2023年4月29日土曜日

賑わいが煩わしい

 今日からゴールデンウィーク。まだ現役の勤め人はこういうときしか休めないから、長旅を計画し混雑の中に身を置いて移動する。えっ待てよ、私もそうしたっけか?

 二度ほど計画したことがあったことを思い出す。一度は屋久島へ行こうと計画し、飛行機の切符もとった。カミサンが日本百名山制覇をやっていた頃だったので私も付き合おうとしたのだったが、飛行機に搭乗するのに新幹線に乗るような気持ちで言ったものだから、まだ20分も前だというのに、乗れなかったことがあった。3泊4日くらいの山登りの荷物を背負ってとぼとぼと家へ帰ってきたことを覚えている。

 また一度は、勤務して三十年に一度3日間の休みが取れるというのを連休につなげて東南アジアの最高峰・キナバル山に行ったことがあった。これも、すでに台湾の山を歩いていたカミサンの発案で旅行社の企画に乗ったつもりだった。私にとっては初めての外国旅行。ところが、参加者が4人しかいない。でもそのうちの一人、アラサーの女性が旅慣れているて、現地ガイドとのすべての交渉と乗り換えなどの世話をしてくれると事前の打ち合わせに行ったカミサンが安心した様子であった。マレーシアのクアラルンプールで乗り換えてボルネオ島に渡る。そこで現地ガイドと合流し、キナバル山に上ったあとオランウータンの森とウミガメの産卵を見る観光つきであった。標高4千メートルを超えるキナバル山は面白かった。高度障害にもならず溶岩ばかりの斜面を上る達成感は、後に海外の山へ向かう跳躍台になった。それ以上に印象深く記憶に残っているのは、案内役・アラサーの女性の母親が亡くなったと現地ガイドへ連絡が入っていたことだ。じつは山へ入る直前の山小屋で知らせを受けとった現地ガイドは下山後に彼女に知らせることにしてキナバルへ登った。下山後にそれを知った彼女はすぐに特別手配した便で帰ってしまった。その後の観光と帰国は、私のお役目になった。オランウータンもウミガメも興味深かったがそれ以上に帰国までの乗り換えや手続きなどすべてが初めてのことだったから、あれこれ訊ねながらの緊張した行程が思い出される。

 たぶんそれ以外のゴールデンウィークは、子どもを連れて近場の山へ行ったくらいの日帰りの旅。混雑を承知で飛び込むことはしてこなかった。退職後もこの連休期間は現役の勤め人に場を譲るような気分で、家にいて過ごしている。

 ひとつ気づいたことがある。先日バスツアーの日帰りに行ったときのことは記したが、そのときのこと。あしかがフラワーパークの散策の折、できるだけ人混みを避けて歩いたこと。振り返って考えてみると、ワタシはヒトの群れる中に身を置くことが嫌いなのだ。観光旅行へ行きたいと思わないのは、人混みがイヤなのではないか。ヒトと群れるというのがキライなのではないか。どうしてと問われると返答に困る。ご近所の散策というと、ついつい見沼田圃に足が向く。町歩きと行っても、人気の少ない住宅街の、それも樹木が植わっている森の気配が漂う場所を選ぶようにして歩く。あるいは山へ向かう。山があるからと言うよりはヒトがいないからそちらへ足が向くのではないかとワタシのクセに気づいたのだ。

 ヒトと語り合うのがキライというのではない。夜分トイレにいって戻ってみたら自分の寝る場所がなくなっていたというような山小屋で一夜を過ごすのは勘弁して貰いたいが、ほどよい数の登山者がともに過ごすのはイヤだと感じない。この感触は何だろう。

 男ばかり五人兄弟と狭い家の中で育ったことが身の体感をつくったと思うから、群れていることに忌避感はない。だがそれが、同じような熱狂を共にしているような場であると、できるだけ遠ざかっていたいと思う。映画や演劇は席は共にしているが、抱く感懐はまったくそれぞれのものだから気にならない。だがスポーツ観戦はご勘弁の方に入る。

 この対比が教えていることは、ワタシは他のヒトと興趣を共にするというのがイヤなのかもしれない。たくさんの兄弟の中にいると、序列は自ずから生まれる。言うまでもなく年の順が一番に身につき、兄の振る舞いを真似して弟が背伸びするということも、よくある話だ。兄弟それぞれの振る舞いが受ける周りの大人たちの賞賛も、序列に加わるか。つまり似たようなことなのに同じではないという振る舞いの美意識、価値意識が身に刻まれる。少し大きくなると、なぜか、周りの評価に反発したくなる。それも身の習いになる。

 それが一人のワタシだけではなく、多数の人々のワタシに、その置かれた「関係」の中に於いてそれぞれに刻まれ、身の習いとして無意識に沈んでいく。それはいずれ、ワタシって誰? ワタシって何? と自己を問う時節を迎え一人前になっていく。

 ワタシの固有性が際立つような振る舞い、技、際立つ感性・感覚・思索・言葉。状況把握や理屈、レトリックが語り口を通して、評価を受ける。それぞれに実は社会的な力関係が埋め込まれていて、それを感知しながら「かんけい」を紡ぐのが「空気を読む」ということになる。

 それが多くの人々の共有する「かんけい」となると、何時、何処から、誰がどのように見ているかによってその時、その場の固有性である語り(ナラティヴ)が、情況の連続性と時の流れを組み込みこんで物語り(シトーリー)となり、もっと長いスパンで組み立てて歴史(ヒストリー)になると、もはやヒトの固有性というよりは社会や時代の共有する規模の壮大さに気風や風潮、世界観と呼ばれるものとなる。

 また、そうした人類史的な歩みを、神の目で見るようにして鳥瞰した世界観や価値意識が、学校教育やTV家新聞・書籍などのメディアを通じて本人の意識することなく刷り込まれ、ヒトがジブンに気づいたときにはすでに身の裡深くに沈んで無意識になっている。だから実は、イイとかワルイとかいうことではないのだ。ジブンに世界が現象している。

 私を無化していえば、ワタシを借りてセカイが現れている。ワタシからいえば私がセカイだと。イイとかワルイというませに、ワタシが事実だということである。こう考えるところに「我思う故に我あり」を位置づけると、なるほどと腑に落ちる。

 そんなところから、賑わいがキライというワタシをみつめると、ヒトそれぞれのワタシを無化するようにして世界に熱狂することを忌避しているのかもしれないと感じる。他のヒトにも、ワタシの来歴に目をやって、人類史を背負ったヒトとしてのジブンを起ち上げなさいよと呼びかけたい気持ちになる。

 その反面で、そんな理屈はないよとワタシの内心が呟く。ヒトとしてのジブンを意識するというのは、ヒトをそのように限定することだ。ただ、いま、ここに存在するジブンをヒトとして承知することが、現実存在としてのワタシ=ヒトを受け容れることだ。意識することは、意識したストーリーやヒストリーにジブンを限定して世界を狭くしてしまう。消費的であると謂われようと謂われまいと、そのように振る舞うジブンが、人類史そのもののもたらしたヒトの姿だと訴えている。

 容易に一つの物語りに収めきれない。逆に収めようとする私のヘキを発見する。この問いは、堂々巡りになるが、問い続けなければならない自問自答のように感じている。

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