2019年8月9日金曜日

知らないこと気づかないこと


 日韓関係の桎梏の発端になっている「徴用工問題」に関して、先日橋下徹(大阪市長)の指摘(日韓条約の締結の際に日韓併合に関する合法不法について明確にしなかったこと)に触れた。その指摘は、韓国最高裁の判決文を読もうとも思わなかった私自身の現在に、気づかされた。そのことに関して、倉西雅子(政治学者)が、日韓条約締結に伴って取り交わされた「日韓請求権協定」へのアメリカの介入に触れていて、《アメリカが「徴用工問題」の解決を国際司法の場に委ねるように説得すべき》と指摘している。それはそれで重要なポイントだと思った。


 倉西は《同協定を含めて1965年に日韓関係が正常化される過程にあって、アメリカは、常に日韓交渉の裏方、あるいは、仲介者としての役割を果たしていた》とし、ベトナム戦争もあってか、アメリカは韓国寄りの「提案」をして、日本はやむなくそれを飲んだ、と。つまり、締結の経緯を振り返ってアメリカの責任に言い及んでいるというわけだ。

 この倉西の指摘を私が真に受けているのは、なぜか。当時の韓国も日本も、(冷戦時代ということもあって)アメリカの「庇護下」にある状態であったこと。アメリカが仲介するというのは(日本敗戦後の占領統治と朝鮮の独立を取り仕切った)成り行き上、ごく自然にありうることと思えるから。だから今回韓国がアメリカに仲介を求めたのは、北朝鮮との仲を取り持ったことへのご褒美などというものではなく、(日韓条約締結の)歴史的な成り行きを承知していれば、必然のことでもあったといえよう。アメリカが第三者的な立場を崩さないのは、倉西の指摘する経緯が、交渉記録に残るようなかたちをとっていないこともあろうし、独立国の建前上(今でもそうだが)韓国も日本も、《アメリカは、同協定成立の影の立役者であると共に、その場に立ち会った‘証人’でもあった》ことはある程度認めても、《日韓請求権協定の真の草案作成者はアメリカかもしれず》とは、口が裂けても言えないからです。「それを言っちゃあ、おしめえよ」。

 倉西の指摘は、私自身が知らないことでもあったし、考えてもいないことであった。でもそれを「真に受ける」のは、私自身の裡に、倉西の展開する論理が「自然に思われる摂理」を備えているからだと思う。この「自然に思われる摂理」というのが、知的通過経験と身体感覚によって培われたものであることを、私自身は承知している。そのようにして、これまで「保留」してきたことに(現在時点の)それなりの判断を下し、「せかい」をみている。そのように「わたし」の輪郭と私の「せかい」とは切り離せない関係において、「混沌」から掬い上げられてかたちをなす。

 こうして日々を綴っている「わたし」が、面白い。「わたし」の「せかい」が世の中の何の役にも立っていないことは明白だが、こうした思索の営みが人が生きることだと「わたし」は、ぼちぼち達観の域に入っている。

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