2019年9月22日日曜日
指標と自信
新しい体重計が来た。「体組成計」と名称がついていて、体重ばかりか、11項目の「体組成」を図り表示してくれる。体重とかBMIというのは、わかる。計算式があるからだ。だが、体脂肪率、筋肉量、内臓脂肪、基礎代謝、推定骨量、カルシュウム推奨量となると、すべてブラックボックス。むろん、この体組成計をつくっている会社の算定式があり、それがこの計器のマイクロコンピュータに組み込まれているのであろうから、お任せするしかない。
上記の外に、体内年齢と足腰年齢と体型判定というのは、たぶん統計的な平均値を組み込んで、あなたはどこに位置していますと、判断してくれるのであろう。最初に個人登録をしておけば、あとは計器に乗るだけで、計測がすすむ。
ひとつ疑問なのは、古い計器も同じ会社の製品だったのだが、それで測ってきた「体脂肪率」と新しいそれとが、2ポイントほど違う。古い方では「17」ほどだったのが、「19」になっている。新しい計算式になったのかどうか、疑問のまゝだ。
でも、測ってみて心理的に大きな作用があると思ったのは、統計的平均値を組み込んだ最後の3項目だ。私もカミサンも、体内年齢は15歳ほども若く出た。足腰年齢は、私は7歳ほど、カミサンは11歳も若く表示された。体型は「標準」と、言われないでもわかるから、別に心理的作用はない。
カミサンは、俄然、自信をもった。これまでの食事や飲み物、日ごろの出歩き方、寝っ転がって本を読むのが少しまずいかなと口にしながら、自分をほめているのがわかる。何より足腰年齢が私より若かったのが、自信に結びついているのかもしれない。何しろ、私はいまだに山歩きをつづけている。カミサンは、軽い日帰りの山行には付き合えるが、厳しい山歩きはここ数年、控えている。というより、もうムリ、と言ってつきあわない。どこがどうというわけではないが脚に不安があるという。それなのに、私の足腰年齢より5歳も若く表示されたことで、昔日の日本百名山を踏破した実績が甦ったのかもしれない。
不思議なものだ。ただの統計的数値の表示に過ぎない。当然、男と女では値も異なり、山歩きの力量とは異なってくる。にもかかわらず、なぜこれほどの自信に結びつくのであろうか。「指標」というのは、専門家が認定した「状態」の判定である。ふだん「お元気ですね」と他人に言われたり、「調子がいいよ」と自賛したりするのは、主観的な印象であり、客観性がないと考えられている。ところが専門家の(統計的処理を含む)「判定」となると、客観的だと受け止められる。世界に自分を位置づけることが客観的にできているという位置づけの安定感が、自信につながると言えるようだ。
計測するというのは自己を外化することだ。それ自体が客観化と言ってもいいが、それが数値に変換されて表現されることで、自己の輪郭を対象化して(自己に)みせ、それによって自己の主観的評価を強く内面化していく作用が、起こっているようだ。人の精神活動の不思議ともいえるが、自分の身体の状態とこころの状態が相関して動くという意味では、まさに「身」の処し方にぴったり適っている。
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