2019年8月17日土曜日

霧ヶ峰の天気


 一昨日から霧ヶ峰に行ってきた。台風が来ていることもあってか、15日は強い風が吹き、深い霧に山は閉ざされていた。大人二家族4人、子ども3人。いとこ同士。だが「子ども」という小学生は、もう一人になった。あとは中学生と高校生が一人ずつ。舞台回しは、無邪気な小学生だけ。中学生と高校生は、親や爺婆に付き合っているだけ。


 その、子どもと大人の「かんけい」を表すように、霧が巻き、雨が降る。一日目、午後3時前に宿に着いた。台風に恐れをなしてか、訪れている人は少ない。一部屋を子ども部屋にしてもいいからと言ってくれる。だが子どもたちは、親と離れようとはしない。離れようとはしないが、大人の干渉はイヤだと振る舞いで示す。気持ちはすっかり別次元の世界に行っている。

 大きくなった。高校生はもう、父親の背丈を越えている。ことばの遣い方も、じっと考えて口にする。「どういっていいかわからない」という応え方が、深い思索を明かすようだが、それほど深く考えているわけではなさそうだ。ただ率直に、自分の感懐を表明しているにすぎないと、後で思う。私たちの子どものころに比べて、表現のパターンが行きわたっているようだ。子ども同士でつるんで、ゲームに夢中になったりしている。

 二日目は、朝から猛烈な雨であった。ピンポイントの天気予報では、当初9時以降は曇りとあったが、近づくにつれて降水確率は90%、80%と表示され、要するに雨がやまぬと受け止めた。それでもお昼頃には霧だけになり、雨は上がった。車山の肩から木道を歩き始めて、草花に言葉を交わし、鳥をみては双眼鏡を回して、のぞいた。何度も歩いたルートということもあって、ここでだれが何をしたと、子どもたちが話題にし、空間に記憶が張り付いていることを示す。この日は、15000歩ほどを歩いた。

 三日目は、年寄りだけで早朝の散策に出た。霧が深く、車山は見えない。平地なら、霧が深い朝は晴れるというのだが、果たしてこの、霧ヶ峰で同じことが言えるのかどうか、わからない。静かな朝の散策は、しかし、八島湿原の落ち着いた雰囲気を味わう機会になった。何組かの同好の人たちとも、すれ違いに挨拶を交わした。夏の花と秋の花が一緒に花開いている様子は、深い霧の下に広がる池と草原を背景にして、特別にあつらえた舞台のようにみえた。

 朝食を済ませて、鷲ヶ峰に登る。子どもたちの足は速い。40分で山頂まで上ってしまった。親はついていって子どもらの面倒を視野に入れているが、爺婆は後からゆっくりと追いついていく。カミサンは、「今年もここまで来ましたね」と山頂で感慨深げであった。子どもらは要所で、爺婆を待ち受けていて、一緒に登っているという気配は崩さない。霧は上がり、陽ざしが強く指すようになった。山の上から八島湿原が一望できる。三日間を通して、最高気温は19度、最低気温は17度。風と雨さえなければ、過ごしやすい気温であった。

 その後、12時過ぎまで八島湿原を見て回り、宿を後にした。麓の蕎麦屋でお昼を共にして、そのあと、息子一家と分かれた。それぞれ夕方には家に帰着したとわかった。お盆の流れの土曜日としては、意外にスムーズであったようだ。

 帰宅してみると、サウナに入るようであった。わずか千数百メートルの高地に行くだけで、こんなに涼しいなんて、まるで別天地だねと思っている。

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