2019年11月19日火曜日
ますますボーっと生きる
今日の天気予報が割りとよくなった昨日の夜。水曜日に予定していた山行を火曜日に切り替えようかと、ふと思った。木曜日には「ささらほうさらの」の月例会がある。水曜日よりも火曜日の方が、一日間が空くだけいいかもしれないと考えたからだ。だが寝床に入る前に、考えなおした。木曜日に発行する「ささらほうさら・無冠」が、手を付けたままで仕上がっていなかった。ま、それは水曜日にしても悪くないことであったが、こちらも間を置くと、何を気にしていたか忘れてしまう、と思った。そういうわけで、今日はカミサンが出かけるのを見送って編集仕事に取りかかった。
そこへ電話が来た。今年88歳の旧知の山先輩である。
「今日の、行くの?」
「えっ、なんでしたっけ?」
「ほら、南浦和のやつよ。Oさんから呼びかけがあったでしょう」
と、そこまで言われて、はじめて思い出した。福島のお世話になった宿の主人が亡くなったというので、山仲間で集まって話すことになっていた。手帳を見ると、ちゃんと今日の欄に、書いてある。米寿の山先輩は、その場所の確認の電話であった。もしそれが無かったら、私はすっかり失念していたであろう。あるいはまた、もし今日山に行っていたら、のほほんと過ごして、山友だちの信頼を失くしてしまっていただろう。
最近、忘れることが多くなった。ヒトやモノの名前が浮かばないということは、今に始まったことではない。だが、そういう「行事」をコロッと忘れるなんてことは、なかった。
自分はそう強くは思っていないが、ときどきカミサンから、
「またあ、忘れてる」
と言われるようになった。
「えっ、そんなこと聞いたかなあ」
と思うことはある。
カミサンの方が、言ってもいないことを言ったように思いこんでいるんじゃないかと、私は疑っていた。でもそういうと、水掛け論になるから、黙って腹の中に納めるようなことが、二度ほどあった。
だがどうも、今朝のことを考えると、私の旗色が悪い。
手帳に書いていても忘れるってのは、手帳を見て確かめるのが、いまだ習慣化していないのだから、そこから身の習いをつくりなおさなければならない。これえまでもボーっと生きてきたことにかけては、他人に負けないと思っていたが、ますますボーっと生きる時代に突入したのかもしれない。
思いついたらすぐに取りかかる。それが、忘却を克服する手立てだと思ってきたが、人と一緒にやる「行事」を早めるわけにはいかない。こうして、緩やかに人とのおつきあいも遠慮がちになり、引きこもりのようになって世の中から退出していくのかもしれない。象が死ぬ姿を見せないというのも、彼ら流の退出作法があるのだろう。ヒトもまた、そういう流儀を身の裡にもっているのだとしたら、そいつがどういうものか、いつかどこかで教えてもらえないものかなあ。
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