2019年9月29日日曜日
目に見えないコミュニティ
昨日(9/28)のSeminar《「団地コミュニティ」の社会学的考察》を提起していて、「コミュニティなんて、あるの?」という反応を、わりと広い範囲の人たちにみて、そうか、コミュニティは目に見えなくなっているのだと気づいた。
《「コミュニティ性」というのは日常の暮らしの実務を土台にして、それを取り仕切る所作と「かんけい」です》と、私は解きほぐしたつもりであった。「翻訳して」と言われて、「ふだんのくらしを、どのように、誰に頼んで、行っているか。そのありよう」と言い換えてみた。だが「コミュニティなんて、あるの?」といった人は、アメリカの上流階層の人たちが住まう(ゲーティッドかどうかは知らないが)コミュニティの話をして、お金を潤沢に用意してあれば「コミュニティ性は、問題にもならない」という趣旨の発言をした。かれは「団地管理組合」の仕事は、建物とその環境の維持保全であって(お金持ちたちの話となると)、ことごとく委託して「(商)取引」としてやってもらえば済む話と考えている。それは、その通りだ。
つまり私が提起している「団地コミュニティのモンダイ」というのは、自前の管理組合理事会が建物と環境の維持管理のコントロール部分を司っていることから生じている。つまり、発生する事態と状況を把握し判断して、修理保全を業者に委託して対処している。ときには自分たちで緊急に対処しなければならない場合も生じる。その事態把握、状況判断、対処の運びの過程で、理事や管理組合員や居住者の「文化的な齟齬」が浮かび上がる。
「取引」においては、需要者と供給者の文化的な齟齬は「契約」時点において明らかになり、その締結時にやりとりを済ませて始末することができる。「取引事業」終了ののちに「齟齬」が浮かび上がった場合には、修正工事が行われたり、法的に争ったりして解決する。つまり、「関係性」として問題になる「コミュニティ性」は、外化されている。ところが、自前管理組合理事会が取り扱うときは、「文化的な齟齬」という関係性は、身の裡にあって発生する。そこに、集合住宅の集団性が露わになる根拠がある。
「コミュニティ性」を厄介なことと感じている人は「コミュニティ性」というのを何か「(他者との)制約を背負い込む関係」と考えていることも分かった。「取引」は契約ではあるが、制約ではない。文化的な齟齬が外化されて取り扱われるならば、ますます「制約」的な要素は排除される(いやなら契約しなければいいのだ)。だが「取引」のバックグラウンドには、社会的な規範やシステム、法秩序という人びとの暮らしに介在する「暗黙の強制力」が働いている。倫理学者であったアダム・スミスはそれを「道徳」と考えていた。彼の時代の西欧にはキリスト教倫理が根づいていたから、経済関係を論じるアダムスミスの論調は、「(神の)見えざる手」が働いて市場関係が調整されていると考えることができたのである。
今の日本では、近代的な市民社会をかたちづくる過程で(ことに戦後の経済成長の時代には)安定した社会関係を築いてきた。ことに1980年代からの高度消費社会を実現したころには、「一億総中流」と呼ばれた上向きの社会的気分も作用して、文化的な齟齬は消えたかに見えた。むしろ多様化と独自性が称揚され、日本文化の伝統的にもっている集団性や共同性は、因習的弊害として退けられた。ジャパン・アズ・ナンバー・ワンの市場経済が世界標準になるような錯覚をもちさえしたのであった。つまり、市場社会の背景を支えてきた「暗黙の強制力」がすっかり身に馴染み、市場社会の社会システムとして一世を風靡したともいえる。たぶんそれに、伝統的な「お上」意識も働いて、社会を支えているのが自分たち一人一人であることさえ、忘れてしまった。そういう時代の空気にどっぷりと浸って、後期高齢者である私たちは、ことばも感性も身につけてきている。
バブル崩壊後の日本社会の変化が、文化的な齟齬として表れ始めているのではないか。自前管理をしている私の「団地管理組合」は、その齟齬に突き当たり、面倒なやりとりをこなさなければならなくなっている。それが「コミュニティ性」を意識させる。戸建て住宅に住まう人たちの(すでに、あるいは、いずれ)直面する「問題」に(やっと今ごろ、あるいは、早々と)向き合っている感触がある。
その「問題」とは、Seminarで表出して、片づけないままに時間が来てしまったこと。私たちの今の住まいを、将来的にどう処分するのか。団地ばかりか、戸建て住宅にしても、廃墟にして放置するのかどうか。「子や孫に受け継ぐってことを考えないのは、ひどいわよ」とfjkwさんは声を上げたが、それは、個々の所有者が考える問題なのか。あるいは都市計画として、然るべきところで考えなければならないモンダイなのか。引き続き、考えてみたい。
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