2019年11月1日金曜日
社会の土台が分断疎外されつつある
先日(10/29)に「際だったデータ分析の手法」と題して、吉川徹『日本の分断――切り離される非大卒若者たち』(光文社、2018年)の分析手法を取り上げました。今日は、その中身に踏み込んでみます。
軽量社会学を専門とする吉川は、2015年に行われた二つの社会学調査を解析して、20歳から60歳未満の現役世代を「若年/壮年」「男/女」「非大卒/ 大卒」の三つの指標で8つの枠組み(セグメント)に区分けして、まず、それぞれの人口、年収、就労時間、職種、世帯、結婚状況などのデータ(ハードウェア面)を解析して、それぞれのセグメントを一人の人に見立てて「8人のプロフィール」を描き出しています。
そうして、《…人生の有利・降りの凸凹が、はっきりと見えてくる…》と前置きして、《結果として、現代日本社会の経済力、仕事、家族、地域などの特性が、「8人」の人生の分断状況として、わたしたちの眼前に現れてきました。…現役世代の内部には、壮年大卒男性を最上に、若年非大卒男性を最下位においたコントラストが見出されました》と、その凸凹を「分断」と指摘します。
それを「分断」と表現するのは、《……たとえていえば、キャプテンがエースを兼ねていて、ちょっとずる過ぎるくらい活躍の場を独占しているような状況にあります。それが壮年男性です。/けれどもこのチームには、攻撃にも守備にも参加させてもらっていないメンバーがいます。それが若年非大卒男性で……、この先日本社会の陣形が崩れていくことがあるとすれば、若年非大卒男性のポジションからだ……》からです。その前提には、日本の場合、年齢にかかわらず上位の学歴を取得することが一般的はない事情が挙げられています。一般的には「学歴」は不可逆的に取得されていますから、「分断」につながっているというわけです。
では、それら(ハードウェア面)データの数値上の「分断」が、ソフト・「社会の心」の面ではどうか(社会学ではそれを「主体性」と呼ぶことようです)と、《第5章分断される「社会の心」》でみています。そして、《第6章 共生社会に向かって》において、その分断社会を少しでも解消するために、どのようなことをする不.必要があるかを提案しています。先日のブログで「社会学者は現状肯定的で、私ら庶民と同じ立ち位置にある」などと記したことを、一部訂正しなければなりません。吉川は、「分断社会」に向かう日本に、心を痛めているのです。
第5章は、次に上げる8項目の指標について、「8人」のセグメントの社会との向き合い方における立ち位置を見極めています。
・ポジティヴ感情(主観的ウェルビーイング):「幸福な若者」は大卒層だけ
・不安定性:「あいまいな不安」から逃れられない男性たち
・社会的活動の積極性:おとなしい若者の正体
・若年非大卒層の政治的疎外
・若者の活動性:海外旅行経験
・ジェンダー意識:イクメンは若年男性の夢
・教養・アカデミズム:学歴分断・文化的生産を駆動させるソフトウェア
・健康志向:男性内部の健康リスク格差
それぞれについて、さらに細かい社会学調査の項目を拾って、解析しているのですが、その仔細は、ここでは省略します。その考察の結論的な概要を拾うと、次のようなことが考察されています(番号は引用者)。
(1)一番心の状態が良好で、積極的に社会いとかかわりを持っているのは、壮年大卒女性。現役世代を牽引している「リーダー」は彼女たち。
(2)それにつづくのが、若年大卒女性。社会参加には消極的だが、海外に目を向け、文化やアカデミズムを積極的に牽引する動きを見せる。多様な価値観を容認する態度が、若年高学歴女性から浸透し始めている。
(3)壮年非大卒女性は、健康志向が高く、不安感も低いが、ポジティヴ感情は高くなく、政治的な積極性に欠けるが、社会的な活動は中間的。
(4)壮年大卒男性は、心の在り方がポジティヴで安定していて、健康管理もできている。政治、社会的活動に積極的。
(5)壮年非大卒男性は、ポジティヴ感情がもっとも低い。だが、社会参加や政治的関与にはそこそこ積極的だが、文化的な活動や高級消費活動には、まったく縁遠い状態。
(6)若年大卒男性は、ポジティヴ感情は低くないが、不安定性が高い。活動性も活発ではない。同世代の非大卒と比べると、心の安定も、活動状態も悪くない。イクメンと健康志向が強い。
(7)若年非大卒男性は、どの指標を見ても、「勝ち星」がない。彼らは客観的な生活条件に関し、他の層から引き離された不利な状況下にいる。《彼らの主体性の凹みからは多くの面で立ち遅れていることが気にかかります》
数値でみると(2015年の)非大卒と大卒の割合は、ほぼ50:50。男女で「社会的な心」のありようは異なるし、若年と壮年でも違い(たとえば、1995年の非大卒は7割を占めていました)があります。また、1995年の若年非大卒男性の年収は、現役全体(男女を含めた)の平均年収より40万円ほど多かったのですが、2015年の全体平均は10万円ほど上がっているのに対して、若年非大卒男性の年収は12万円ほど下がっているのです。つまり、この20年間に、この層の若者たちの社会的位置は下落しています。
上記の(7)の部分が明確な「分断」というわけです。彼はこれを、軽い学歴の男性(Lightly Educated Guys)「レッグス」と名づけて、この層の現代社会における立ち位置を見てみると、社会の一番大切な基底の部分を担っている人たちである。この人たちを切り離し取り残しては、将来的な日本は本当に「分断された社会」になって、衰亡の道をたどるのではないかと、第6章で力説しています。社会の土台が分断疎外されつつあるという事実を、しっかりとみてとってくれと、訴えています。「軽学歴」とは耳にしたことのない表現ですが、彼は日本の高卒を「低学歴」とは考えていないからです。
レッグスを評して、世界的にも高いスキルの労働力であり、この層の知的能力の高さが、日本の社会が「安全で安心で機能的な社会を維持できている。コンビニ、公共施設の維持管理や治安や衛生状態の良さが保たれている」と、社会のインフラ部分での彼らの存在と貢献に目を配っています。そうして吉川は、政府の施策をいくつか取り上げ「大卒層だけをみている社会」と手厳しく批判しています。政治的発言に消極的な若年非大卒男性がとくに、そうした事態をますます加速していることを指摘しながら、もっとその他の7セグメントの層が目を配るべきなのではないかと提言しています。世帯を持つことまでを視野に入れて大きく分けると、「壮年大卒男女」「若年大卒男女」と「壮年非大卒男女」「若年非大卒男女」のセグメントが「たすきがけ」の相互理解とつながりを持つことが必要であり、なによりも、「壮年大卒女性がレッグスとの共生を心掛けることができないか」と特筆しているのが、目を引いた。
これまで、たとえば「若者論」など、若い世代のことを論じる言説はいくつも目にしてきた。だが、「大卒層だけを見ている」のではないかという指摘はわたしの胸を撃つ。レッグスと名づけられた若年非大卒男性(女性)が、たしかにこの社会の土台を支えている。デスクワークにしけこんで、埒もないことを蝶々して安逸をむさぼってきた、かつての壮年大卒男性としては、いやはや申しわけないと、頭を下げるばかりである。
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