今朝(2/23)の朝日新聞の埼玉版の二段分を全部使うような大きさで、「渡良瀬の茅すくすく 最高の屋根材に」と見出しを付けた記事があった。その中に《「収穫した茅は四国で唯一の茅葺き職人川上義範さん(75)=高知県檮原町=の元に送っている。「うちの茅がいい、と川上さんがほめてくれて、もう20年来の取引です》とあって、奇遇と思った。
去年9/9のこのブログの記事「景観が誇らしき陰影を以て起ち上がるとき」に、檮原町を訪ね、朝の散歩で立ち寄った茅葺き屋根の屋敷の模様を記している。
《高台の掛橋和泉邸の中から顔を出した(私よりは若い)お年寄り……なんとこの方が、マルシェ・ユスハラの茅葺き細工を行った職人だとわかった。埼玉と栃木の県境になるが渡良瀬遊水地の萱をつかったと、カミサンのよく足を運ぶ探鳥フィールドの名が出て、ふむふむと話が弾む》
ブログ記事の話は、この方が隈研吾の木の建築の出立点に名を列ねることになったこととか檮原出身のうちのカミサンの兄嫁と従姉弟であったことにまで及んで、見ている景観が色合いを変えたように思った感懐を表題にしている。
あのお年寄りの名前や年齢がわかったこともさることながら、この方が「四国唯一の茅葺き職人」ということを知ったのも驚きであった。何よりこういった出逢いがうれしい。
たまたま小雨の朝の散歩で訪れた掛橋和泉邸、たまたま声をかけられ邸内に上がり、マルシェ・ユスハラに泊まっていたこと、その朝食会場に置かれていた一冊の隈研吾の建築様式誕生由来を記した本、脱藩の道の入り口に住まいを構えるカミサンの実の姉、実家の分家である伯父が町会議長をしていたことなどなど、いろんな偶然が積み重なって、この記事に出逢った。
そう思うと、蝶の羽ばたきがテキサスに竜巻を起こすという話も、さもあらんと納得できる。そしてそれが、まず何よりも羽ばたきを止めないでつづけたこと、そういう羽ばたきが、あちらにもこちらにも起こりつづけられていたこと、その連関がいつしか繋がりをもって、ワタシとカミサンとカミサンの兄弟姉妹と茅葺き職人と隈研吾とカミサンの探鳥地と渡良瀬遊水地の茅の刈り取り作業と・・・という偶然が絡み合って、まだ半年も経たないうちに「奇遇」を体験する。何と世界は狭いではないか。何と生きていることは関係に身を置くことと言えるではないか。
関係に身を置くというのは、恒に常に、わがふるまいが世界に、宇宙につながっていることを意識することだと、教えているように思う。ほんのゴミ、黴菌=germが、萌芽という意味をも含むように、ゴミ・黴菌のようなわが身の一挙手一投足が、ひょんなことで世界や宇宙につながっている。それがどこにどう繋がりを持ち、どういうさようをし、どういう感懐をもたらしているか知らぬままに、しかしワタシは生きているという事実を、この「奇遇」は垣間見せてくれた。この奇遇は良いことばかりとは限らない。プーチンの羽ばたきが習近平の羽ばたきと響き合ってウクライナの人々の不安を生み続けてもいる。出たとこ勝負の核の脅威がさらに世界の悲惨を拡げるかもしれない。奇遇は、いいことばかりではないのだ。
もちろん言うまでもなく八十年も生きてきたからこそ、そういう繋がりの堆積と絡みと出逢いが生まれていた。ワタシの幸運というのは、他の人たちのやはり羽ばたきがもたらしたものであり、それが他の人たちの幸運につながっているかどうかはわからないが、少なくともその繋がりが、ウクライナや新疆ウィグル地区の悲惨という気持ちを幻滅させるような事柄ではなく、といって言挙げて称揚するようなことでもなく、単純に暮らしの坦々とした営みにつながっているという、価値的な善し悪しを取り外したほんの事実に当たるような脈絡をもっていることへの、慥かな手応えだということである。
ああ、これが人生なのだとあらためて思い、その単純な暮らしの平面に足が着いているという幸運を感じている。まさしく青い鳥だね。灯台もと暗し。日頃の暮らしとして無意識世界に落とし込んでいる人類史的堆積を意識化して発見することが、人の営みのもの思うことにはあるのだ。今朝はひとつ、それに出逢ったってワケだ。
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