2019年11月23日土曜日

茫茫たる藝藝(2)風のような読み物、稗史小説という構え


 「一生にたった一本書きたい」小説の構えをmsokさんは「稗史小説」と名づけて、こう記す。

《……ただし小説という条、たとえば生と死の相剋、男女の愛情の縺れ、社会構造深部への切り込み、世界とは神とは人間とはなにか等々を内在させた所謂近代小説なんぞ書ける能力もないし、書こうとの気持ちも抑々からしてなかりせば、いま流行の言葉を使わせて貰えば自分の身の丈に合ったもっと気軽で深刻さとは無縁の所謂稗史小説もしくは歴史講談的なものになること……》


 と、構えをほぐしてしまう。つまり「脱藩して市井の人として生きてきた」シタッパと昨日述べた通り、自らをヒエのようにつまらぬ稗官になぞらえ、「身の丈」という。近代小説を正史に見立てて稗史小説を書きたいとは、芥川賞ではなく直木賞だと居直っているのか。いやいやそうではない。近代とは次元の違いをmsokさんの身が欲していると私は読み取った。

《小説とは或る種の仮構世界であり、にも拘らず現実の事象や人間の在り様と相剋しながら物語として紡ぎ上げ、その鬩ぎ合いを通じて読み手に何か大切なものを発信するものなのでせうけど、それは飽くまで近代小説の範疇と言うべく、前近代を標榜する当方の稗史小説は仮構の世界である所は同じでも上記のような近代の桎梏と言うか近代小説の定めには無縁を決め込んでも構わない訳で、その点は気が楽です。強いて目指す所があるとすれば、読み手に訴える何ものもないこと、風のような読み物であること、そんなことぐらいです。》

 ここには近代への強烈な異議申し立てが孕まれている。近代は「物語り」の時代であり、「解釈」によって意味が付与され、それが「権威」をなし、その権威の制度的集積が「強権」となってシタッパを虚仮にしつつ、世情を取り仕切る。いまやヒエを食らう人はなく、「強権」によって調えられたハクマイをあたりまえのように交換によって手に入れ、贅沢な調理を施してもらって食卓に並べる。そのような近代文化の在り様への反時代的な気風が「読み手に訴える何ものもないこと、風のような読み物」への志向に込められている。

 だから、貧しくもきっちりと結界をなしていた身分が揺らぎだしていた江戸の寛政から文化文政を舞台にした時代小説でなければならなかった。この作者自身が近代にまみれて身に備えてきたコトゴトを江戸の時代に持ち込み、テクノロジーの力によって離陸する以前の時代に身を置いてとらえ返してみることに魅せられているように見える。「読み手に訴える何ものもない」というのは、msokさん自身の自画像であり、「風のような読み物」とは彼自身の人生を総括する謂いであるのではなかろうか。

《「あなたの文章は漢字が多すぎる」との御批判も頂戴していますが、私の漢字多様癖には理由がありまして……いずれにせよ頻りに漢字を使いたがる当の本人が漢字を忘れるのですからお笑い種です。/私はスマホ等の現代的利器に無縁の人なので、言葉や漢字については書籍の国語辞典、漢和辞典に頼っています。上記した理由で最近益々検索頻度が高くなる一方なれば、比較的新しい漢和辞典はさて置き、別して16歳の時神田の古本屋で購めた「辞海」なる国語辞典は自分が使いはじめてからでも恰度60年、もうボロボロになって四つに分割さえして宛ら解体旧書の趣きですが、まだ老体に鞭打って現役です。そういう意味では私の人生の或る大切な部分に於けるかけがえのない相棒と言え墓まで持って行きたいくらいと言ってもいいかもしれません。本当に言葉の原初的な意味でもありがたい相棒です。》

 msokさんは、じつは東洋史を専門とする中国語の達者である。それが「漢字多様癖」に結びつくばかりか、エクリチュールの人として此処に至っていることは、その由来を聞くと容易に理解できる。多分「漢字多様癖」が昂じて若き学生の頃、ガリ切りによる数奉仕闊達なこと数百ページという大部の「文集」を刊行することがはじまった。学生時代に年2号、8号まで刊行し、その後20号まで続けたという。もう半世紀も前にそれを目にしたとき、私は、msokさんのクキクキと角ばったガリ切り文字が、草臥れる気配もなくガリ切り用の謄写原紙の桝目を埋めているのに、まず驚嘆した。と同時に、そこに書かれていた文体の放恣闊達なことに刮目した。京浜東北線の列車が荒川を渡って川口に入る描写が、いかにも東京都から埼玉県への差別的越境であることが、地域的な落差を込めて活写されていた。

 人が身をおく「場」は、いつも哀惜に満ちている。つまりそれほどに世は変転を重ね、気づけば昔日の思いのみが取り残されて、胸中にわだかまる。戦後の「焼け跡闇市」から高度経済成長を経て高度消費社会へと変容してきた時代を振り替えってみると、わが身が必死に適応して身過ぎ世過ぎをしているうちに、何か肝心なものを「焼け跡闇市」時代に置き忘れてきていると、ふと気になる。贅沢にものを食べているときにも、心地よく冷暖房に包まれているときにも、あるいは手軽に瀟洒なものを手に入れるときにも、どこか空中浮遊しているようなこそばゆさを感じないではいられない。そう感じたとき、わが身を、貧しくも磊落奔放闊達であったその時代にそのまんま沈ませて、今に至った径庭を子細に見つめてみたいと思うことはないか。

 msokさんの「稗史小説」は、彼自身の自叙伝であり、彼の現在の自画像である。文字通り「一生に一本書いてみたいもの」にほかならない。626枚を超えてなお、オチが着かないというのは、当たり前だ。そもそもオチつくという小説の結構自体が、意味を求めてやまない近代小説の体裁を模倣していて、作者msokさんの初心を裏切っている。彼の人の稗史小説は、まさに彼の人が人生を閉じるときにこそ「結末」を迎えるというにふさわしい。町人(まちびと)の風説書、一度は知識人として浮揚しかけた己への反直訴状とでもいおうか。エクリチュールの仕上げを御覧じろ、と言っているようであった。(つづく)

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