2019年8月3日土曜日

未来のミライ


 昨日、ブラジルへ帰る姪っ子親子を見送りに成田空港に行った。1年何か月ぶりに、子ども二人を連れて岡山の実家に帰国し、一カ月ほどの滞在で(ご亭主の仕事先である)ブラジルに戻る途次であった。健康診断などの所用があって帰国したものであるが、母親一人で小さな子ども二人を連れて遠路を往復する荒業をやってのける肝っ玉に、感心する。なにしろ、7歳と2歳の姉妹。お姉ちゃんはもう十分ことばでやりとりができて母親の手助けもできるが、妹の方は、天真爛漫、気随気ままに振舞い放題。目が離せない。


 成田空港は人で一杯であった。夏休みということもあってか、少年少女たちのいくつもの団体が、大きなキャリーバッグをもって、あるいは緊張の面持ちで引率者の注意を聴き、あるいは旅に期待を寄せてか、はしゃいだ言葉を交わしている。

 出発ロビーの宅急便受取り所のそばを待ち合わせ場所にしていた。ロビー全体とちょっと仕切られたその場所は、たくさんの椅子もあり荷物を詰め直す場所も取れて、出入りする人が少なかった。荷物はさまざまの大きなバッグに8、9個あったろうか。「日本は物が安いから」と姪は言う。向こうで必要な日用品を買いこんできたのかもしれない。カート三つに積み込んでカウンターにもっていったが、受け付け開始に1時間以上あるということで、最初の待ち合わせ場所に戻って、孫従兄弟の相手をした。姪っ子と話しているのは、もっぱらカミサン。

 みていると、妹の方は姉のしていることをなんでもしたい。姉がもっているものを何でも欲しがる。玩具もそうだし、水を飲むとそのペットボトルが欲しいと手を出す。姉はいやだと拒む。すると、キーキーと大声を立てて、母親に訴える。母親は「お姉ちゃんなんだから」と姉を我慢させる。そのときの姉の反応が、まさに「未来のミライ」と同じ。妹にばかり目が行く母親の気持ちを自分に向けたいと働きかける。「場」そのものを収めるには、とりあえず妹のキーキーを鎮めなければならないと思うから、母親は姉を制止する。ますます姉の心もちは、黙っていられない。

 妹と顔を合わすのは、生まれて間もないときだったから、私はいわば初対面。ちょっと気を惹いてみる。この爺ちゃん面白いと思ったのか、母親の陰に隠れてちらちらとこちらに関心を示す。おっ、と驚いた顔をすると、きゃははと笑う。母親から離れて、こちらに少し近づく。わあっとそっくりかえって椅子に身体をもたせかけると、もうタガが外れたようにきゃははと笑いながら、私の方に手を伸ばす。こちらも手を伸ばすと、ぱあっと走ってきて、身体ごと飛び込む。いやはやなんとも、天真爛漫なこと。

 何かを喋っているが、何を言っているかわからない。姪に聞くと、ポルトガル語だという。姉は両親の日本語と幼少のころのポルトガル語、いまはアメリカンスクールに通っているから日常語は英語と日本語。妹は幼稚園へ通ってほとんどポルトガル語で、家庭で日本語をかろうじて使う程度。だがひと月実家に身を寄せている間に爺婆と日本語でやりとりするから、日本語が多くなった王だ。つまり、チャンポンにして喋っているのだが、それ以前に、ことばでやりとりするよりは、キーキーと大声を上げた方が手っ取り早く要求をかなえることができるから、緊急時対応が日常になってしまっているのだね。オモシロイ。

 妹の方は、そちらこちらに出歩く。混雑していない場所だから、親もそれほど気にしない。すると靴を脱ぎ、靴下も脱いで素足で歩きまわり、そのうち寝そべって床を転がりはいずり回る。姉が妹を気にして、ときどき連れて戻ったりする。気が向くとやってきて、私の目の中を覗き込むようにして、何かを指さす。なんだろう? 目の玉が気になるのか? そうではなかった。カミサンにいわれて気がつくのだが、私の右目下の疣が気になっていたのだろうと。

 荷物を預けるときになると、母親と手をつないで、さかさかと歩く。手続きをしている間、近くを歩き回り、ハンドタオルをとりだして私に投げたりして遊ぶ。私が手に取って後ろに隠すと、面白がってどこにやったか探して回る。姉も加わる。すると今度は妹が手元に抱き込んで放さない。この二人のやりとりと振る舞いは、見ているとまるで、アニメ映画「未来のミライ」をみているような気分になる。子どもというのは、外との関係を自分流に組み直して(身体で理解し)、振る舞いをしているのだと思う。

 通関手続きの時間になって、その荷物チェックの入口までしか大叔父大叔母は見送れない。妹は後ろを振り返ってバイバ~イと大声を出す。これを、チェックゲートの向こうに行ってもまだ、バイバ~イと声を上げる。職員も笑って、見ているほかない。天真爛漫な振る舞いというのは、なんとも心和むものなんだと思った。

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