2019年9月30日月曜日
(2)ボヘミアンと使い捨て
Seminarの「団地コミュニティの社会学的考察」でもう一つ物議をかもしたのが、私たちの寿命と建物の劣化をどう考えるか、であった。時間がなかったSeminarの場では、説明もしなかったし、やりとりも行えなかったが、fjkwさんが「子や孫に受け継ぐってことを考えなきゃあ、良くないわよ」と言い、tkさんが「子どものいない人だっているよ」と受け、「それって、都市計画のモンダイじゃないの?」と返したところで、終わってしまった。少し丁寧に考えてみよう。
都市生活に入った1960年代、すでにそうであったが、私たちは「故郷喪失者」であった。前回のSeminarでfmnさんが「人生はボヘミアン」と謳って、胸を打つ響きを奏でたように、ただ単に「田舎」を棄てた(あるいは、追われるように故郷を出た)というだけでなく、急速な産業社会化の波に襲われて、社会そのものが「田園」を失っていっていた。その変化が私たちの心に残したものは「使い捨て文化」ではなかったかと、いま感じる。
住まいについてだけ考えても、私は転々と移り住んだ。結婚してから国体選手村として使われた跡の県営団地に住み、その後、高層住宅の13階を手に入れ、のちに現在の「団地」の1階に移った。つまり、暮らし方に合わせて住まいを変えてきた。いまの住まいに固執する理由は、何もない。夫婦のどちらかが最期を迎えれば、養護老人ホームにでも移るのが良かろうと、カミサンと話している。今の建物の寿命があと40年ほどと見たてられているから、いずれ売り払ってどこかへ移り住むことになるというのが、今の建物にもっている将来イメージだ。
長期修繕に臨んで、現在の「団地」をどう維持するのかと、何年か前に住民アンケートを取ったことがある。適当時期に建替えるのか、できるだけ長く保持していくのかによって、長期修繕の手の入れ方が異なるからというものであった。結果は「できるだけ長く保持する」であった。だから私は、修繕などについても、「手を入れるべきはいれる。それに必要な積立金を(そのときどきに応じて困らない程度に)用意すればいい」と考えていた。(理事長になってから)修繕専門委員から「廃墟にしたままにするというのではなく、取り壊して更地にする資金も視野に入れるべきだ」と(長期修繕計画の視野を)問われ、「自分の寿命程度のことを考えるってことで行きましょう」と躱した。そのとき私の脳裏を掠ったのが、「それって都市計画のモンダイではないか」ということであった。
少子化、人口減少といわれながら、首都圏の住宅建築状況をみると、新築が相次いでいる。さいたま市の私のご近所でも、中層団地や戸建て新築のラッシュだ。土地所有者が亡くなって、遺産相続の関係で土地を売り払ったり、農地を転用して活用方法を変えているのであろう。需要はある。さいたま市の人口がいくぶん増えていることもあろう。東京よりは価格的に手に入れ易いから、若い所帯が社会移動している。それでも、賃貸の中層住宅に空き家が目立つ。古い賃貸から(契約更改を機に)新しい賃貸に移り住んでいるのだ。これって(社会全体からみると)、使い捨てじゃないのか。
わが住まいに限って言えば、「子や孫に受け継ぐ」というとき、この建物や共有土地を「受け継ぐ」とイメージしていない。子や孫がどこに住むかを私たちが決めることではない。私の寿命以上に建物がもつのであれば、いずれ売り払う。それを誰かが買う(とすれば)その人たちが、今のわが家の寿命である40年ほどのちに建替えるかどうかを思案することだと思う。そのとき日本の人口はさらに一層人口が減少していて、(建替えても)買い手がつかないこともありうる。となると取り壊して、更地にして、どうするのか? 多分、売れなければ資産にもならない。となると、更地にすることが管理組合の総会を通るとは思えない。そのときすでに(たぶん)居住者は歯が抜けたように少なくなっているであろうから、スラム化する。廃墟となると、取り壊す費用を負担するよりは私有権を放棄する方を選ぶ。これって、個々人が「子や孫が受け継ぐ」と考える問題なのか。子や孫の世代にどう受け渡し引き継ぐのかと考えると、個々の家の始末のことではなく、都市計画のモンダイとして構想することだと思うのである。「都市計画税」を支払っているのは、そのためだと私は思ってきたが、違うのだろうか。
「限界集落」のモンダイが提起されてからもう十年以上になるか。私が山に行く途中に見かける「空き家」は、都会の「団地」の行く末を先取りしているように見える。飯豊連峰を縦走して弥平四郎(という名の集落)に下って来た時のことを思い出す。
静かな山際の弥平四郎は町と呼んでもいいくらい何十軒もの民家が道路の両側に軒を連ねている。下山途中に通過した山小屋の主人が「デマンドバスを予約しておいた方がいい」と教えてくれたので、その小屋で予約してもらった。デマンドバスが来るくらいだから、集落として成り立っているのだろう。木造の家々は古びているが、手入れがなされているように見える。人影は見えない。庭の草がぼうぼうと背丈を伸ばしている家もある。古いガイドブックには下山地集落に温泉があると記されていた。「宿」と書きつけられた看板を見つけた。だが、戸は締まり人のいる気配がない。
やっと一軒雨戸を開け、風を通している家があった。声をかけると奥から女の人が出てくる。宿が締まっていることを訊くと、皆さん町に移り住んで、いまはやっていないという。でも、どうして、そんなことを訊くのか? といぶかしげ。いやじつは、汗を流したくてというと、「うちの風呂場で水で良かったらお使いなさい」と言ってくれたので、ことばに甘えた。着替えを済ませると「うちのごちそうよ」といって、コップに水を汲んでくれた。山水を引いているそうだ。冷たくておいしい。何杯かお代わりをした。
このお宅も町に移り住んでいる。お盆前だったので、墓参りに親族が帰ってくるから、風を通して草取りをしておこうと思ってねと、話してくれる。ご亭主も帰ってきて、しばらくおしゃべりに加わった。この集落に日頃棲んでいるのは数軒、十人に満たない。だがお盆になると子どもや孫が帰って来て賑やかになる。月に一回ほど町からやってきては、家の手入れをしている。もう誰も戻ってこなくなった家もある。冬には2メートルほどの雪がつもるから、雪下ろしもしなければならない。多いときはね4メートル近くつもって家が埋まってしまったこともあるのよ、と笑いながら話す。6月のブナの新緑がすばらしい。ここへ嫁に来て、それが一番気に入ったと、奥さんは言葉を足す。
デマンドバスが来た。一人老女が乗り合わせる。というより、この方がデマンドしていたのに私が同乗させてもらったわけだ。病院へ行くのだそうだ。駅まで20kmほどあるのに300円て安いですねというと、私らはタダみたいなものだからと笑う。途中でバスを止めてもらい、農家のみかんを買って、「いつもごくろうさん」と運転手さんにプレゼントしていた。
考えてみると、私たちの親が、このようにして暮らしていた。親が亡くなってしまうと、墓参り以外に「ふるさと」に還る理由がなくなる。墓をこちらにもってきたりすると、すっかり縁が切れてしまう。登山のときに見かける山の周辺の住まいをみると、「空き家」が圧倒的に多くなった。すっかり朽ち果てて屋根が落ちてしまっているのもある。こうして土に還るのだとわが身の行く末を重ね、自然の力を肌に感じて感慨ひとしおだ。(つづく)
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