1年前(2022/02/17)の記事《危うい「心身一如」、宇宙は大きい》は、いろんなデキゴトを「心身一如」と名付けて自足するなという警鐘を、梨木香歩の小説から読み取ったというものであった。
《その危うさを超えていくためには、日々出逢う一つひとつの出来事を、その都度、一つひとつ丁寧に(そうなのか? それでいいのか? いま感じている違和感を違和感のままにその場に差し出さなくていいのか?)、繰り返し問い続けていくしかないと言っているようであった》
つまり自問自答は繰り返され、更新されるものだ。ヒトというのは、論理的に一つでも結論というか筋道が出来上がると、そこで自足して更新が停止してしまう。それじゃあダメなんだよというワタシへの自戒である。他のヒトから見ると、同じ曲の変奏ばかりでシツコイねえとみえるでしょうね。
さて、そういうワケで、今日もBBC東京特派員・ヘイズさんの「日本人の不思議」にこだわって、わが身の裡に分け入ってみる。
昨日までの展開は、田舎の集落が都会地からの新来者を受け容れるのに、自分たちのもっている土地の気風を守って頑なである不思議を考えてきた。辿り着いたのは、人付き合いの粗密は、かかわるヒトの数と場面の多様さによるのであって、気質やクセという土地人(とちびと)の気風も、それによって形づくられる。「少子高齢化で集落が消滅しようというのになぜ外からの人をうけいれるのに躊躇するんだ?」というヘイズさんの不思議に絡めていえば、単なるホメオスタシス、自己防衛本能の発露。都会もんと何も変わらないと考えてきた。
ズレが生じているのは、身に染み付いた文化的伝承と、遠きにありて見てきた「ふるさとへの憧憬」という「期待」とが齟齬するからに他ならない。自律的にやってきた守りの姿勢と商業的依存に支えられている「期待」とが食い違って、トラブルになってしまうのであろう。
ホメオスタシスは、ではなぜ(集落が消滅するかもしれないという)未来を算入しないのか。その不思議が残る。そこへ踏み入ってみよう。キーワードは、ガイジンである。
外国人に対する畏敬と私は考えているが、端から異質であるとみえるガイジンは、気心が知れないと受け容れる方は感じる。「都会風を吹かすな」と同じように「外国風を吹かすな」といってやれば良いのに、そうは言はない。なぜか。相手が「わからない」のだ。
日本人の新来者に対する「都会風をふかす」は、同じ土俵の上にあってあたかも主導権を握るかのような振る舞いに対する嫌悪感を表明している。新来者は(同じ日本人ならば)ワタシらと同じように振る舞えと思うのに、自分たちは一歩先んじている文化を知っているのだとばかりに、礼儀・作法もわきまえず優越的に振る舞う。それに対する不快感、先見的な劣等感の裏返しの表白なのだ。ここにも、田舎人の誤解がある。都会もんも所詮はわしらと同じ日本人ではないかという誤解だ。元々違うと思っていれば、どんな風を吹かせるかわからない。コイツ何者? と不審に思うと同時に、オモシロイじゃないかと受け止めても不思議ではない。だが同じ日本人じゃないかと思うと、何でこんなことがわからないんだ、甘えるな、えらそうに言うなと、時代や文化のズレを棚に上げて苛立ってしまう。ついつい土地もんの流儀で解釈して、腹を立て、邪魔だよオマエと排斥してしまうというわけだ。
だがガイジンは違う。そもそも土俵が同じと考えていない。それこそ優劣の判別も棚上げした異質さが出発点にあると思ってみている。果たして、わが町の気風、コミュニティとかアソシエーションに馴染んでくれるのかどうかもわからない。だから、警戒的ではあっても、敵対的ではない。好奇心は剥き出しになるが、礼を失するほど口にはしない。恐る恐る近づき、何をしに来たんだ、家族はどうなってるんだ、どうやって暮らすのかと探りを入れる。これはもう、明治11年に日本にやってきたイザベラ・バード人に対する上州の村人の好奇心と同じ根っこである。その土地に馴染もうとしている敬意がガイジンの言動から感じられれば、オモシロイと受け容れるばかりか、さまざまな援助を惜しまない。そのようにして今地元に溶け込んでいるガイジンは各地にいると、TVメディアは伝えてくれている。
ヘイズさんが房総半島の集落の人に「もし私が家族を連れてここに住んだら、どう思いますか」と問うたときに、しんと静まりかえったのは、排斥する沈黙ではない。「わからないこと」への応対である。その後に続いた言葉「それには、私たちの暮らし方を学んで貰わないと、簡単なことじゃない」と「不安そうな表情」も、ガイジンに対するすぐにどちらとも言えない心裡が現れたものと私は受けとった。ひょっとすると、ガイジンがこの集落に馴染むのは「簡単なことじゃない」と気遣ったのかもしれない。それくらいわが身の裡にも、ガイジンに対する異質・畏敬の念が染み付いている。
昔、羽仁五郎であったか、「都市の論理」という本を書いて、近代的な市民というのが自律の精神を旺盛にして中央国家からの支配を嫌ったということを主張したことがあった。江戸は、その当時としてもすでに世界的な大都会であったと何かの本で読んだことがあるが、羽仁五郎が取り上げたハンザ同盟などの都市と違って江戸は、そもそもの出立点が中央集権の権化のようにして形づくられた都市であった。異質な他者が集うといった西欧の都市と違い、異質な「くに/郷土」の人々が寄り集って一つの国家の人々として文化形成をする都会であった。もし堺の町が織田信長の攻撃を退けて自律の道を歩んでいたとしたら、あるいはもし長崎の町が、江戸の支配とは別に自律した海外交易の拠点として自治的に運営されていれば、日本にも、異質な人々の集う近代的な市民(の誇り)が誕生していたかもしれない。だが、そうはならなかった。まさしくこの大都会、江戸・東京こそがニホンであり、そこで話される言葉がニホンゴであり、その文化・産業こそがニホンを領導する文化であると、明治以降の歩みを通して大阪を凌いでいったのであるから、異質どころか、どれもこれも一緒=同一民族と後にみなしてしまうほど、江戸・東京文化の集権的力は強かった。
それが、田舎の、つまり地方の劣等感に繋がり、都会風に対する反発にもなってきたのだ。それが、ITネットワークの発展と広まりによって、どこに身を置いていても務まる仕事が多数誕生することになった。加えてコロナ禍によって、大都会は密であり、with-コロナの暮らしには適切でないと天の啓示が下り、地方へ移住する人たちが出来した。コロナ禍ばかりでなく、あくせく時間に追われる都会での暮らしに草臥れて、もっと自然の中に身を置いて暮らす方が、子育ても自給自足も、人と人との関わりもいいんじゃないかという気風が少しずつかもしれないが、広まっているような気がする。
こちらは歳をとって、わが身に刻まれている自然との馴染みが掻き立てられて、「ふるさと」を想うように、今その動きを眺めている。でも心裡だけね。身はもう、思うように動かない。
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