2018年6月15日金曜日

もうノスタルジーのマルクスか


 映画『マルクス・エンゲルス』を観に行く。原題は「若きマルクス」。もう半世紀以上前になるが、私が若いころに「若きマルクス」と呼んで好ましく思っていたのは、哲学するマルクスであった。「経哲手稿」や「ドイツ・イデオロギー」などに豊かなふくらみを持たせる視線の奥行きは、人間をとらえる感覚の確かさに裏打ちされているように思った。だから、政治活動としての(政治党派に象徴される)マルクス主義が付随させる苛烈な階級的敵対関係の排除してしまう人の息遣いが、わが肌になじまないまま、ストレスとなってまとわりついていた。当時私が勉強していた宇野経済学の哲学的基礎が余計に、実際的な場面において党派的な立場をとることをためらわせ、政治的なかかわり方に対する批判をことさらに強く持たせることになったと、いまにして思う。「若きマルクス」は「マルクス主義」とは違うんだ、と。


 そして半世紀以上。ソビエトは崩壊し、「共産主義」はその名を冠する政党ですらポピュリズムの波にのまれて浮遊する。そこへマルクス生誕200年という「記念年」にかぶせて登場したのがこのフランス映画であった。聞くところによると、「マルクスの復権」がフランス哲学のひとつの「論題」になっているそうだ。最近では「唯物論」の実在論が声高に書肆を飾っているようでもある。マルクス主義をどう振り返ってとらえているだろう。ソビエトの崩壊をどう見ているのだろう。どんな映画になっているのだろうと覗いて見たのであった。いや驚いた。映画館は、ふだん私が足を運ぶときの二倍以上。たちまち満席になる。ほとんどみな白髪頭か薄い髪頭。紳士淑女然として上品である。

 「懐かしの左翼か」と私がつぶやいたのを耳にしたカミサンは「じゃああんたは何なのよ」と憤然としている。「私は右や左を突き抜けちゃったよ。深みにはまったんだね」と言って、フランス映画が(左翼運動をいま)どう「総括」しているか思いを巡らしたわけ。でも率直なところ、原点回帰の印象しか残さなかった。たしかにヨーロッパでも日本でも、社会の階級的亀裂は大きく広がっている。ひとたび生まれた中産階級は、高度消費社会と国民国家の幻想を拡散・強化しただけで、もはや衰退し、そのおこぼれを頂戴している先進諸国の消費者の一人として、年寄りたちは「若き自分」にノスタルジーを感じているようであった。私はどうなのかって? 言うまでもなく「以下同文」である。だが「原点回帰」で、現在進行中の富裕層と貧困層の分裂は掬い上げられるのであろうか。それほど単純に「階級」を二元的に規定して、いまの社会状況をとらえていると言えるのであろうか。

 マルクス主義の「全体主義化」、理性主義の究極のかたちとしての人為的な操作主義とそれへの人間の適応による「人間の変質」などは、資本主義市場経済がもたらした労働力人間の奴隷化に比して、「人間(性)の解放」と言えるだろうか。あるいはまた、資本主義的市場経済と社会主義的市場経済という対比が、中国の社会体制宣言とともに「話題」になっている。この中国の、資本制と市場経済を分けてとらえる歴史的視点は「経済史」からすると半面の妥当性を持っているが、では、社会主義市場経済というのは、かつて「社会主義経済」と呼ばれていたのものとどう違うのであろうか。あるいはまた、国家が介入して市場経済の動向をコントロールしようという現在のアメリカや社会民主主義を標榜するヨーロッパの資本制市場経済の動静は、社会主義の国家権力介入とどこが違い、どこが同じなのだろうか。そういう問題を「若きマルクス」はどうとらえたといえるか。

 そんなことを考えながら見ていると、ひとつ、若きマルクスは「文化」を経済的生産関係より下位にみていたと思う。プルードンをはじめ、当時の社会運動の指導者に対する批判も、「理論的」批判としての鋭さを突き出しはしたが、その指導者が評判をとっている(社会関係における大衆への)文化的影響について、まったくの配慮をしていない。槍を尽きたて、それらの死体を踏み越えてその先に「革命」が存するが如き、直線的思考は、「若さ」の「若きマルクス」ではあっても、哲学的な奥深さを湛えたマルクスではない。すぐに、のちのマルクス主義の運動が権力を握って後に全体主義化し、「人民の一般意思」を看板にした一党独裁へ突き進む片鱗をのぞかせている。つまり、近代の最先端としての理知的合理主義が、歴史的な経験の中で育んできた人と人との関係の「揺らぎ」を捨象して、是非善悪に腑分けしてしまう道へと突き進んでしまったことを、振り返っていない。いまさら「原点回帰」を突き出してみても、高度消費社会に身を横たえて若き日のロマンを振り返っている年寄りたちは、いささかも自らを反省する道筋には踏み込んでいないのではないか。

 映画を観終わって外へ出たときカミサンが「それにしても岩波の人たちはブルジョワが好きなのね」と口にしたのは、この日最高の皮肉であった。工場主の息子・エンゲルスを表題に加え、マルクスの女房が貴族の出身であったことをことさらに重視し、寄食的暮らし方から遂に脱することのなかったマルクスを(制作している、あるいは観ている自分たちと区別せず)イデオロギー性では持ち上げても、人間に対する思想性としてとらえることのなかった映画『マルクス・エンゲルス』は、単なる生誕200年の記念碑的創作物に過ぎない。ボブ・ディランの歌声がわずかに経てきた時代の長さを象徴するようであった。これは私のような、1960年代にマルクスを勉強した者たちを告発する力すら持っていない。そんなことを感じながら、神保町の交差点の下で暑い日差しを浴びたのであった。

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