2023年4月2日日曜日

ふらっと遍路の旅(6)神仏

 四万十町・窪川から西条市・壬生川まで歩くというのは、鉄アレイのような形の四国の西側の出っ張りを全部踏破することになるから、お遍路道全体の1/3ほどを歩いたことになろうか。海際まで迫り出した山を上り下りしながら太平洋を一望し、中ほどには豊後水道を目にし、後には瀬戸内海を眺めるという、四国の輪郭をたどりつつ、三原村という数少ない山間の「村」を経て、四国山脈の北側の久万高原へも入り込む今回のお遍路は、「遍路道」ならずとも日本の地理地勢を十分に感じさせる行程であった。

 本四架橋を三本もかけることはなかったという今治の古いホテル主人が昔日を思って慨嘆するように、いうまでもなく高速道が四通八達し、なおかつ鉄道が細々ながら生き延びて走り続けている姿は、人の暮らしの健気さと成長経済の習慣的見当違いを感じさせ、来し方行く末を考えさせるものでもあった。古い「遍路道」は各地で寸断され、掘り抜かれたトンネルでショートカットされている。

 山間僻地にまで行き渡る車道は、しかし、人の通過を促進したものの、地元に止まる若い人をことごとくといって良いほど地方中核都市や都会地へ吸収させてしまい、村に残るのは高齢者ばかり。まるでかつて栄えたという伝説的風情を語るようであった。久万高原を走り抜ける立派な二車線道路の高台、山の斜面に並ぶ家並みは、賑わいを見せるようにみえたが、大半は空き家。「50軒あったが、いまは10人だけよ。皆子どものところへ行ってしもうたわ」と、腰を曲げながらも、しっかりした足取りで散歩をしていたお婆さんが話す。

 そういえば、ネットで採った「お遍路地図」には各地に小学校や中学校の名が記されていた。だが、まだそう古びてもいない建物の小学校を脇を通っていても、子どもの声が聞こえない。「避難場所」に変わっている。中学校も統廃合で「空き家」になっている。バス停に立つ中学生が「おはようございます」と挨拶をする。聞くとスクールバスを待っていると話す。こうなるとますます若い人たちは、生まれ故郷に居着かなくなる。子育ても、もう少し子どもの多いところでと思うのは、親として当然の心情。こうして過疎は加速度的に進む。それをまざまざと見せつけられたようであった。

 思えば、私が小中学生の頃には、日本は人口が多すぎると学校で教えられていた。村ごと南米へ移民する船が出たとも報じられていた。その頃の日本の人口は8千万人くらいであった。それがいま、1億2千万人を切るようになるぞと人口減少が問題視されている。人口が減ると経済成長も規模が小さくなるというのだが、それの何がモンダイなのか。逆立ちしてるんじゃないかという疑問が、私の胸中には湧き起こる。高度消費社会というのがヒトの暮らしから離陸してしまったのか。

 ちょうどその季節でもあって柑橘類の収穫が行われている。「お接待」のところで記したが、大きなポンカンやデコポン、文旦などが「規格外」として捨てられるという。高度消費社会と謂われる時代の商品経済は、熟しているか、美味しいかどうかではなく、既定の箱に巧く入るかどうかが「規格」になる。大きすぎても駄目、小さいのも論外。こうして収穫の半分くらいが捨てられることになる。というか、都会地に運ばれることなく、地元の道路端の無人販売所に置かれる。大きな文旦が三つ300円とか、ポンカンが五つ200円とか、大きな蜜柑が袋いっぱいで100円と表示されておかれている。車は目にも留めず走り抜けている。「市場」と「交換」と「食べ物」とが噛み合わなくなっている。でもこれで「GDPの成長」を云々しても、果たして私たちの暮らしにどこまで影響するのかわからない。どこかでボタンを掛け違ったというか、商品市場だけを見てなぜその品を生産をしているのか見失っている。木を見て森を見ない。全体を見てとって考えていくテツガクを忘れてんじゃないか。いやそうじゃないか。根本をみる余裕もないほど、日常の稼ぎに追われているのか。そんなことを思いながら歩いた。

 もちろん、鉄道駅から5時間も掛かっていた山間部にトンネルと道路が整備され1時間で往き来できるようになったことは、人の交通ばかりでなく、品物の流通にも大きく影響し、暮らしを変えた。しかしその土建的成功をバカの一つ覚えのように土建業界を中心に相変わらず資本投下を繰り返すのは、目前の利権を保持しようとする業界経済の論理であって、何の為にそれをしているのかわからなくなっているんじゃないか。今治の宿亭主が「この上四国に新幹線なんていらないよ」と言うのを聞いて初めて、えっ、新幹線誘致なんて騒いでいるんだ。時代錯誤も極みだと思った。

 そうだねえ。高度成長の記憶が残像として残って、資本主義的市場経済が唯一の道と考えているのかね。グローバル化が日本経済に何をもたらしたか。失われた三十年というとき、なにが「失われた」というのか。そこを見きわめもしないで、ただただGDPとか成長率とか株価に目をやって、嘆いたりじゃぶじゃぶと紙幣を繰り出してきた。経世済民という根本を見失ってる。それも社会の構造がそうなっているのかと思うほど、それぞれの立場の人々の感性や思考に食い込んでいる。カネ、カネ、カネ。神も仏もあったもんじゃない。

 お遍路は、そういう風潮から取り残された社会を見ているようであった。そうか、それでお接待かとも思う。私は信仰心は亡いと分かったが、神仏のみて取り方を忘れたわけではない。大抵の札所には、すぐ近くや境内の奥に、神社がある。むしろ神社の方が大きな表示をしていて、札所が霞むようなお寺さんもあった。神仏と一緒くたにして皆さんは謂うが、私は別のことだと思っている。神というのは八百万の神、つまりありとある大自然に対する畏れと敬意を意味している。良いことばかりとは限らない。鬼神という如く、善いことも悪いことも人の意にならぬまま勝手に猛威を揮う。猛威の中には、生物の命を育み生長をさせる不可思議も含まれる。だから、その脅威を恐れるとともに畏敬してきた。

 では仏って何だ? その神々の勝手な猛威の下に暮らす人々に、その大自然をどう解釈するかを解くのが仏である。さらにすすんで、大自然の元で、その恩恵に浴しながら、しかし、気儘な大自然の振る舞いに右往左往し心揺さぶられて我を忘れてしまうヒトの生きる知恵を授けもする。修験道とか修業とか謂うのもどちらかというと、単なる大自然の解釈ではなく、それに翻弄されて生きていくしかないヒトの克服法を教え諭すもの。つまり理知的な大自然の認識は、同時に非力な人の力という実存を知らしめ、その立ち位置に応じた向き合い方の方法と限界を摑みなさいよと謂う智慧が、仏である。

 つまり神と仏では、解釈がどうであろうと揺るぎなく存在して私たちを包み込むのが神であり、その中にいて大自然全体の姿を仮構し、その中に人自らを位置づけて存在の仕方を教え諭すのが、仏。余計なことを謂うと、明治初めの廃仏毀釈は、神と仏が一緒では具合が悪いと見当違いをしながら、なお、神を唯一神として西欧の絶対神になぞらえた浅知恵の促成天皇信仰であった。その悪しき伝統を、一向に改めることなく、未だに堅持しているのが、靖国信仰とも言える。これも、この「くに」に暮らす人々の、身に染み付いた宗教的信条を国家が創ることができるという錯誤から始まっている。統治的精神が、逆立ちしているのだ。庶民大衆の身に染み付いた心情とそれを言葉にした信条とは、暮らしの中から芽生え、暮らしの中に根を生やし、暮らしをつくっていく形で再生されて受け継いできている。資本家社会的市場経済で席捲させてしまうわけにはいかない根っこを、普段の暮らしの中に持ってきてるんだよと四国のお遍路道は諭してくれるようであった。

 札所の数でいえば、残すは後、34ヶ寺。石鎚山の中腹にあるという横峰寺からの最後のお遍路区切りは、たぶんあと十日くらいで終えることができる。さて、いつ、それを終えるか。最後の香川県は「涅槃の場」と言われている。さて、宗教心のない私にも「涅槃」の境地は訪れるのであろうか。楽しみと謂えば、楽しみ、ちょっと怖いといえば怖い「お遍路」。私をよく知る友人は、♭(ふらっと)が二つの調性「変ロ」(変路)に代えて、もう一つ♭(ふらっと)が加えられる「変ホ」(変歩)になって、足を挫いたりしませんようにと揶揄っている。

 ま、それくらいの軽い気持ちで、そう遠くない時を見計らって出かけるとしようか。

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