このブログ(2023-01-26)の記事「私たちの終活」に記した「日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている/BBC東京特派員が振り返る BBC News -01/22/ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ、BBC東京特派員」を、3月seminarの「お題」にしようと考えた。seminarの常連にそれを送って、いろいろな意見を3月まで取り交わし、その延長上に「お題」を設定する。そうすると、ちょっとはseminarで取り交わす言葉の質も上がって、面白くなるんじゃないかと思ったわけ。
次の二通が、返ってきた。
【返信1】keiさん
BBC東京特派員のヘイズ氏のBBCニュースを次回セミナーの「お題」にすることに大賛成です。このように読みやすく面白い記事をどこから探し出したのか、そこにも関心があります(笑)。/この短い記事は、自分の30年は歴史の中で、どう位置づけられるのか、これからの30年間で日本は世界はどう変わるのかを考えさせられる記事でした。読みやすいいい文章ですね。/みなさまの感想はどうなのでしょうね。
【返信2】トキくん
添付を読み始めましたが、冒頭の一文を読んだだけでこの馬鹿特派員はなにもわかっちゃいねぇと思いながら読みおえました。/税務上の償却で評価が下がるのは当たり前。それと資産価値は別物。日本は中古物件の市場が成熟していないけど売ればゼロにはならない。もちろん山の中の一軒家を買う人がいなければ価値はゼロかもしれないが、それは需要とのからみで価値が形成させるだけ。/我が国のことは我々が解決する。お前はお前の国のことを案ぜよ、が結論。/ストライキで市民が迷惑、王室はガタガタ、貧富の差は我が国どころではない。/いつも思うが所得を単純に比較するのは間違い。収支を比較して論ずべき。家計に占めるエンゲル係数とか、光熱費の比率とか、教育費の割合とか。というわけで、読み終えてあほくささが残るだけでした。
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う~ん、これをどう料理しようか。どう調理したら「お題」になるか。思案している。
keiさんの返信は、いつもメンドクサイ文章を提供している私への皮肉も加わっている。東京特派員という視線ではあるが、1993年から30年間の時代を私たちと共有しているヘイズ記者の(日本人の不思議という)指摘を、我がこととしてとらえようと言う私の提案に同調している。
ところがトキくんは、(日本人の不思議を問う)ヘイズ記者に言葉を送った「ある高名な学者」の指摘する「名家」を象徴している。
《(明治維新によっても、1945年の二度目の大転換に際しても)日本の「名家」はそのまま残った。圧倒的に男性中心のこの国の支配層は、日本は特別だという確信とナショナリズムに彩られている》
ここでいう「名家」とは、自己の存在に対する絶大な自信だ。その自信の根拠が「日本は特別だという確信とナショナリズム」というワケだ。keiさんもトキくんも、地方の工業都市にある私の中学の同窓生である。トキくんはたぶん、大企業の名を冠した鉱工業のエライさんとして転勤してきた親父の息子であった。そういう意味では「名家」に身を置いていた。高校生になるときに東京へ移り住み、トキくん自身、東大法学部を卒業して、やはり財閥のひとつを継ぐ商社に身を置いて世界を舞台に仕事をしてきたから、「名家」の誇りと自信を身の裡にもって生きてきたのは間違いないだろう。
でもねえ、トキくんのペースで読むと、お題どころか、seminarのお話にならない。ちょっとここで、ヘイズ記者の文章の要点を記しておこう。
(1)1993年にヘイズさんが着任した頃「日本は未来だった」。
そうみえた理由は、①豊かで裕福。平均寿命が世界最長、殺人事件の発生率は世界最低。政治的対立は少なく、パスポートは強力、世界最高の高速鉄道網をもつ。②大都市・東京が見事なほど清潔できちんとしている。③独自文化,ソフトパワーは素晴らしい。④自然が豊かで美しい。
(2)日本は過去にとらわれている。
その理由。⑤もう何十年も経済の低迷に苦しんでいる。⑥人口の少子高齢化が進んでいる。⑦過去への頑なな執着が、変化を拒んでいる。⑧外部(外国人)への恐れ。
⑤に関してヘイズさんは、1993年に比していま格段に収入が落ちていることに触れている。これがトキくんには,カチンときたのかな。フローばかり見てないで、ストックを見ろよ、と「馬鹿特派員」呼ばわりをした。たしかに今、私たち年寄り世代がそれほど困った顔をしていないのは、バブルの遺産を食い潰しているからだ。つまりストックが、今の裕福を支えている。
ヘイズさんは、バブル後に世界を襲ったグローバリズムという名のアメリカン・スタンダードの隆盛に、日本の産業構造の転換が追いついていかなかったことを感じているのであろう。この経済的な停滞がなぜ起こったのか。欧米の先進国は、しかし、それでもGDPを伸ばし,低成長とは言えそれなりの成長を着々と遂げてきた。その間に、中進国と言われていたBIRICSが追いつき追い越す勢いで成長を遂げ、一人あたりの国民所得で日本は韓国にも追い越されるようになった。どうして日本は、かくも低迷しているのか。これをひとつ、seminarの「お題」にしても良いかもしれない。
その経済的な衰退にひとつの回答を与えているかにみえるのが、少子化と人口減少である。これには、日本の社会保障というシステムが、長期的に見ると明らかにみえていた時代の変化に対応しようとして来なかったことを示している。むろん社会的な産業と消費の高度化が進むのに少子化が伴うことは、ヨーロッパのケースで先行例がある。世界的な長寿国である日本であるから、年寄りが増え、相対的に少子化となることはみえていた。にもかかわらず、絶対的少子化と人口減少になったのは、なぜか。家族や社会保障のとらえ方が旧弊に過ぎたと一般的にいっても仕方がない。もう少し子細に分け入って、このモンダイを「お題」にしても良いかもしれない。
人口減少を埋め合わせるのに、外国からの移民を受け容れる必要があると政府が問題提起したのは2000年であった。毎年60万人、一〇年間で600万人の移民受け入れを提言した答申を小渕内閣が発表した。しかしそれは、ほとんど紙切れ同然に扱われた。なぜそうなったのか。「我が国のことは我々が解決する。お前はお前の国のことを案ぜよ、が結論」というトキくんの放った罵声は、外国人に対する忌避感も、頑ななナショナリズムも見事に象徴している。なぜこういう罵声を浴びせるようになるのか。これも、「お題」になる。
ヘイズさんが見立てる「絵はがきにしたいような」ふるさとの自然は、都会に住む私たち高齢者にとっても、美しく懐かしい。身に響く郷愁を誘い、なることならそのような自然のなかに身を置きたいと思う。だが、遠くにありて想うものという謂れの通り、そこへ移り住むことは至難の業である。だがヘイズさんが惜しむように、私たちにとっても惜しむ心持ちがありながら、なぜ、それが至難の業なのか。これも「お題」にして考えてもオモシロイとワタシは思う。
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