2019年8月15日木曜日
何が面白いのか、不思議
一昨日から息子一家が来て、にぎやか。応接するカミサンはたいへんだが、私はそばを打つくらいしかできないから、くたびれるわけではない。
昨日は、娘の案内で、どこかへ遊びに行くという。前もって私も案内を受けたが、この暑いのに出歩くのはねえと、カミサンに最初は断った。「でもねえ、孫を連れてくるから行かないと会えないわよ」と諭されて、どんなところで遊ぶのだろうと好奇心を掻き立てて、足を運んだ。総勢9人。
場所はお台場。鉄道を一回乗り換えてアプローチできる。そう言えば7年前、こちらにキャンパスを移した大学へ週1の仕事で一年間通ったことがあったが、どこで降りてどう歩いたか、ほぼ忘れている。人工都市お台場の超近代的景観だけが、相変わらず印象に残っていたが。
お盆というのに(なのか、お盆だからなのか)、人が多いのに驚いた。
「どこにいるの?」とスマホに電話が入る。目の前に見える建物の壁面に掲げられた英文字を告げると、「ああ、じゃあすぐ近くにいるわ」と娘の声。20メートルほど先にいた。何だ婿さんも一緒だったのかと思ったが、違った。15歳の孫次男の背が伸びて父親を追い越すほどになっていた。12歳の孫娘は、母親のそばを離れない。でもすぐに、息子の方の中学生男孫と小学生女孫と一緒になって、何やら笑いながら話しはじめる。彼らは正月以来のご対面らしい。話というのは、芦屋に住む娘孫が名古屋に住む息子孫に方言のイントネーションを訊ねて、やりとりしている。芦屋の孫は関西弁、名古屋の孫は両親がともに関東の出身なので、標準語。関西弁からすると、標準語がキラキラして響くらしい。私は傍らを歩きながら、香川県から岡山県へ移り住んだときに嗤われた方言のことを思い出し、また、大学に入って東京へ出てきたときの関西方言を嗤われたことを想い出していた。
名古屋弁で「おみゃあが……っていうでしょうが」と口を挟むと、名古屋の孫が「そうそう猫みたいに……。遣うのは、じじばばだけね、そういうのって」と笑い飛ばす。
行ったのは「デジタル・アート」と銘打った「チームラボボーダレス」と「うんこミュージアム」のふたつ。こんなイベント会場があることすら知らなかった。もっとも7年前にはなかったのかもしれない。
前者は、3,4階建ての、巨大な四角い箱。建物は隣の、やはり巨大なビルとつながっているようだが、全体の構造はわからない。入場券は娘のスマホに入っているという。入場すると荷物を預ける場所があり、カメラとお茶のボトル以外のリュックなどを放り込んで鍵をかける。いくつかの「注意書き」を読ませて、入場となるが、あとは全部真っ暗。壁に動き回るデザイン映像が投射され、その林の中を通路に沿ってすすむ。どこへ行くかどう進むかは全く自由。というが、全体の構図がわからないから、娘について歩くだけ。壁の画像に手で触れると、飛んできた蝶々がパッと落ちたり、飛び去ったりする。静止していたススキの画像が、急に萎れたり、伸びたりする。中国風にアレンジした鳥獣戯画にカメラを向けると、モノクロ画像が色彩を帯びて歩き去る。
面白いと思ったのは二つ。一つは絵を描いて画像スキャンしてもらうと、自分の書いたカエルやサンショウウオや蛇の画像が、手足を動かし、ぴょんと跳ね飛んだりして、足元を動き回る。踏みつけると二つに分かれ、一匹が二匹になったり、パッと消えたりする。中央の柱に沿って落ちてくる水のような画像に手で触れると、そこが押しとどめられて水が分かたれたり、斜面に沿って流れ下った水が低いところに溜まっているように見える。子どもたち ばかりか大人も、近寄ってくるいろいろな色付けをされた画像に関わって飛び跳ねている。
もう一つは、The tea house だったか、暗い茶房。いくつかのお茶券を買って入る。暗いテーブルに座って待っていると、注文のお茶を持ってきてくれる。と、そこへ上から一筋の光が入り込む。観ているとお茶の表面に花が咲き始める。器をずらすと、お茶の表面に咲いた花がテーブルに残り、サラサラと花びらが散っていく。気づくと、移した器のお茶の表面にまた、別の花が咲こうとしている。お茶をおいてみているとそのまま花が形を変えて重ねて咲く。でも器をずらしてテーブルに残されると、花はすぐに散り始める。それがテーブル一面に広がり、なるほどアートと言っていいような雰囲気を醸し出す。
わからなかったのは、大人気という「ランプの森」。行列をつくり、人数制限をして、入場する。ランプの色が変わり、周りは全て鏡張り。鏡は外からは素通しだが中からは鏡という、あのドラマの取調室に出てくるような仕掛け。天井から吊り上がったランプの合間を縫って歩くだけ。5分ほどのあいだ、その部屋に身をおく体験。何が面白くて、こんなに行列ができるのか、ついにわからなかった。
へえ、と思ったのは、この「チームラボ・ボーダレス」の説明文が、まず英語、次いで日本語、そのあとに中国語と韓国語と並んでいたこと。そうか、お台場はもうすでに国際都市になっているのだと思った。
ふと気づくと、もう四時間以上も経っている。ひとはいっぱい。疲れた大人たちが通路の隅に座っていると、係員がやってきて「お休みどころで休憩してください」と告げて回っている。子どもらも、草臥れてくる。その「お休みどころ」が「The tea house」だったわけだ。外へ出る。もう4時間を超える。と、15歳孫が「あれっ、ちょうど終わったところだ」と声を上げる。20メートルはあろうかという巨大なガンダムの金属製の像が「変身」を遂げ終わっているというのだ。ふ~ん、こんな像がここにあったのか。次は2時間後。それまでにお昼を食べて「うんこミュージアム」を見てこようと娘のプランは途切れなく立てられている。
「うんこミュージアム」は、どうしてこんなエンタメが人気になるのか、わからない。まあ、子どもに受けるというのは、わからないでもない。だが、大の大人が大声で「うんこ~」と叫び声をあげるのをみていると、よほど日常に鬱屈が溜まっているのかと思ってしまう。入場料金も数千円支払って、高校の文化祭の下手な催し物を見て回る感じ。それが、人でいっぱい。予約し、列をつくって順番待ちをして、大声で協賛する。
近未来どころか、私などが間違いなく、近過去に取り残されていると感じる体験だった。でも取り残されているから、悔しいというような思いは、まったく湧いてこない。何が面白いのか、不思議という体験だった。
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