2019年11月15日金曜日

「2042年問題」は、私たち親世代のモンダイである


 この欄で「団地コミュニティの社会学的考察」などと称して、人口減少時代の将来展望に触れてきた。私の知人がこんな本があるよと教えてくれたので目を通した。『人口急減社会で何が起きるのか―メディア報道の在り方を考える』(新聞通信調査会編、2018年)。130ページほどのブックレット。去年半ばのシンポジウムの記録である。


 メインは「未来の年表――人口減少日本で起きること」と題した河合雅司さんの基調講演。元産経新聞の厚労省担当記者であったという。人口動態統計を用いて人口減少は必至、高齢者がピークに達するのは2040年、そして、貧困層が浮き彫りになるのが「2042年問題」だととりだしている。2042年に60歳以上になるのは、現在(2018年)の35歳以上。その世代の「親と同居未婚率(2016年)は288万人(16・3%)」、そのうち「(親への)生活依存者52万人」、さらにそのうち2042年に70歳以上になる「45歳~54歳の依存者31万人」は、「親が亡くなると生活が破たんする」「すべて生活保護なら20兆円」と摘出している。

 これは吉川徹がその著書『日本の分断』でモンダイにしていたことの、現実将来問題である。吉川の記述にしたがうと、その貧困層に如実にぶつかるのは、若年非大卒男子(と非大卒世帯と非大卒シングルマザー)のセグメントの人たち。吉川のいう「軽い学歴の男性(Lightly Educated Guys)レッグス」である。吉川の分析は、60歳以上の団塊世代等がこの世を退出したのちの時代を描き出すために、60歳未満世代の社会学調査を解析したものであった。だが、この世代の頭を抑えている団塊世代前後の人口団子が退出したときの「高齢者の貧困問題」が、こんなふうに出現すると指摘している。

 基調報告がとりだした2018年の35歳~44歳は1974年~1983年生まれ、第一次オイルショック後の安定成長時代へ日本経済が向かった時期に生まれ、「一億総中流」と呼ばれた1980年代の高度消費社会を満喫して成長し、社会人として生活をはじめるときは、すでに「失われた○十年」十年ほどを経過していた。成長期に自由自在に育っただけに、自らの暮らしは自らの責任で処していかなければならないと自分に言い聞かせて出立したと言えようか。それに対して、その上の世代、2018年の45歳~54歳の世代は1964年~1973年の生まれ、ちょうど高度成長期の日本に生まれて押せ押せの時代に生育し、職を得て後に、あるいは高校時代にバブル時代に遭遇した世代である。上記の基調報告の「親への依存者」数をみると、親世代が「一億総中流」の世代であり、まさに、依存させるに足る資産を稼いでいた世代である。1980年代初めのころの学校のモンダイは、「非行・暴力・登校拒否」であったが、そのうち「家庭内暴力」が頻発し「オタク」になり「ひきこもり」になって、ついに「浦和高校教師による息子殺害事件」が発生したのが、1992年のことであった。

 つまり、高度消費社会に入ってバブルにまで到達した社会のツケが、子ども世代の諸症状に現れていたとすると、「親が亡くなると生活が破たんする」その最後の精算を迫られているのが、「2042年問題」ということになろうか。もちろん「すべて生活保護なら20兆円」という経済計算上のことも、厚労省担当であった記者からすると欠かせない国家財政のモンダイということになろう。

 だが私たち庶民の、親の側からすると、子どもたちの「自己責任」感覚をどう育てることが出来たかできなかったかが気になる。つまり、親に依存したり国家に依存することを前提にして、自らの人生を設計する感覚は、どこから生まれたのか。戦中生まれ戦後育ちの私たち親の世代にしてみると、衣食足って礼節を知る暮らしのセンスには、貧しい暮らしが前提にあった。だから憲法に書かれた「最低限の文化的生活を保障する」という文言は、だれもが食べていけるだけの社会を実現しようという社会的合意として受け止めていた。ところが、物質的な「飽食の時代」を実現してみれば、「ひきこもり」や親への依存症が噴き出した。それは、なぜなのか。人としての暮らしを整えることができれば、それで十分というつつましやかな希みをもっていただけなのに、存外のメンタルな異常をきたしたのだとすると、人間そのものの見立てを間違えたのか。それともモノづくりと社会的交換のやり方を間違えたのか。

 その世代を育てた親世代自らのモンダイとしては、また学校教育のモンダイとしては、あるいはまた、社会規範のありようのモンダイとして、さらには人間とは何か、人生とは何かを、わがコトとして真摯に考えなければならないことに、満ち満ちている。

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