2019年8月23日金曜日
雨の中の槍ヶ岳
先ほど、5日ぶりに山から帰ってきた。いわゆる表銀座コースをたどって槍ヶ岳を目指素コース。帰るなり「どうして天気のいい日に行かないのよ」とカミサンにいわれた。ひと月も前に山小屋は予約した。台風が来るというのでハラハラしながら見ていたが、四国に上陸して大きく北に回り込んでくれたから、行く前々日まで「槍ヶ岳のてんきとくらす」は、初日を除いて「A」が3日続いていた。徳澤から帰宅する日に天気が崩れるが、ま、雨の小梨平もいいかもしれないと思っていた。ところが、出発当日に「てんきとくらす」をみると、全日「C」になっている。「登山不適」の表示だ。そして予報通り、毎日雨と霧と強風の中を歩いて槍ヶ岳の穂先にも到達し、先ほど帰宅したというわけ。
明後日にはまた、「ささらほうさら」で出かけなければならない。今回の「合宿」では私のレポートも入るから、その準備を明日仕上げる必要もある。そういうわけで、槍ヶ岳の山行記録は、27日以降に詳しくは書き綴ることになる。
じつは、私の山の会の参加した喜寿の一人が、中高一貫校の中学生の時に先輩の高校山岳部員に引率されて、このルートを歩いたことがあったそうだ。でもご本人は、このルートがどんなものであったか、ほとんど記憶にとどめていない。そこを62年後にもう一度歩いて、(たぶん)自分の出発点を振り返ってみたいと思ったのであろう。山の会の山行として起案し、実施の運びになった。
中房温泉から日本三大急登と謂われる合戦尾根を上って入山する。燕山荘で第一泊。
二日目、槍ヶ岳を眺めながら大天井への稜線を歩く。切通岩のところから大天井岳の中腹をトラバースして大天井ヒュッテを通り、喜作新道を歩いて西岳ヒュッテに二泊目。日没の直前、それまでかかっていた雲が取れ、槍ヶ岳から南岳、大キレット、北穂から奥穂、前穂、涸沢カールの全景が見事に姿を現した。
三日目、西岳から水俣乗越への大下りを下り、いよいよ東鎌尾根に入る。これは槍ヶ岳そのものへ登っていると言えるほど、岩の山歩きになる。そうして、槍ヶ岳山荘に三泊目。しかしこの三日目の風雨が一番激しかった。風速15mの中、東鎌尾根の細い稜線を通過するときには、飛ばされないように姿勢を低くし、岩にしがみついているということもあった。疲労困憊の様子であった。槍の穂先に登るのは、とりあえず断念。
四日目朝飯前、霧の中を槍の穂先に挑戦。ついに山頂に到達したが、周りは見渡せず。下から若い学生グループが登ってくる。山頂にある祠を囲んで記念撮影だけして、下山にかかる。山頂への往復ほぼ一時間で山荘に戻り、朝食を摂り、大満足の面持ちで下山開始。若い人が次々と追い越して下る中、喜寿の登頂者を先頭に、景観と花を愛でながら、ほぼコースタイムで歩き下って、徳澤園で第四泊目。登頂の成功が、風雨につきまとわれたコンディションを帳消しにして、疲れを心地よい身体感覚へと変えていったようだ。
第五日目、「上高地に大雨注意報」という報道があった中、徳澤園をゆっくり出発。上高地のまでのコースタイム2時間の行程を1時間40分で歩く。小雨もその途次に上がり、陽ざしさえ指していた。河童橋から振り返ると、穂高岳と呼ばれる明神岳の西側稜線の向こうに前穂高岳のピークが顔をのぞかせ、一瞬奥穂高岳の山頂もみえたようであった。
上高地から新島々までバスに乗り、松本電気鉄道で松本駅へ出て、全席指定になった「あずさ」に乗って帰ってきた。電車のなかでは熟睡していた。こうして東浦和駅に降り立つと、何と、雨。傘をさして家までを歩きながら、(今回の表銀座山行は、雨の中の槍ヶ岳であったなあ)と、起承転結が決まったと思った。
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