2019年8月10日土曜日
空間と時間のナショナリズム
大澤真幸「ナショナリズムの取り扱い方」(『支配の構造』SB新書、2019年所収)が面白い指摘をしている。ベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」(増補・改定を加え2006年に定本)を参照して「国家とメディア――世論はいかに操られているか」を主題に考察するエクリチュール・シンポジュウムをまとめたものの一章。面白いと思ったのは、大澤真幸がピックアップした次の二点。
(1)俗語を用いたプリントメディアがネーション(国民・民族)の関係性をかたちづくった。
(2)小説や新聞の形式が、時間と空間の「共同性」をかたちづくり、ネーションの意識を支えた。
「想像の共同体」は、ナショナリズムが近代の所産だということを実証的に解説した本ですが、大澤はその特徴を次の五点にまとめている。
① 「知らない者同士」が国民である。
② ネーションは「限られたもの」である。
③ 共同体を構成するメンバーの平等性
④ ネーションは「客観的には新しいのに主観的には古い」というねじれをもつ
⑤ ネーションは基本的には文化的な共同体だが、政治的に自立した共同体でありたいと強い欲求を持つ。
上記の①~⑤の形成を、メディアを介して読み取ったのが大澤の指摘であった。
(1)では、「俗語/口語」に、それまでの権威であった「知的言語」が対照的に位置していた。「知的言語」は特殊な人々の特殊な世界において用いられ、独特の「権威」をかたちづくっていた。ヨーロッパにおいてはラテン語であり、日本においては「漢語・漢文」がそれにあたるであろう。とすると私たちの戦中生まれ世代の「知的権威」の感覚は、近代的なネーション形成以前の「権威」をそれとして持ち上げる身体性を(親世代から譲り受けるようにして)刻みながら、他方で、進行する「俗語/口語」=「言文一致運動」に馴染みながら緩やかに身体性を移動させてきているのではないか、ということであった。大澤の主題とも違うし、ましてやベネディクト・アンダーソンのとりあげている論題とも異なるが、長年私のなかにわだかまってきていた「知的権威」の枠組みがほぐれて解き明かされていくような気がして、面白かった。
大澤の論調を読みながら私の脳裏に浮かんだのは、江戸の芝居小屋や落語、都都逸、謡曲、あるいは瓦版や浮世絵というメディアもまた(1)に属していたのではないか、ということ。それが明治期からはじまる言文一致によってネーション(国民・民族)意識がかたちづくられてきたと考えると、3年程前に書いた、このブログの記事が思い浮かぶ。
2016年12月13日の「不肖の末裔で申し訳ないね」で、山口謡司『日本語を作った男 上田万年とその時代』(集英社インターナショナル、2016年)などを読んだことを詳細に記している。山口揺司は、口語表記法を含めて「言文一致」が(ネーションとしての)形を成したのは「文部省唱歌」として広まっていったからだとして、博言学の高野辰之の作詞した「故郷」「朧月夜」「もみじ」「春の小川」「春が来た」を紹介している。
その時期と、身近な多くの死者を出したことから「国民の戦争」とみなされるようになった日露戦争が、どう重なるのかは検証しないが、「日本国民」というネーションの「想像」がわがコトとして国民意識(正確には臣民意識)として定着し始めたのが、身体感覚として腑に落ちるようであった。
さらに、そのブログを読みなおしていて、末尾の次の記事が目に止まった。
《上田万年は昭和12年に亡くなる。山口謡司は、因縁話のようなエピソードで、この本を締めくくっている。……「万年の娘・文子は、円地文子として1960年以降になって評価されることになる。万年が思い描いた「言文一致」は、じつは、この円地文子が活躍した1960年頃になってやっと本当の姿を見せたのではなかったか。」……そうか、1960年と言えば私が高校3年生。ということは、私たちの世代は、まさに「言文一致」の世相にどっぷりと浸って言葉を身につけてきた、と言える。外山滋比古のいう「標準日本語」を散文として担う世代であったのだなと、振り返る。不肖の末裔で申し訳ないねと、上田万年に連なる人たちに詫びを入れたくなった。》
「外山滋比古のいう「標準日本語」」とは、彼の著書『新聞大学』(扶桑社、2016年)での記述による。《学校では、文字のことばしか教えない。かつての小学校には日本語の授業はなかった。話す言葉は問題にしない。ただ文字さえ読めればよいという考えに支配されていた。》
ここで外山が言う「国語教育」は、まさしく古い時代から伝承されてきた「知的権威」を体現したもの。私たち戦中生まれ世代が教わって来た「権威」であった。と同時に、円地文子の活躍と同時期に、私たち「不肖の息子たち」が身に着け始めていた日常語庶民文体が浸透していく時代でもあった。
文章の書き方のモデルとして外山が「新聞」をもち上げるのは、まさしく言語学者として(上田万年の系譜を受け継ぐ)世代の庶民的視線の「国語教育」批判であったと、改めて思う。
外山の指摘は、上記(2)の形式を指摘するものでもある。時間と空間を共有する「想像の共同体」とみると、日露戦争も小学校唱歌も、戦後教育もラジオやTVから流れる歌の大合唱も、たしかに「共有していた時代」がある。その「共有していた」という実感(という想像)が、すでに時間と空間の一体感を醸しだし、ともに生きているという「共同性community」に結びついている。小説や新聞の形式が共同性をかたちづくるという指摘は、ついついその中身を詮議することに向かう私たちの(知的)傾きを押しとどめ、「かんけい」の次元にとどまることを推奨する。そこが、大澤真幸のピックアップした「想像の」面白いところだと思った。
半世紀近くにわたって長年「機関誌」を発行してきた私たちの『異議あり!』名誉編集長がよく「中身は問わない。締切を守って着実に発行することが大切」と口にしていたことを思い出す。彼は「共同性のかたち」を整えていたのだ。「継続は力なり」「マンネリズムは大切」という彼の座右の銘もあわせて、「わたし」の身体性と振る舞い方を培ってきたのだと、振り返って思う。
そうした青壮年時代を送ってきた私たちは、いま大澤真幸の指摘を受けて、ではその後、「共同性community」はメディアの変容にともなってどう移り変わってきているのか、と考える地点に立っている。また同時に、トランプ的な「知的権威批判」をどう受け止めるかも、見過ごせないことと思われる。「俗語/口語」的な権勢が「知的権威」をどこかへ押しやっていくとき、私たちが失っているものは何なのか、気にしないわけにはいかないからだ。
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