2019年8月29日木曜日

槍ヶ岳・表銀座縦走(5)俗世界への結界を抜け、休養態勢に入る


 第四日目(8/22)に槍ヶ岳山荘から徳澤園まで歩いた行程は、21km余であった。私のスマホの歩数は39000歩余。下った標高差は1500mほど。ひとつ面白いことに気づいた。


 山行計画をたてるときに高度差を歩行距離にどう換算するかと、昔、考えたことがあった。標高差100mを平地の1km相当と換算する。この日の、槍ヶ岳山荘から徳澤園への行程についていうと、距離21km、標高差1500mは、平地距離36kmになる。行程時間が(大休憩時間を除いて)6時間15分。ほぼ時速6kmで歩いたことになる。もうひとつ、ふだん1万歩を歩くのに約1時間半かけている。約4万歩を歩いた時間が、6時間余。これも平地換算に見合っている。岩を上ったり下りたり、ルートの様子は様々だから、そう一般的に平地換算はできない。じっさい今回の山行でも、一日目の合戦尾根の上りは6km、標高差1200mを4時間余、三日目の西岳から槍ヶ岳山荘への縦走は7kmを5時間。それほど大きな高低差があったわけではない。ルートの難易度も影響する。だから、おおよそ自分の力量を診たてる程度の換算法だと思う。年の割にはそこそこよく歩いたという自己評価も、その程度の診たてであったというわけだ。単なる感触だけでなく、それを数値で表現しようとするのは、人に伝える客観化の第一歩。近代的な意思疎通法のひとつだが、これは大雑把すぎて一般化はできない。

 さて、今回縦走の最終日、第五日目(8/23)。徳澤から上高地までのルートは、標高差60mほどの距離7km。コースタイムは2時間。朝食をゆっくり済ませ、7時45分に出発。雨が落ちている。早朝に上高地に着いたのであろう登山者が、次から次へとやってくる。彼らは、意欲に満ちた顔をしている。下山者の私たちは(たぶん)上って来たぞという達成感に満ちた顔をしているに違いない。

 屏風岩の頭は雲の中。梓川は濁った水が勢いよく流れ下っている。明神池のあたりで雨はやみ、陽ざしも出てきた。もう何十回もこの地を通過しているのに、はじめて気づいたことがある。明神池の入口に「穂高奥宮」という石柱がある。その脇の地形解説書きに明神岳とその周囲の峰々をのことを「穂高岳」と総称することが記されている。そうか、それで、その西裏側の山々を「奥穂高」と呼ぶのかと、気づいた。「前穂高」に対しての「奥穂高」とばかり思ってきた。いやはや、お恥ずかしい。明神岳2931mがよく見えるところで、kwmさんにシャッターを押してもらった。

 蝶が岳の谷間から流れてくる水は清冽な色合いをしている。それが梓川の濁った水に合流して、川の色が二色になっているところがある。面白い。バンガローの立ち並ぶ小梨平には、テント生活を楽しむたくさんの若い人たちが三々五々、屯している。梓川の流れを塞ぐように独立峰の焼岳2444mが立つ。振り返ると、奥穂高が雲に頭を半ば隠し、その右の明神岳の左肩から前穂高の峰が顔をのぞかせる。河童橋には大勢の観光客がいて、記念写真を撮っている。俗世界との端境に戻ってきた。

 松本駅まで直行するバスがあると思ったのは、私の勘違いだった。バスは新島々の駅まで、そこから接続して松本電鉄が松本駅まで運んでくれた。バスも電鉄もアルピコ交通という同一会社であった。観光シーズンには大盛況の様子だが、雪が降り積もり、山や観光地が閉じる季節にはどうしているのだろうと、気になった。

 12時ころ松本駅着。全席指定のあずさの切符を買い、出発までの間にお昼を食べる。そのときになって、kwrさんがリミットギリギリで歩いていたことに気づかされた。ビールを飲まないという。kwmさんと私だけが下山のおしるし乾杯をする。この縦走中、ずうっと快調に歩いていたから、kwrさんはずいぶん力をつけたと思っていたし、余裕もあるとみていた。だが、ご当人は案外、ことばどおりに「必死だった」のかもしれない。十分休養してから、次の山行に臨まなければならないなと思っている。(終わり)

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