたからか、それとも日本人客が多いから通例になっているのか、冷えたビールが出てきた。黄河睥酒(ほんとうは口ヘンの睥。ビール)。喉ごしを味わいながら、この地の乾燥を思った。

 レストランからの帰り、ガイドが夜店を紹介してくれた。街路一杯に屋台が並び、香辛料にはじまり、彫物、絹製品(らしきものも)、印章彫り、太鼓その他の土産を並べている。奥には焼肉とお酒を出す屋台もある。夜店に出る前にOさんが100元ずつ配ってくれたから「よし、(何か)買うぞ」と意気込んでみた。私はスカーフと琵琶を引く天女の彫物を手に入れた。買うときに値段の駆け引きをする。向こうさんは値段を提示する、う~んと首を横に振ると、「いくら?」と日本語で聞いてくる。私はまず、向こうさんが言う半値以下を提示する。向こうさんはダメという。じゃあ、いらない、とこちらもから、袖にする。「いくら? いくら?」と半値近い額を提示してくる。そこから5元引いた額をこちらがいうと、仕方がないというふうに、話がまとまる。100円程度の値引きなので、ちょっと悪いなあという気がするが、この駆け引きが面白い。この夜店、翌日も行った。このときは山椒の実を買いたいと思ったのだが、生憎どれが山椒の実かわからない。ガイドに聞くと、「花椒」と書き、ファアジャンとかなんとか発音する。掌に文字を書いて、香辛料を売っている店で見せる。通りの先を指さし、右へ曲がれと教えてくれる。そこで掌をみせると「山椒の実」を指さす。匂いは間違いなく山椒だ。粉にしたのもある。少し入れてもらうと秤に乗せ、それにいくらか加えて「4元」。「OK」。粉の方もと指さすと袋に入れ、「6元」、これもOK。言葉は通じなくとも、身振り手振りで半分は意思疎通ができる。面白い。

 じつは翌日、私も山椒の実が欲しいという人がいて、一緒に買いに行った。彼女は10元分と考えていたのだが、店の親父さんが入れてくれたのは12元分。2元分減らしてくれというのが通じない。向こうさんは、こちらが「2元負けろ」と言っていると勘違いしている。紙を出して「希望10元分。望2元分削減」と書いたが首を横に振り、秤を見せて。12元分あると力説する。とうとう根負けして、12元分買ってしまったが、ジェスチャーの意思疎通も、たいしたことないわと思ってしまった。(つづく)

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