2019年8月18日日曜日

目に見えない自然とわたし


 デイビッド・モンゴメリー&アン・ビクシー『土と内臓――微生物がつくる世界』(片岡夏美訳、築地書館、2016年)を読んで、この本はタイトルで失敗していると思った。「土と内臓」では、まるで専門家に読ませるための本のようだ。この本の原題は「The Hidden Half of Nature」、直訳すると「隠された自然の半面」である。だが読み終わって私が抱いた感触は「目に見えない自然の不思議とわたし」。


 二人の著者は、地質学者と生物学者の夫婦。この二人が暮らしの中でぶつかる大地と食と病の不思議と向き合って、目に見えない微生物が世界をつくりあげている様子を、土壌改良から身体が健康を保つメカニズムに至るまで、浩瀚な資料に目を通して子細に記している。その領野は、地質学、土壌学、農芸化学、細菌学、遺伝学、分類学、進化学、自然循環、細胞学、免疫学、栄養学、衛生学、伝染病理学とその歩み、人体のメカニズムと微生物の働きと、ほぼ生命科学の全分野に及ぶ。まるで素人の私などにとっては、これまで「自然」と考えていたことのミクロの不思議に出逢う旅のようであった。

 人体が、あらゆる自然の総集のようにかたちづくられているということが、単なる比喩ではなく、文字通り微生物の出入りや活動をふくめて、実存の現在であると了解できる驚きであった。それを保障しているのが、本書の文体である。著者らは、有機物を入れて土を改良し、庭をつくり、野菜を育てる、自分たちの現実の暮らしの「不思議」と向き合う。つまりなぜ、有機物が分解されて豊饒な土壌ができるのか、解き明かしていく。その途次で生物学者の奥方が癌にかかる。その治癒過程で食べ物について注意を受け、なぜそれが必要であり有効に作用するのか、その不思議を解き明かすために科学雑誌の研究論文を読み、細菌に対する取り組みの歴史を振り返る。その過程をたどるように、目に見えない微生物の世界に踏み込み、そのメカニズムに触れ、大地と人体の成り立ちを解き明かして、微生物の不思議が、みちみちていることに迫る。そうして、生命体と大地とが微生物を介して見事に連関した生態系をなしていることへ到達する。それは、読む「わたし」の不思議に出逢うことでもあった。

 単に、科学的な記述だとメカニズムをふむふむと読み取ることにおわる。ところが、二人の著者の現実の暮らしに沿って不思議を解き明かしていくから、科学的な研究が世に受け容れられる社会の仕組みや、研究者の権威主義的な世界や、利害損得を絡めた「偏見」にも出逢う。

 単に科学者の判断が、経験的に明快なことではなく、メカニズムを説明できるかどうかにかかっている問題に、しばしばぶつかる。化学肥料に依存していたアメリカで、ミズーリ大学の農学者ウィリアム・アルブレヒトが土壌肥沃の研究の結果、化学肥料によって土壌に関係する栄養不足がヒトの健康問題を数多くひきおこしていると(有機廃棄物を土に戻すことを)提起した1940年代、同業の専門家やアグリビジネスの関係者は、土壌学の領域を逸脱した研究としてそれを非難し、攻撃した。アルブレヒトが(現在の細菌学のように)、有機廃棄物が土壌を豊かにするメカニズムを説明できなかったからだそうだ。

 研究者同士の意地とプライドが研究の流れを分けてしまうことも、パスツールとコッホの研究の進展とその分岐に触れて記されている。

 ときには、科学的かどうかでなく、社会的な権威とぶつかって、受け容れられない事態が起こって来たことが、たとえば哲学者が「センメルワイス反射」と呼ぶようになった出来事と知る。「センメルワイス反射」というのは、新しい知識への手の付けられない拒絶を指す。ハンガリーの医師センメルワイス・イグナーツが産褥熱を調べていて、医師研修棟と助産師訓練病棟の死亡率が違うことに着目し、手洗いを励行することが産褥熱を広げない対処法だと提唱したことにはじまる。それは確かに産褥熱を抑制することに効果を発揮したのだが、医師会は激怒して、手洗いの実行を拒絶した。助産師より医師が低劣と見なされると反発したのだそうだ。センメルワイスは重度のうつ病をわずらい精神病院で生涯を閉じた。その事例が世に広まり、哲学者がそう名付けたそうだが、なるほどありうることだと私ら庶民は、頑迷な権威主義者たちの「ギルド」を想いうかべて納得する。

 何より新鮮だったのは、微生物と私たちの身体の端境が見極められないほど、密接に絡み合って実存しているという事実であった。

《大腸の横断面をよく見ると、細菌の細胞が自分自身の細胞と肩を並べていて、どこで一方が終わってもう一方がはじまるのかはっきりしないことがわかる。有益細菌がおそらく自分の大腸陰窩にしまい込まれていることを、少し考えてみたい》

 という記述がある。つまり、微生物が体内に繁殖し働いていることによって、人の健康も保たれている。その境目が、これが細菌でこれが「わたし」と分別できないところにある。つまりこうして、「種」の弁別も、たいして意味をなさず、全体を大きな宇宙ととらえる動的メカニズムの理解が必要になる。この自然観が、わくわくするほど、面白いと感じる。

 有機栽培がエコだからいいというとき、エコって何よと私は思う。地球にやさしいとか、環境にいいとかいうことが、微生物の働きを見極めていくと、エコってまさに「わたし」のことと分かる。微生物が繁茂することによって「わたし」は健康になり、大地もまた、豊穣の母となってすべての生命体を育む。そうした生態系の健康のことを気遣いながら、「わたし」の全体と原点とを考えるのは、いくつになっても楽しいことである。

 一人の人の身体に宿る微生物の数は、銀河系の星の数ほどあるそうだ。地球上の微生物を寄せ集めて一列に並べると、一億光年向こうの星にまで到達するという。ミクロとマクロが一緒になって、ともに「わたし」の不思議となる時間を感じることができた。書名で失敗しているというのは、本書が広く読まれないことを惜しむからだ。

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