1年前の、このブログ記事「自己限定したときの勁さ」(2022-04-03)を読んで、「あっ、これだ!」と思った。台湾の作家・李琴峰がウクライナへのロシアの侵攻に直面して「個人が国家に領有されている」と感懐を綴った文章。「自由」を信じていた「自分」が国家の所有物だったと実感させられた学校時代の軍事訓練を振り返って思い浮かべている。
《自由というものをひとまず、「何者にも領有され支配されない感覚」や「自分の生から死まで自分で決められる状態」と定義しよう》
と作家は自己限定して語り出しているのだが、この感触は私たちが日本で感じている「自由」と同じようなものと受けとった。だから私は、「国家が(ワタシを)領有している」というのは、国家に囲われて生きてきた「自分」のデファクト・スタンダード(既に確立されている既定の事実)の(自己による)発見と読み取った。つまり、(領有されるのはいやだ、自由がいい)という感懐は、戦争状態、あるいは戦争予想状態(の軍事訓練)になって領有されるのではなく、自らの身体に刻まれていることの「発見」とみて次のように記した。
《いや、むしろ「自由」と「国家」への幻想を対立させて考えるより、国家の領有する身体という「事実」は、李琴峰の身に刻まれているはず。それをどう脱ぎ捨てて自由への信仰に飛翔したのか、そこを語らないと、ただ単なる自己規定(自己限定)した宣言でしかない》
《大切なのは、身に刻まれた「事実」をどう剥ぎ取って「自由への信仰」に至ったのか、そこまで言及しないと、人々へのメッセージとはなり得ない。ただ「信じなさい」という呼びかけにしかならない》
と言いつつ、しかし、「自己限定したときの勁さ」をこの作家の文章から感じ取っている。これが、3月seminarで私が突き当たっていたモヤモヤ(3/27、3/28記事参照)と感じ、「あっ、これだ!」と発見したような気分だったのである。
BBC東京特派員氏の感じた「過去にこだわる日本人の不思議」は、統治的にモノゴトをみる視線のもたらしたものと私が指摘したのに対して、トキくんは「オレはその時の感じたそのままを書いただけで、別に統治的にものをみたりしてないよ」と応じた。それに対して私は「そうですよね。その体に刻まれて意識されていない視線が統治的だということなんですよ」と応え、少し後で、「小中学校で教わりワタシたちの世界をみる理念にもなった日本国憲法もまた統治的な視線を国民に刷り込むものだった」と話した。たぶんトキくんは、強く非難されたように感じたのだろう、いつもはにこやかに別れの挨拶を交わすのに、黙って帰ってしまった。憤然として……、と私は感じた。
もうひとつ、キミコさんの無邪気奔放な振る舞い。この作家の「自由」の自己限定の言葉、「自分の生から死まで自分で決められる状態」のように感じて生きてきたことが如実に現れていた。これが国民の身の裡に「統治的視線」を培うものであったとしても「日本国憲法の理念」によって私たちの身の裡に埋め込まれてきた感性の発露であったから、同じ空気を吸って育ってきた同窓同期のワタシたちにはよくわかる。その共感性の広がりが「勁さ」である。止めようがない。
上記の二つ、トキくんの憤然とキミコさんの無邪気奔放とが、ひょっとするとseminarの意図してきたこと、自己を対象としてみて「日本人の不思議」を切り分けてみようという運びそのものを堰き止める役割を担った。そのことへの、ワタシの失望、慨嘆、でもそれもそうだよなあという(土台にある身の裡の)共感性に溶け込んでいく私の気分、それらの混沌とした感触が、傘寿を越えて(時代と人生を振り返る)「当事者研究」をするのはもう無理だと思わせたのだと思った。
でも、1年前の記事を読んでひとつ「発見」があった。自分を対象として身の裡を見つめるということを、そうすることによって「他者」との(社会)関係を築くという風に、どちらかというと社会道徳的な必要からみていたのだが、そうではないと判った。我知らず、受け継いできたデファクト・スタンダードを切り分けてわが身から引きずり出すことによって、わが身の(無意識に)感じている「窮屈さ」の源に迫ること、これこそが、「自由」への第一歩だということに至った。作家の「自分の生から死まで自分で決められる状態」という「定義」も中空に浮いた「観念」である。その中空に浮いた観念自体を、社会関係の中に位置づけて動態的に捉えるところに、より「自由」の概念をわがコトとして捉える勁さがあると思う「発見」であった
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