先日(9/20)「女心と秋の空」を記した。台風が来る。ところが足が速い。9/25の奥日光は台風一過の晴天の予報。ならば日帰りで行きませんかと、ほかの方々に呼び掛けた。「眺望もいいというから、頑張ります」と古稀を越えたmrさんからの返信。ところがkwさん夫妻から「やはり体調が恢復せず、見合わせたい」との返事。mrさんに知らせると、「皆さんがそろっていくようにしましょう」ということで、見送りとなった。
そもそも今年の山歩き、山の会の定例山行の外はいつも私が単独行で行っていた。それにトレーニング山行をやっていたkw夫妻がつきあうようになって、皆さんにも呼び掛け、それも山の会の山行に組み込んだから、一挙に山の会の山行が増えた。私にとっては、単独行の不安が少しだけ解消されることになる。でも皆さん年寄りだから、こういうことは起こる。でもでも、皆さんの体調不良に私まで付き合っていたら、体力は遠慮なく落ちる。そこで急遽、どこへ行こうかと山を探る。今年予定していた山で天候が悪くて行けなかったところが何カ所か、残っている。何しろ私は、山の会では「雨男」の異名がある。私の企画した山では、雲のなかだったり雨だったりするのだ。秋晴れの好天はめったにない。こうして、会津駒ケ岳へゆっくり一泊で登ることにした。
会津駒ケ岳にはもう四半世紀以上前になるが、登ったことがある。春ではなかったか。山スキーの達者な方と一緒に出掛け、山頂付近にテントを張った。駒ノ小屋は屋根以外は雪の下であった。中門岳へと続く広い尾根は、全部雪ノ下。天気は良かった。だが雪のない駒ケ岳を知らない。上り始めの急斜面に四苦八苦したのが記憶にある。
登山口まで車で走った。行程では5時間ほどかかるところが、4時間で到着。林道の上の方にある駐車場とそこへの道路上には、何十台もの車がすでに止まっている。隙間を見つけて車を置き歩き始めたのは、9時45分。滝沢登山口には「会津駒ヶ岳5.3km」の標識が立つ。その脇に、「駒の小屋に宿泊される方は予め予約の上、登山してください」と看板が掛けられている。そう言えば予約の時に「お一人一つの布団です」とわざわざ知らせてくれた。素泊まりだから、水や食事、コッフェルなどが荷になるから、日帰りの人が多いと聞く。いいところなんだろうと思った。
いきなりの急斜面の上り。山頂までの標高差は1000m余。合戦尾根の「三大急登」と似たような上りだ。カエデやブナの落葉広葉樹が多い。秋が深くなればもっといいかもしれないが、いまでもまるで新緑の中を歩くようで気持ちがいい。下山してくるアラカンの単独行者に出会う。聞くと日帰りで、5時半に出発したという。とするとここまでほぼ5時間。早いではないか。中門岳まで行ってくると往復7時間半ほどの行程なのに。私の方は標高差400mを1時間。いいペースだ。半ばの「水場」まで1時間25分。ほぼコースタイム。ザックが置いてある。誰か水を汲みに沢までいっているのか。と思っていたら、ひょっこりそちらからアラフィフの男が現れた。水場まで下り5分ほど、それなりに出ているという。
陽ざしはあるが樹林の中。涼しく、汗もかかない。標高1850mのところの階段に腰かけてお昼にする。出発してちょうど2時間。食べていると、件の水くみ男が登ってきて先行する。陽ざしの中で、ゆっくりキムチスープをつくりお昼の稲荷寿司を食べて、再び歩きはじめる。西の上空に雲が出て、どんどんこちらにやってくる。樹間から見えていた稜線がすっかり雲に閉ざされる。すれ違う下山者が多くなる。「中門岳、良かったよ」とうれしそうな顔。午前中は見晴らしも良かったようだ。木道になる。湿原に出た。少し広いところのベンチで、先行した水くみ男がお昼にしている。挨拶だけしてこちらが先行するが、その先もずうっと雲のなかだ。ぼんやりと浮かぶ草モミジが、ときどき切れた雲間の陽ざしに照り映えて美しい。カメラを構えたときにはもう霧のなか。湿原を区切るように伸びる木道の先から、ひょいと人影が現れ、挨拶をして下って行く。雨男の面目躍如だなと思う。
大きな池が現れる。その脇には新しい木道が設えられている。ここから山頂へ向かうのか。とすると駒の小屋はすぐ近くではと思って見上げると、すぐ上にあった。3時間。これもほぼコースタイムだ。まだ1時前だが、山頂も中門岳も霧に閉ざされていては、面白くない。明日は晴れるだろうと期待を込めて、小屋に入る。小屋前のベンチには一群の若い人たちがいて、食事をしながらにぎやかだ。小屋の自炊室は土間になっていて、すでに何人かが陣取っている。トイレは外にあり、小屋よりも一段高い所に位置している。とするとかつて雪の上にみた屋根は、トイレの屋根であったか。
荷物は階段の踊り場におくようになる。屋根下の部屋は12畳くらいはあろうか。縦横にできるだけ敷けるように布団が置いてある。その一つに割り当てられた。すでに一人横になっている人がいる。しかし横になって本を読むには、まだ早い。いつもそうだが、山に泊まるときの、早着きから夕食までの時間を過ごすのに、戸惑う。本も持参するが、焼酎を持参している。縦走のときには小屋で焼酎を飲んで、外を見ながらボーとしているのがたのしみだ。今日は、空気も乾いて汗もかかなかった。早々と焼酎でボケに入ろう。
小屋の缶ビールをひとつ貰って飲み終わって焼酎に取りかかった2時前、玄関で小屋の女主人に挨拶をする声が聞こえる。どこかで聞いた声だ。目を上げると、人の肩越しにつるつるの頭が見える。えっ、これも見たことがある頭だ。なんだ、タナカヨーキじゃないか。テレビで三百名山踏破というのをやっている若者だ。つい先月、霧ヶ峰の高原荘に泊まったと、ペンションの女主人が話していた。霧ヶ峰から八ヶ岳、富士周辺、奥秩父、丹沢を経てひと月半ほどでここまでやって来たか、と思った。
でも、NHKスタッフの姿が見えない。先ほど小屋のテラスのベンチで食事をしていた若者たちがヨーキ歓迎モードに入っている。「あれ、追っかけよ」と土間で食事をしていた登山者が、あとで話してくれた。でも私も、ミーハーなのだ。ちゃんと見ておこうと外へ出る。登山者がヨーキさんの横に立ってVサインをしている。黙ってちゃ悪いと思って「ヨーキさん、写真撮っていいですか?」と訊ねる。その問いが珍しかったのか、彼が私のほうをむいて、「いいですよ」と人懐こそうな口だけを動かす。カメラを構え、シャッターを押す。ありがとうというと「いえ、ありがとうございます」と丁寧な受け応え。つい、「高原荘にお泊りになったそうですね」と踏み込むと、「えっ、どうして?」という顔をする。
「ご主人から話お聞きました」
「南極料理人のかたのね」
「からだをお大事になさってくださいね」
と返した。
ヨーキさんと一緒に「追っかけの人たち」も立ち去り、 見上げると山頂の雲が取れている。小屋下のベンチにまで下りてみると、池の上部の木道のところに朱い上着を着たヨーキさんのしゃがんだ姿が見える。何をしているんだろう。こちらを向いて、上部にちらっと光るものが見えた。カメラのようだ。なるほど、NHKスタッフがいない代わりに自撮りをして挿入するのだろうか。カメラと彼に位置からすると、池と小屋と自分の姿とを映したいようだ。しゃがんでいたのは、「追っかけ」の人たちが池脇から立ち去るのを待っていたようだ。私もいては迷惑だろうと思い、小屋へ引き上げた。
2時ころからゆっくりと飲みはじめる。一人だったのに、少しずつ人が増える。先ほどヨーキさんの脇でVサインをしていたアラフィフの女の人が、やはり女の山友と一緒に座る。この小屋の常連らしい。いろんな食材をもってきている。ペットボトルに容れた焼酎らしきものも、ある。「重かったでしょう」というと、「これがたのしみでしょ。15kgくらいですよ」と笑う。山友は8kgくらいと、すっかり彼女に頼っていることを明かす。やっと晴れ間の今日明日休みが取れたからと、訊きもしないのにアラフィフであることを口にし「よく来るんですか」と私に訊ねる。昔、雪の中の小屋の屋根をみただけと応じ、山談義になる。話ながら、私自身の会津駒ケ岳概念が全然違ったものであることに気づく。
今日会津駒ケ岳に来ることを知ったカミサンは、「会津駒は、陰気な山だから」といった。「暗いってこと?」というと、「そう。わたしが登ったときは」と応えた。たぶんこれは、彼女がそういう気分のときに、しかも天気が良くない時に登った印象かもしれない。雪の会津駒は、手強い上りではあったが、明るい見晴らしが印象に残る。今回も、日差しを遮る樹林の心地よさと、湿原に出てからの池塘と草モミジと霧、汗も出ない冷えとが体の記憶だ。
正面に座った老夫婦は、久々に登山を再開したが、どんな山に行けるだろうか。槍ヶ岳に行けるかしらと訊ねる。アラフィフのVサインは「ここの上りができれば合戦尾根も登れる」と応じ、山友が「二週間前にこの人に騙されて槍ヶ岳まで行ってきた。たいへんだった」とつけ加える。「槍沢から時間に余裕をもって登れば、大丈夫ですよ」と私が応えると、どこに泊まればいいかと聞いてメモを取っている。アラフィフたちは一日目に槍沢小屋に泊まる予定だったが、十時ころに着いたので先へ行こうと、とうとう槍ヶ岳山荘まで行ってしまったと笑って話す。「若いから、あなたがたは」と、体力と相談して泊りを多くすれば、槍ヶ岳には行けますよと励ます。
夕食を、早着きの人は5時半までに済ませて(自炊場を空けて)くださいと言われ、そのまま居座って夕食も済ませ、5時には就寝態勢に着いた。一時だが霧が晴れる。早々と寝床にいた人は、星の写真を撮ろうと上がってきているそうだ。件の水くみ男は、荷物を担いだまま山頂まで行ってから来たと3時過ぎに顔を出した。自炊場の壁には深田久弥の「日本百名山」の一節を、小屋主人が手書きしたのが掛けてある。
《どこが最高点か察しかねる長大な山が延びていて……六月半ばの快晴の日、ただ一人この山にあるという幸福感が私を恍惚とさせた》
そうか、6月はまだ雪があるのか。翌日、快晴の下に中門岳まで行った印象を加えていうのだが、最高点をいまの駒ヶ岳にするよりも、中門岳にすべきだと思った。いまの駒ヶ岳山頂は樹林に囲まれ、眺望はない。深田久弥が上ったころはひょっとすると、木々もそれほど背が高くなく、眺望が利いたのかもしれない。山頂には古びた山名表示板が南と北に向かい合わせにおかれ、南は富士山を真ん中において、東は田代山・帝釈山、西は平が岳、苗場山をおいて、18山が記されている。北は、中の岳・越後駒ヶ岳から窓明山・三岩岳など6山が記されている。だが、まったく眺望は利かなかった。翌日の中門岳の山頂は見晴らしがよく、飯豊連峰から磐梯山、安達太良山まで遠望できた。
夜の寒さはそれほどでもなかった。トイレに起きてみた空の星の多さに、驚いた。まだこんな空を仰ぐことのできる夜があるんだ。25日くらいの月が掛かっていた。
翌朝(9/26)は快晴であった。4時ころから動きがはじまる。私も4時半過ぎに起きだし空を見あげて、中門岳を朝飯前にするか迷った。だが山頂は樹林におおわれて眺望は利くまい。5時半過ぎの日の出を見るのは、むしろここの外のベンチが良い。自炊場の賑わいを避けて、外のベンチに腰掛け、テルモスのお湯でココアをつくり、持参のアンパンをかじって腹ごしらえをしながら、朝日が昇るのを見た。
そろそろ出ようとした頃、小屋の女主人が出てきて「足元が霜で滑ります。ストックに頼るよりも、バランスに気を付けて。三度は滑ります」と注意している。私も、下のベンチで日の出を観ようと木道を歩いたら、つるりと滑ってしまった。5時40分歩きはじめる。新しい木道は適度に金網様のものを打ち付けてあって、滑らない。だがすぐに古い木道に変わり、朽ち果てて崩れていたりする。ストックに頼るというよりストックを軽く使ってバランスをとり歩幅を小さめにしてすすむ。振り返ってみると、朝焼けの小屋と池とが美しい。一人先行する女性を追い越し、山頂に立つ。やはり何も見えない。中門岳への道をとる。こちらも木道は新しく、金網を打っている。木道は霜が張っている。背中の方から陽ざしを浴びながら、ひとまず下り、山頂をトラバースするルートと合流してから、やはり木道の中門岳への道をすすむ。先端の方まで一望できる。深田久弥が言うように、どこが山頂だかわからないほどいくぶん高低差をもつ大きな尾根である。全体が池塘というか、小さな水溜りや池があり、草モミジが美しい。片道1時間余というからまだ少し先と思っていたら、山頂から40分かからずに「中門岳」の木柱があるところに着いた。大きな池のほとり。まだ先に小高いところがあるから、山頂ではないようだ。「この周辺一帯を中門岳と称する」と木柱に掘りつけてある。一人先行の男の人がいて挨拶を交わす。木道はつづいているから、先端まで行ってみる。突き当りにも大きな池があり、たもとにベンチも置かれている。ここはさらに先、会津の方が見通せ、北西の、越後駒ケ岳の方も見渡せる。木柱のところで引き返していたら、中門岳の印象はすっかり変わるんじゃないかと思った。このベンチで、アンパンの残りを食べていると女性が一人やってきて、「ここはいいですねえ」と感嘆の声を出す。またひとり高齢者がやってくる。
帰り道を辿る。駒ケ岳の山頂手前で追い越したアラカンの女性が、やってくる。「滑り易くて」とずいぶん慎重だ。でも、この年で一人で来るなんて、たいしたものだと思う。昨日の水くみ男ともすれ違う。彼はこの山が初めてだそうだ。荷物を全部背負っている。私はナップザックに水と若干の食糧をいれているだけ。件の、夜カメラマンも三脚を据えている。右手に尾瀬の燧岳などが、そのずうっと左に日光白根山や男体山、太郎山から女峰山までの日光連山が並ぶ。池塘の表面が輝きを増し、草モミジが一層引き立つ。
トラバース道を通った帰りは、小屋まで40分ほどであった。小屋について朝食用に湯を沸かし、インスタントラーメンを食べる。昨日のアラフィフ女性がやはり食事を済ませて、パッキングをしている。大きなカステラを切って「どうぞ」という。彼女は食べない。えっ? カステラは小屋の女主人と、後でお茶するようであった。なるほど常連客というのは、こういうものか。こういう山小屋を持っているのも、山歩きの愉しみかもしれない。お返しにミカンを二つ差し上げた。
朝食を済ませ、トイレも済ませて、下山にかかる。8時15分。15人くらいのグループが山頂へ向けて出発するところだ。俺はここにいるからとやりとりしていた年寄りがいた。「中門岳へは行かないのか」と聞くと、「中門へ行くなら私もいきますよ。山頂だけっていうからね、ここで待つのよ」と、やはりこの山の常連であることを付け加えた。
その男の傍らにいた女性が、私の後に続いて降りてくる。昨日は霧に包まれていた草モミジの湿原が朝日に美しく輝いている。カメラに収める。つづいてきたアラカンの女性が後ろに立つから、道を開ける。が、先へ行かない。うん? と振り返ると、どうぞ先へ行ってください、という。ときどきカメラを出して構えながら、私はゆっくりと降る。草地を抜け、樹林帯にかかる。登ってくる若いペアがいる。早いですねというと、6時に出たという。そうか、ここまで3時間半、昨日の私と同じペースかと胸中で計算している。昨日お昼を食べた地点も、いつのまにか通り過ぎてしまった。その下のところで、登ってきたグループと、私に着いてくるアラカンとが言葉を交わす。地元の人なのかもしれない、と思う。実は後にぴったりと人に着かれると、あまり気分が良くない。こちらは下り道と溶け合うように下りたいのに、急かされているように感じるからなのか。道を空けて「どうぞ」というと、「いえいえ、とても尾瀬の主のような方の先へは行けません」と妙なことを言う。「ん?」思うが、こちらが年寄りだと言っているようなものか。気にせず、少しあいだを開けるように急ぎ足にして下り、着いてくる気配を感じないようにする。
「水場」に着いた。帰途のちょうど半ばだ。45分で下っている。9時前。そこで上って来ていた二人連れの女性から地図をみせられて「ここはどこですか?」と訊かれる。たぶん四万分の一地図のコピーなのだろう。色付きペンでルートを記しているが、地図を見てもわからない。よく見ると彼女が見ているのは、「燧ケ岳」の地図だ。ここは会津駒ケ岳ですよというと、えつ、こっち? と別の地図を出す。やはり四万分の一地図のコピーだが、こちらには水場のマークが記されている。そのやりとりをしている間に、アラカンの女性が追いついて、休んでいる。まだ彼女は、私に着いてくるつもりのようだ。
登ってくる人とすれ違うことが多くなった。道を譲りあるいは譲られ、帰りの道は上部ほど早くは降りられない。件のアラカン女性も後ろで上っている人と言葉を交わしている。そのあと私の後ろについて、上りの人をやり過ごす。「お知り合いが多いんですね」というと、「昨日同じ宿に泊まった人たちです」と応じる。えっ? 「わたしは今朝4時半に登り始めたんです。あの人たちは1時間あとですね」という。ずいぶん(歩くのが)早いじゃないですか、と感心した声を出すが、彼女は早立ちと言われたように聞き流す。そうか、4時半に出て、山頂へ行って下山すると小屋下が8時15分くらいになるかと、私の計算機は働いている。
駐車場まであと70mくらいのところで、立ち止まっている4人組に出会う。一人の女性は上を向いて石に手をついている。「上りですか?」と訊くと、その脇にいたご亭主らしき男性が「いえ、下りです。膝を傷めて」と困っている。エアサロンパスが入っていたことを思い出して、それを出し、膝にかける。少し冷やしてから、濡れたところを拭きとり、テーピングテープを膝に巻く。おおよそ筋肉の運びに合わせて、それを扶けるように巻くと、いつか講習で習ったことを思い出して、テープを巻く。ストックはひとつしかないという。広い道だから片方の手をご亭主が支えてあげてと話し、あと少し頑張ってと声をかけて、先へ下る。それにしても、膝の保護ネットも筋肉補強タイツもしていなかったなあ。
すぐに登山口の階段に着いた。水場からちょうど1時間。駐車場は本当に、今日もいっぱい。陰気な山どころか、人気の山だねとカミサンにメールを打って、無事下山を知らせた(つもりであった)。ところが、スマホが「機内モード」になっていたため、家へ帰りつくまでそのメールが届いていなかったことに気づかなかった。ま、結果佳ければすべてよし、だ。
何より、秋空の天気とタナカヨーキとの出逢いは奇遇であった。そうか、どっちも陽気か。
0 件のコメント:
コメントを投稿