2023年2月3日金曜日

初山行

 これまで通りの(少しきつい)運動をするようにして・・・という医師のすすめに,大喜びで山へ行った。日和田山。日高の町の西端にある「奥武蔵の山」。最初、岩登りのゲレンデとして知り、後にあるいて奥武蔵縦走をしたこともある。400m足らずの山。体調チェックの軽い運動には適当と思い選んだ。カミサンにも付き添って貰う。

 ゆっくりと、8時半過ぎに家を出る。外環と関越を走り、圏央鶴ヶ島ICで降りてnaviに従って走る。巾着田のすぐ近くだ。地元農家の駐車場に止め、10時には歩き始めた。

 何組かの人たちが後から来て、先へ進む。皆さん勝手知ったるフィールドって感じ。散歩道なんだね。私はというと、何日か前から腰が不安定。ベルトを締めているとはいえ、落ち着かないから、腰が少し曲がったまんま、こわごわと登る。すぐにルートが「男坂」「女坂」と分かれる。上りに男坂、下りに女坂かなと言って道を分ける。男坂の所で、「←見晴台」「男坂↑」とさらに分かれる。見晴台に立ち寄ってから登ろうと,そちらへ向かう。後回しにするとメンドクサクなって通り過ぎてしまう。見晴台からは日高の町がよく見える。ここが関東平野から秩父山地が起ち上がる端境地だとわかる。

 男坂との分岐へ戻ると思っていたら、見晴台からの上り道もある。そちらへすすむ。間もなく男坂と合流し、目の前の大岩を中年の男性がクサリを使って登っている。その手前を上る踏み跡もあり、そちらへ回り込む。すぐに二の鳥居に出た。

 振り返ると、見晴台よりさらに広い範囲がみえる。西武ドームの屋根が光っている。新宿のビル群、さいたま新都心の林立ビルが際立つ。遠方は霞か雲か、ぼやけている。富士山がみえる。丹沢大山の特徴的な三角の形が東に少し離れて鎮座している。海から見るとこの特徴がランドマークになっていると船乗りの話を聞いたことがある。

 日和田山山頂は,そう遠くないところにあった。二の鳥居と違って北東方面が開けていて、平野にポツンと筑波山がかすんだ姿を浮かんでいるようだ。風が強い。先客が、ベンチを明けてくれようとしている。「いえ、座りませんから」と断ると、傍らの別のベンチに座っていた女性が「強いんですね」と口にする。う~んそういうことじゃないんだが、ま、いいか。

 ここじゃお昼は食べられないねと,風の強さを嫌って、カミサン。

 まだ、11時だよ、先へ行こう。    

 えっこの先へ行くんですか?(と、先ほどの女性が)

 物見山まで行ってきます。

 ホントに強いんだ。わたしはここまで(と、聞いてもいないのに応える)。

 日和田山から物見山への往復は、ほぼ地元のK夫妻にとっては散歩道だ。2時間ほどで歩いている。ご亭主のリョウイチさんは2時間20分かかると体調が落ちているとみている。いつもの日帰り山行なら私は5,6時間ほどを歩いていたから、往復2時間を「強い」と言われると笑うしかない。でも今が、そうなんだよね。リハビリ登山だ。

 高指山は測候所か何かの施設なのだろうかコンクリートの無愛想な建物があり、金網で囲まれた庭に名を刻んだ柱が立っている無粋な山頂であった。ただその下に広い芝地がありベンチが据えられている。山頂部の台地に風も遮られて日差しが暖かい。お昼にちょうど良い。25分掛けてお昼を済ませ、物見山への稜線を歩く。出発してすでに2時間経っている。

 物見山の標識とベンチがある地点に着く。地理院地図の山頂は,さらに東100mほどにあるので、そちらへ行ってみる。樹林のなか、三角点があった。山頂標識は、ない。前にも一度ここに来た覚えがあるが、はて山頂標識が移ったのか、前々から現在地だったのかわからない。今の地点は南方面が開けている。カミサンはここが渡りの鷹の観察地点だという。だがそれにしては見晴らしが利かない。それより少し南へ戻った地点の方に南西方面が大きく開けた草地がある。そこには「私有地ですので、立ち入らないで下さい」と看板が設けてある。ということは、ここに鷹の渡りを見る人が押し寄せるってことか。

 帰り路は山頂を経ずにトラバースする道をたどる。歩いているうちに腰が往路よりも伸びているように感じる。やはりパソコン前に座って過ごすのが、一番悪いのかもしれない。二の鳥居からの眺めは午前中より悪くなっている。女坂は緩やかな下り。急なところには階段が設えられていて、快適に進む。駐車場着14時。概ね4時間の行程。

 車の帰路も混むことなく順調に還った。車の速度、110km/hがこんなに早く感じるとは思わなかった。これってひょっとしたら、高齢化に伴う身の衰えと相関して、感じ方が変わってきているのかもしれないと思った。

 そうだ、もう一つ記しておこう。風呂を上がってタニタの体重計に乗った。体内年齢は前日と変わらず「65歳」だったが、足腰年齢が「70歳」になった。昨年の誕生日に「75歳」となり、なんだ5年ごとに計測値が上がるのかと思ったのだったが、そこから若返った。計測数値が境界値にあって、ほんの少しの変化で行き来しているのかもしれない。となると、山歩きは,やはりつづけなくちゃあならない。そう思った。

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