2019年8月28日水曜日
槍ヶ岳・表銀座縦走(3)時代が変わるが、人は変わらずか
朝食は5時から。4時に起床し、準備を整える。東の空には高さ4000mほどのところに雲がたなびき、常念岳に連なる山のシルエットと上空の雲のあいだが明るくなる。5時13分、朝陽がそこから顔を出す。濡れた衣類や雨具などは生乾きだった。この小屋は、お弁当はつくらない。槍ヶ岳山荘へは行程で4時間、槍沢小屋へ下っても3時間という短時間で着くからだ。今日の私たちは、4時間というコースタイムが気分を軽くしている。関西からの人たちは朝食もとらず、4時ころに出発したと聞いた。
私たちは5時40分に出発。じつは昨日、私のカメラが雨に濡れてご機嫌を壊し、モニターがほんの一瞬しか映らなくなった。私はカメラを仕舞い、kwmさんに「今日は撮っておいて下さい」とお願いをした。しばらくしてkwmさんは、先頭を歩く私に「お貸ししますので」といってカメラをわたしてきた。そういうわけで、この後の写真は、kwmさんの撮影したものと私が撮影したものが混在している。
表銀座・喜作新道は、この西岳から槍へのルートが一番厳しい。最初に下る標高200mはクサリ場ばかりでなく、長いハシゴを伝って降りるところが何カ所もある。私が先行しysdさんがつづき、kwrさんとkwmさんがときどき交代しながら後続する。長いハシゴのところで、先に出発した若い単独行者の姿をとらえた。スリリングな箇所に彼は慎重に振る舞っている。上下離れたところで、少し言葉を交わし、彼は先行する。岩壁の凸凹に手や脚をおいて下るところもあり、なかなかスリリングだ。ysdさんは軽快に着いてくるとおもったら、あとで、必死だった、という。kwrさんは死ぬかと思ったともいう。いやこれは、すでに槍ヶ岳の岩場を上っていると言ってもいいんですよ。それくらい槍ヶ岳が壮大な岩の山ってことねと、槍の穂先だけに傾くイメージを切り替える。
大きく降ったところで先頭をkwrさんに代わってもらい、私は末尾に着く。さらにもう一度下って登り返す向こうの急峻な斜面を登る二人の先行者の姿が見えた。私たちとの行程差は、たぶん30分足らずだろう。一人は先行した若い単独行者かと思ったが、そうではなく、早朝に出発した関西の人たちだそうだ。とすると彼らは、暗いうちに出て、たぶん最初の下りで難儀して、すっかりくたびれているのではなかろうか。6時45分、水俣乗越。ちょうどコースタイムだ。「←槍沢2.0km・槍ヶ岳4.5km→」の表示がある。今日歩く距離が7kmともわかる。雨は落ちていないが、深い霧に濡れるので、雨具は手放せない。
少し上って岩場の順番待ちをしていたkwmさんが「あっ、うさぎ!」と声を上げる。彼女の見ている方を振り返ると、先ほど歩いて来た道の上をウサギが一羽、駆け足でやってくる。その先は、たしかハシゴだったというところに来て、くるりとUターンして、もと来た方へ走り去るのがはっきりと見えた。先頭で岩をつかんでいたkwrさんはみるチャンスがなかったのではなかろうか。明日下る急峻な槍沢にも陽ざしが入り、霧にあたって虹を象る。ごつごつした岩登りがひと段落して、少し平坦な稜線に上がる。その先は大きく切れ落ちている。その向こうに屹立する尾根を歩くのだろうかと、ysdさんが私に訊く。はてどうであったか? そう思っていると、しっかり回り込んで長いハシゴを下り、最初の見立て通り、屹立する尾根の大岩の横を切れ込むように着いたルートに入る。その意外さが、堪らない。
古い木のハシゴも現れ、ますます槍ヶ岳に取り付いている気配が濃くなる。雨が強くなってきた。「これって、ハクサンチドリ?」とysdさんは余裕があるようだ。テガタチドリかハクサンチドリかわからない。出発して3時間15分頃、赤い屋根の大槍ヒュッテに着いた。ysdさんは「山小屋って、朱い屋根に塗るって約束事でもあるんですか?」と訊ねる。これも私には、わからない。ああまだ、元気なのだ、この人は、と思っている。ヒュッテの前で、件の若い単独行者が私たちを迎えてくれた。彼は、ここに泊まる予約をしていた。これから槍ヶ岳に登ってくる、その前に、私たち年寄り組が無事につくかどうかを見てくれていたのだ。彼を送り出し、私たちは、雨が小やみになるまで一休みすることにした。
この時間のヒュッテは清掃中。私たちは土間で「お代わり自由」の暖かい飲み物を注文して、ゆっくりする。kwrさんは着替えるという。また雨に濡れるのに、と私が口を挟むが、濡れていると先へ行こうという気力がわかないと応じる。槍ヶ岳山荘まであと1時間ほどというのが、気分を軽くしているのに。あと一組、このヒュッテに泊まって、今日槍ヶ岳山荘に向かうペアが、お茶を飲みながら雨の様子を見ている。二泊三日の間に槍の穂先に登れないかと考えているという。
「西岳からはきれいに見えたのですが、昨日夕方6時過ぎ、槍を見ました?」
「ええ、見ました。でも、近くで見ると、ごつごつと荒っぽくて、美しい槍ヶ岳って感じじゃないですね」
「ははは、昔から、夜目遠目…って、いいますからね」
と、言いながら、いま傘の内で見ているっていうには、巨大すぎるのかなと思っていた。
雨が止む気配はない。「行こ行こ、あと1時間だよ」と10時前に外へ出る。出てみると、それほど強い降りとは思わない。ただ、風が強い。大きな岩を、いくつも超える。岩には「○」印や「←」印がついているからルートを踏み外すことはないが、霧が深く、ときどき「○」が見えなくなる。先頭のkwrさんはゆっくり確認しながら、歩を進める。あとで聞くと、身体がゆっくりしか動かなかったそうだ。死ぬかと思ったと何度も繰り返していたし、槍ヶ岳山荘について、穂先へ行こうと声をかけたとき、「いや、槍ヶ岳の岩場は、もう十分堪能したよ。穂先は上らない」ときっぱりと見切った言いぶりであった。
たしかに最後の槍ヶ岳山荘への登攀は、緊張の連続であった。なにより風が強い。岩に900mとか700mと山荘までの距離が大書してある。それは励みになると同時に、動けなくなったときの「位置」を伝えるのに必要なのだろう。400mという表示の前で、大槍ヒュッテに泊まる件の若い単独行者に出合った。
「上ったの?」
「ハイ、上りました。それより、この先400mって表示がある辺りは、風が強くて飛ばされます。身体を低くして、用心して行ってください」
と、注意を口にする。
「穂先への上りは風が強かった?」
と訊ねると、
「いや強いのなんのって、無理ですよ、上るのは。上っても、何も見えませんしね」
と年寄りへの忠告をした。
彼に言うとおり、細い稜線の岩場の通過は、強い風で飛ばされそうであった。風には呼吸があるから、それが小さくやんだときに急いで通過しましょうと声をかけて、前進する。その先はいよいよ槍の穂先の南側の山体壁をトラバースしつつ登る。kwrさんはゆっくり慎重にすすむ。ysdさんが疲れてきたのか、遅れ気味になる。100mごとに一休みする感じだ。霧のなかにぬうっと槍の穂先のように突き出した大岩が現れる。「あれって、槍? 小槍?」とysdさん。「違う、違う、どっちも霧の中」と応じる。その「槍?」の横を通過する。あと100mの表示が出て、道が岩場でなくなって安心したのか、ルートの表示柱があるところでkwrさんは座り込んで、遅れているysdさんを待っている。あと30mだよといって、励ます。見上げると、やっと槍ヶ岳山荘の建物が、霧の中に浮かぶ。
こうして、小屋にたどり着いた。11時15分。出発して5時間半。大槍ヒュッテの大休憩を除くと、やはりおおむねコースタイムで歩いている。後期高齢者の歩行としては、上々ではないかとkwrさんに話す。だが私が考えていた以上に、彼は身に堪えていたようだった。濡れた雨具などを乾燥室に入れ、着替えをしてお昼にする。ysdさんはキッチンの提供するカレーを頂戴したそうだったが、私もkwrさんたちも、手持ちのパンを食べるので十分。ビールを買い、私は(テルモスに)お湯を買って、焼酎を割って飲んだ。kwrさんもkwmさんも、明日もあるからと言って、焼酎には手を出さない。身を気遣っているのだ。
槍ヶ岳山荘は何百人も泊められるだけあって、建物もシステムも、きわめて合理的にできている。乾燥室の能力も高く、たちどころに乾く感じ。蚕棚のベッドでの飲食は禁じているから、畳敷きの「談話室」で皆さん語らいあっている。私たちもそこへ行き、車座になっておしゃべりをする。そうしていると、私たちと同じ蚕棚の4人組が穂先に登頂して戻ってきた。風は強かったが、岩に取り付くところは風当たりが弱くなるところにあって、難なく行ってきましたと、祝杯をあげている。やはりそうでなくちゃあと、kwrさんに「行かない?」と誘いを入れる。彼はしかし、「いや、もう十分」と取り付く島もない。もし明日風がやんだら、上るチャンスを見てみようとして、この後は休養としたのであった。
その後一眠りして夕食になり、kwmさんもそれなりに食べ物を口にして、調子が悪くはなっていないと思われた。夕食後「談話室」で本を読んでいると、オジサンが歌を歌いはじめた。リピート山中という自作自演のフォークソング歌手。50年配だろうか。アラカンだろうか。声の響きはいい。さだまさしばりに、歌と山に関するおしゃべりを繰り出す神戸出身。標高3000mで聴く1960年代、70年代の歌。人が押し寄せ、聞いているうちに本番がはじまり、1時間の山小屋のサービスに立ち会った。若い人が、圧倒的に多い。大学生もそうだが、20代、30代の登山者もたくさんいて、ああ、この人たちは平成生まれなんだと思うと、ほんとうに自分が年をとったという実感が押し寄せてくる。皆さん、手拍子を打ち声を合わせ、ほんとうにフレンドリーだ。私は昔の歌声喫茶を想いうかべて、時代が変わり、でも人は変わらず、なのかどうかと考えていた。(つづく)
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