BBC東京特派員ヘイズさんの「日本人の不思議」を媒介にしてseminarのお題を探る遣り取りが佳境を迎えている。テーマは1990年代初め・バブルが絶頂期にあった頃と2023年の現在との日本の様変わりは、なぜだったかと自問すること。「様変わり」と呼んで「失われた*十年」とか「経済的な凋落」と呼ばないのは、果たしてこの変容が良いことか悪いことか一概には決められないかもしれないと、価値判断を中動態化しているからである。
このとき、経済的な様変わりをみていくことが、まず一つ必要になる。この様変わりは、他の国との比較によってみるしかない。なぜそうなったかを探っていこうとすると、グローバリズムという経済的な大変動でさえ、主導関係国の政策変更という変数があって、一筋縄では解き明かせない。最も明快に語るのは陰謀論。だがこれは、幾つもある変数の動態的平衡を考慮しないから、操作するものと操作されるものという「能動-受動」関係に貶めてしまって、フェイクとリアルの対決構図しか浮かび上がらない。
次いで30年の様変わりを探ろうとするとき、すぐに国民国家の盛衰という次元でみてしまうことが一般的なのだが、もう一つ次元を掘り下げて、人々の暮らしがどれほど楽になったか苦しくなったか、豊かになったか貧しくなったか、貧しくはなったが楽になったということもある。トップばかりを走りつづけようとするしんどさから解放されて、収入は少なくともたっぷりの時間をゆったりと暮らす、大きな文化的な転換が進んだというのも、ありだ。その視点から見ていこうとすると、子育てや教育がどれほど安心してできるほど、充実してきたか/こなかったか。病気や不慮の事故によって不遇に陥っても、不安に駆られることなく治療療養に身を任せ、周辺の人たちは状況の急変に右往左往することなく、事態に対処できるようになったか/ならなかったか。私たちの暮らしのベースであるコミュニティが(地域行政も含めて)どう様変わりしてきたか、いろいろな局面で探ってみる必要がある。当然国家の採用する社会政策がどう様変わりしてきたかも、大事な変数の一つになる。
そうやって考えてみると、強権国家中国の野望とかロシアのウクライナ侵攻など、国際関係の変容は面白くはあっても、じつは差し迫って切実とは言いがたい。上記の人々の暮らしは、そうした国家間の争いをどう捉えていくかと考えるときの土台を為している。その点で「日本人」はどう自己評価をし、将来への展望を見通そうとしているのだろうというのが、「不思議」の主題だと言える。
そんなことを考えていた今朝、愛知県のオオガくんから「駄文を送ります」とメールが届いた。思わず、我が意を得たりと御礼の返信を打った。それを全文、【返信6】と銘打って紹介しよう(一部簡略化している)。
◇ 【返信6】オオガ(2)
Fさん
大企業中心ですが、賃上げも安倍時代の官製春闘から少しトーンが変わりつつあるような気がします。このモメンタムが地に着いた動きとなって、日本の活性化に化学反応を起こしてくれることを期待したいですね。日銀総裁が替るタイミングでもあり、この国のことを考えることは我々にとって天唾といわれても、「終活」と共に大事なことではないでしょうか。前回の駄文を深掘りする力はありませんが、BBC特派員氏が指摘し、更にはマスコミで散々言い古され、手垢に汚れたことをなにも今更と思いますが書き連ねてみます。
LGBTやジェンダーギャップの話はあなたの言われる通りで、日本人のバックボーンでもある宗教観や保守の強固な岩盤に矛先が向かうのでしょう。絶対神であるキリスト教やイスラム教に比べ、八百万の神信者である日本の大衆社会の庶民感覚は自ずと根底から違うと思う。強固な保守岩盤と言っても、米の福音派の存在とは、自ずと異なる。
其れよりも「下部構造が上部構造を規定する」のは歴史の必然で、30年の経済停滞をこの機に改めることは遅きに失したとは言え、手をつけねば後を託す世代に申し訳が立たない。下部構造=経済(経世済民)があってこそ、一国の政治、文化、社会通念が後発して出来する。今回の世界的なインフレの要因は述べるまでもなく様々あるが、GAFAMが採ったダイナミックな雇用者解雇は、日本の労働法ではあり得ない話。かの国ではGAFAMがIT不況、リーマンショックを奇貨として、従業員の大量解雇、その人達の受け皿としてのスタートアップ企業の存在と旺盛なイノベーションが加わり、ビッグテックとして大きく飛躍し世界を席巻した。一方、日本は戦後のシステムはGHQからの押しつけの借り物との考えが色濃く蔓延っていた。それに加え、高度成長の僥倖に舞い上がり、皇居の地価がカリフォルニア州の其れを越えたと大騒ぎした。勤勉な労働者とメンバーシップ型の終身雇用は大量生産には有効であったが、問題の先送りや、経営者の責任回避に体よく使い回された。経営は「人」をコストとして捉えてきたから、企業間競争上から賃金は増えず、非正規社員は4割までに膨れ上がった。一時1ドル70円台の円高に、悲鳴を上げて海外に生産拠点を移し国内は空洞化する。ウクライナ問題や、米中のデカップリングで、非資源国である日本は、シベリアからの原油、LNG輸入問題や50年のカーボンニュートラルの世界公約もあって、世界の中で化石燃料の確保という点ではどうしても旨く立ち回れない。労働生産性、就中、非製造業の其れは低く東京のマックの値段はNYの半額である。これは地価、人件費とDXの取り組みの差で説明がつく。
黒田日銀を全て否定はしないが、政府と結んだアコードの肝である、3本目の矢は日本経済の構造改革であったはずである。総裁として「孤独に堪えて政治と対峙」したのだろうか。大胆な金融緩和と積極的財政出動は、換骨奪胎の一面があったものの、「日銀は政府の下請け」化して、日銀としての独立性に違背した側面があったことは否定できない。日銀からボールは政府に投げられたものの、握りつぶされたまま返球されていない。それどころか、自民党内には現代貨幣理論(MMT)を楯に、日銀のバランスシートを極端に肥大させ、いまや日銀は国債の半分を保有し、多くの日本企業の筆頭株主である。ギリシャやイタリア等と異なり、日本の国債発行は円建てでデフォルトリスクは低いものの、昨年12月に長短金利操作(YCC)を変更した際の10年物国債の金利急上昇に見られるように、海外勢を中心とした投資家との攻防は予断を許さず、国債の支払利息は今までの低金利時代とは様変わりする。喫緊の国策課題を考えても、想定外の少子化対策や国防費の財源はどのように捻出するのだろうか。国会でもこの問題について、与野党の突っ込んだ議論や国民への丁寧な説明はなされてはいない。
経済改革の機運のない迷走は止めて、資本、労働力、生産性の3要素を基本に返り、見直すことが出来る可能性が高まってきたこの時期に改革の狼煙を上げねばならないと思う。先進国の中で、極端に低い廃業率にメスを入れ、同時にそこから派生する労働市場の流動化を指向した法整備を急ぎ、受け皿体制を整備することは必須である。企業内部の技術の蓄積が生産性を向上させるという80年代の日本のキャッチアップ型の経済合理性は終焉した。技術革新と労働力不足と優秀な人材確保と更にはジョブ型雇用に対応するには、年功序列型賃金制度や今までの終身雇用体制は表舞台からは降りざるを得ない。OJT、オフJTによるスキルアップの仕組みや敗者復活戦に臨む人々への財政、金融支援は今まではあまりにも貧弱であった。この点を含め、トータルなセイフティーネットを張り巡らせ、厳しくも明日を語れる社会基盤を構築せねばならない。
まだいろいろ言いたいことはあるが、暗夜行路を急ぎたい。
うちらあとわいらあは残り少ない今、振り返ってみて、戦中に生を受け個人的には恵まれた世代と言えるのでは。戦火に逃げ惑ったこともなく、戦後の混乱を己の記憶として、トラウマ化した仲間は殆ど居ないはず。然し、中途半端な三つ子の魂に気触れて、夢物語を実話化して意気込み、己のアイデンティティーとして法螺吹いた世代ではなかったのか。
税と社会保険合算の国民負担率が46,8%と発表された。これ自体の受け止めは様々だろうが、これからの日本の置かれた状況から考えて、この負担率は其れこそ、50年のカーボンニュートラル時には諸要因が加わり驚くべき水準となってゆくことは必定。社会保障、セイフティーネットを語るときに参照される北欧の国民負担率は既に7割の水準である。
後生大事な既得権に手を突っ込まれるのは忍びなく辛い。政治家でもない老人が吠えても嗄れた声の届く範囲はしれたもの。されど、変わることに無頓着だった時代を生きてきた世代として、「自分は何処で生まれ、いま何処に居て、此れから何処へゆく」(立花隆)ことに思いを馳せるべきある。その上で、周りの人たちに其れをナッジするくらいの勇気は持ちたいものである。(2023-02-26)オオガ記
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