seminarのお題を探るために、30年間BBC東京特派員を務めたイギリス人が日本を去るに当たって記した「感懐」を手がかりに、方々にコメントを求めていた。36会の名付けの親の一人が次のようなコメントを寄せてくれた。ちょっと長いが、先ずは全文を紹介する。
***【返信4】オオガくん
Old soldiers never die,they just fade away.
3月のseminarには参加できませんが、あなたの問題提起に小生なりに反応してみます。わかりやすい素描ですが、己に振り返ってみると考えさせられることが多いBBC特派員の実感だと思います。
トキさんのように一刀両断することに理解はしますが、小生は与しません。家内にも読んでもらい珍しく夫婦で話し合いをしました。娘が仏人と結婚し、旦那の仕事上、観光を入れれば、30カ国以上を訪れ、住人としてはパリ、ブルッセル、モスクワに住み、今回のウクライナ戦争でロシアからの国外退去命令を受けて、現在はとかく話題の北京で寒さに震えながら春を待ち、これから数年の同地での生活をしてゆくことになるのでしょう。我が儘娘ですから、コロナ前は年に2度ほどは帰国し、親に似つかわしくない「暴論」(30年近くも海外生活を続けると全く異邦人です)を吐いて親子の諍いが起こりがちでした。娘に言わせれば、やはり日本はあらゆる点でガラパゴス化していて、母国の政治ガバナンス、経済状況、社会の仕組みは看過できないと憤懣やるかたないと嘆き悲しんで?います。反面、彼女の周りの外国人にしてみれば、日本は世界で最高の国である褒め称えると宣う。このアンビバランスがまた絶妙なのです。親の権威をだらりと降ろして、謙虚に耳を傾けると、娘の嘆きは是とする面も多い。日本は茹でガエルになっても変われなかった。日本の失われた30年をこの際、「うちらあの人生、わいらあの時代」として虚心坦懐に振り返ってみるのもこの歳になっての己の責務かなと思う。そうして何が出来るのか、はたまた、そこでの思いをどのように処理するのかは何の成算もありはしないが。
「公害」という言葉も知らず、精錬所の亜硫酸ガス(トキさん間違っていないかな?)が主因での日比のはげ山を遊び場として無邪気に駆け回り、水島工業地帯から流れ出るタールに汚された白砂青松の渋川の海で、夢中に泳いだあの頃。少し長じて、柔らかなその御手に触れもせず、日の出海岸の瀬戸に沈む太陽を眺めた淡くて青い春もあった。
五木寛之流に言うと我々の「学生期(がくしょうき)」は、岸安保の残滓が色濃く残り、ふくよかな樺美智子の遺影が頭から離れないなか、「ポポロ座事件」、「大学管理法案」、「原潜寄港」等々、学内は騒々しかったが活気に溢れていた。大江健三郎や、三島由紀夫に耽り、柴田翔にも熱を上げた仲間が周りに大勢いた。学生特権なるものがホンワカと赦され、街で大騒ぎした後に帰ってきた寮の二階から月夜の黄色い雨が降ったのも懐かしい。
一方、我々の「学生期」前から戦後の日本経済はGHQの庇護の下、軽装軍備のお陰もあって、傾斜生産方式による金融支援や朝鮮特需がそれに加わり、急速に欧米の背中を追った。ローマでは裸足だったアベベは、靴を履いて東京を走り抜けた。右の人も左も哲人アベベに、戦後の日本の廃墟からの隆盛を夢想したのではなかったのか。
赤旗を憶面もなく捨て去り、「家住期」入りした我々の初任給は僅か3万にも満たなかったが、インフレに呼応した2桁の賃上げは当たり前で、居心地の良い社会人人生であったような気がする。
「林住期」も過ぎて、「遊行期」にあるうちらあとわいらあは終活を真剣に考えねばならない時期にさしかかっている。最期の「遊行期」は個人差が大きく、五木寛之曰く、一番重視する「林住期」は人生100年時代と言われる昨今にあって、10年は誤差として許容し、今がまさに終盤といえ実りある時期にあると考えても良いのでは。このseminarがあなたのご尽力で、有意に続いてきたのは素晴らしいことであると思う。
雑念はいろいろあるが小論を一つ。日本の置かれた現状を名古屋の田舎から眺めていると、今こそ、準大国としての立場を認識し、行動を起こす最後のチャンスだと思わざるを得ない。経済のグローバル化がこれほど浸透した時代にあって、米中のデカップリングと付き合うことの難しさは、例えば米主導のIPEFでのフレンドショアリングと情報結束が日本にとって最善の経済外交ではあり得るはずもない。其れよりもトランプの暴挙を棄てて、TPPに米が帰ってくるほうが我々の陣営にとってどれ程メリットがあることか。科学技術は近接するユーザーとサプライヤーの切磋琢磨で進歩発展する。TSMCがアリゾナに工場を建設するのはそこにアップルがいるから。同じく、同社の熊本工場が来年に稼働する意図はソニーとデンソーいるから。かって、世界を席巻した半導体大国日本には今でも世界が無視できない製造装置と素材メーカーを持つ。貿易摩擦や国としての取り組みに一貫性がなく、今の体たらくがある。莫大な資金を要する装置産業であるが故の資金不足、なお且つ生産数量確保が出来なくなった結果、台湾、韓国、米の後塵を拝している。TSMCにしても地政を考えるとアリゾナ、熊本はリスクヘッジとなることは当然である。日本としては軍備にも必需のハイテク半導体は中国を念頭に米陣営に位置せざるを得ない。勿論半導体に限らず、AI、量子コンピューター、宇宙開発、新薬などの先端科学技術での日本の位置付けである米主導の民主主義陣営に疑問を挟むつもりはない。要するにこれらの分野での優位性をいかに担保し、グローバル経済システムにあって、経済安保を念頭に日本の権益を守り、ぶれない独自性を発揮して、強かに行動するかが重要である。
問題は、米の内向き姿勢が変わるとも思えず、国内の分断も避けられず、専制国家や、ならず者国家の跳梁跋扈を赦しかねない。また、グローバルサウスと言われる第三局グループの存在感が増していることをこれから注目する必要がある。世界の重心は大西洋からインド太平洋へ、北半球から南半球へ移行しつつある現状に鑑み、歴史的経緯からも親和性が高いグローバルサウスの国々への働きかけで、日本は大いに汗をかかねばならない。特に米のグローバル目線を引き上げ、絶えず叱咤激励するために、同じ準大国の英、仏、独、加等、志を同じくする同盟国との共同歩調が極めて重要であると思う。ファーウェイ叩きに慌てふためき、その後背にある中国の軍民同仁体制に、この期(昨年末)に及んで漸く日本やオランダを巻き込む米の戦略なき戦術は敗戦前の戯れ事(孫子)ではないのかと不安に思う。
果して日本は変われるものなのか。然し変わらざるを得ないと思う。薩長中心のクーデターで、徳川を倒し、天皇を戴いて、近代国家らしきものを急造した。それ以後も脈々と流れる保守の地下水脈(保阪正康)は枯れることもなく、高齢化と選挙制度、野党の体たらく、はたまた、特に投票率の異常な低さ(選挙制度に問題があると思う)で自民党の支持基盤は揺るぐこともない。同性婚者は気味が悪いと宣う輩の「隣には住みたくない」世界最高の日本人であるためには何を考え、どうするべきか。
「林住期」の最大の見せ場にあって、うちらあとわいらあは終活をぼつぼつ頭の隅に据えて、次回のseminarで大いに論壇風発してください。勝手に吠えた、この程度でことが前に進むと言えないことは百も承知だが、周りに居る人に、手を伸ばし、息を吹きかけることが出来ればそれでも良いのでは。
Old soldiers never die,they just fade away オオガ記
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《日本の失われた30年をこの際、「うちらあの人生、わいらあの時代」として虚心坦懐に振り返ってみるのもこの歳になっての己の責務かなと思う。》という気概、《勝手に吠えた、この程度でことが前に進むと言えないことは百も承知だが、周りに居る人に、手を伸ばし、息を吹きかけることが出来ればそれでも良いのでは》という明察も、80年を生きてきた老人の成熟した箴言に聞こえる。
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