2023年4月11日火曜日

すっかり同居?

 一昨日(4/9)のこと。校正作業をしていて、ふと、思い出した。そうだ、今日は弟の命日だ、と。もう9年にもなる。

 7年目には夢枕に立った。

 去年は、「今日はお釈迦さんの誕生日だね」と口にした私に、「明日は(Jの)命日ね」とカミサンが告げて思い出した。今年はほんとうに、(ふと、思い出した)。そう口にすると、カミサンはとっくに気づいていたように「早いものね」という。

 9年前には涙が止まらなかった。夢枕に立った7年目までは、弟の死をデキゴトと捉える感覚があったのかもしれない。それが、この変化。近親者の死を特別のことと感じなくなっているのかもしれない。(ふと、思い出す)ように変わっている。(遠くなりにけり)かというと、そんな感触ではない。

 私の周囲の知人も、次々と亡くなっている。コロナ禍もあって、お知らせだけとなる。(そうか、彼も亡くなったか)と10歳上、7歳上の知人の訃報を手にしている。あるいは私よりも若い身近な人が危篤になり、見舞いに行った翌々日に亡くなるということにも出遭った。亡くなるということが「普通」になったのかな。80歳を超えて、友人知人と会うとき(ひょっとするとこれが最後)と思うようになった。遠方に住む兄弟には、別用で近くへいくとき、必ず立ち寄って会うことにしている。顔を見るだけでいい。言葉をちょっと交わすだけで構わない。黙って酒を酌み交わすというのなら、もっと良い。そんな気分だ。

 特別なことと感じないというのは、こちらも彼岸に近づいているからでもある。彼岸と此岸の端境がグラデーションになって、身の感覚としては溶け合い始めている感触が近い。霊魂とを身とを分けて考えている人なら、魂が往き来するようになったというかもしれない。だが私は、心身一如。身と魂は恒に一緒とみている。つまり彼岸もわが身の裡にあると考えている。彼岸と此岸がわが身に於いて溶け合うというのは、ものを思うヒトの感性の側からいうと、身の裡に彼岸がはっきりと起ち上がり、此岸と同居し始めたと言えそうだ。これまで彼岸は、文字通りむこうにあった。こちらに棲まう身としては他人事であったといっても良い。

 そうか、そう考えると、弟の死を悲しんだのは文字通り「永久の別れ」と思って、会えないと感じていたからだ。だがじつは弟は、わが身の裡にいた。生きているときだって、そうだったではないか。弟Jのヒトとしての感触は恒にわが身の裡に湛えられ、現れたり消えたりしていた。実際に会って身の裡のJと違う弟の姿を感じたとき、それは、ワタシのしらないJ(の発見)であって、でも、(それまでは)、ワタシのしらないJが私の弟であった。逆にその感覚は、弟Jはカクカクシカジカのヒトだと感じ、みているのはワタシ一人の偏見でもあった。実存のJが、それと違うのは当たり前で、その違いを気づかないで向き合うと齟齬が生まれ、確執・葛藤となり、あるいは発見の元となる。

 だが弟が亡くなり、齟齬も確執も葛藤も発見もなくなって、実はわが身の裡にいたとワカルようになった。彼岸もまた、わが身の裡にある。なんだJはいたんじゃないか。そう実感できるようになるのに、8年掛かったということか。 

 とすると死を悲しむことはない。もちろん齟齬や確執や葛藤、発見がある方が、生きている存在感があっていい。生きている当人からすると、実存が承知されている感触である。その実存感というのは(その人に向き合う)ワタシからすると、わが身の(知らないそのヒトの在り様)があって、わがイメージや感触や思い込みが修正される(動態的)可能性にあるということを意味する。

 動態的可能性は、しかし、死に伴って失せるものではない。Jを知る人の思い出話、彼の仕事が残した痕跡、それに触れるごとに、ワタシの中のJは修正されていく。それも実は、わが身の(そのときの)関心や傾きに左右されて思い起こされ、発見し修正されていくから、動態的関係を表している。そうなんだね。ヒトの文化が受け継いでいることっていうのは、そのようにして周囲の人との関係に記しとどめられ、ひょっとするとそれとして意識されないうちに継承・伝承され、人類史の刻む文化として受け継がれている。そういうものだと言える。

 これも蝶の羽ばたきと思えば、やはり最後の最期まで、羽ばたきつづけるしかない。そう思うのである。

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