2018年6月28日木曜日

映画『万引き家族』とドラマ「あにいもうと」


 二本、映画とドラマを観た。ひとつは今評判の『万引き家族』、もう一つはTVドラマ「あにいもうと」。どうしてこの二本を、ここに並べてとりだすか。「家族」とそこに生じる人と人との関係をテーマにしているからだ。前者はカンヌ映画祭の賞を受賞したという評判、後者は6/25に放送されたドラマ。


 評判の映画は余りすぐに観に行きたくないのだが、今回は映画の鑑賞券がひょんなことから手に入り、わが駅から三つ先の駅そばのシネマコンプレックスに脚を運んだ。ここで下車するのは、初めて。駅舎と一体になったようなつくりの瀟洒で巨大なビルが北側に向けて広がる。エスカレータで上がり、長く明るいコンコースを歩く。北側に大きな池の水面が光っている。この駅に「レイクタウン」とついているのを説明しているような光景だ。両側のにぎやかなファストフード店やいくつものファッションショップをみながら奥へと辿って3階に上がると、チケット売り場がある。いくつもの映画が掛かっているが、昨日まで(インターネットで見たら)掛かっていた『羊と鋼の森』がみあたらない。どうしたことだろう。「羊と……」は小説も読んでいて宮下奈都に好感を持っていたこともあって、そっちを見てもいいかなと思っていたので、不思議に思ったのであった。これは後で帰宅してネットで知ったのだが、「羊……」は(小説を読んでいない人には)わかりにくくて評判が悪く、打ち切りとなっているという。映画というのも、なにが評判を得るのか、わからないようだ。

 『万引き家族』は面白い映画であった。家族がとっくに解体したのちの世相を描いている。カンヌで評判をとったのも、やはり世相がそのようになり、その「かんけい」の崩壊を社会的制度で取り繕ってきているヨーロッパで、この辺りが評価されてパルムドール賞を受けたのではないか。そう思えた。最後の方で取り調べに当たる警察官・検察官や保護施設の人たちのことばは、言うまでもなく家族が保たれている世相からの指摘である。ゆるぎなく家族が成り立っているという(自らの)信頼(の根拠)に気づくことなく、壊れた家族の地平を生きてきている人たちを、優しく「保護」しようとする。気が付くと、自分もまた、優しい警察官や保護司の視線で見ていることに気づく。と同時に、ひとつひとつ(ともに暮らす)ワケが解き明かされてくるうちに、解体された時代を生きる人たちへ共感しているわが内面にも気が付く。どっちが時代を鋭く見つめているか。おまえさんはどう生きているか。そういう問いかけが、見終わった後の余韻として心裡に残る。そういう意味で、いい映画であった。

 帰宅して仕事をしている脇でカミサンが録画したTVドラマを観ていた。物語は(半ばからしか)わからないが、妹の(かつての)恋人を殴りつけている兄の、気風(きっぷ)のいいセリフが気にとまって、画面を見やった。(なんだこれは、寅さんの再演ではないか)と感じたのだ。「あにいもうと」とドラマのタイトルが表示されている。その後のストーリーは、文字通り「男はつらいよ」の一場面を切りとったのと似たような流れ。カミサンにそういうと、「脚本が山田洋二だから」と返ってきた。つまり、古い時代の(これまで私たちがどっぷりとつかって安楽に過ごしてきた)家族観が保てる関係を生きている人たちの物語であった。石井ふく子プロデューサーというのも目に止まった。懐かしい名前だ。でもこのドラマで、何か観ているものの身の裡に起ちあがる感懐はあるのだろうか。観終わってそんなことを思った。

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